最強超人伝説『生きている英霊』と呼ばれた男
日本史上 即ち世界史上最強の兵士は誰か?
私は、迷わず『不死身の分隊長』と呼ばれた 舩坂 弘だと答える
舩坂の最強超人伝説を山本五十六風に例えればこうだろうか…
『撃ってみて 毒を飲ませて殴打して 溺れさせても 舩坂は死なず』
本当にこんな、殺しても死なない感じの驚異の最強超人伝説…
いずれもWikipediaからだけど…
舩坂の戦歴と伝説を知れば恐らく異論のある方はいないだろう
白兵戦におけるあまりの戦果から、個人の戦闘記録として唯一、戦史叢書に個人名が載せられ
舩坂を知る人たちからは『生きている英霊』と呼ばれ、戦中戦後の業績を称揚される
舩坂弘 (ふなさか ひろし)
栃木県出身
1920年10月30日ー※2006年 2月11日(満85歳没)
渾 名
『生きている英霊』
『不死身の分隊長』
所 属
大日本帝国陸軍
軍 歴
1941年-1944年
最終階級:陸軍軍曹
除隊後は実業家、大盛堂書店代表取締役社長
舩坂はパラオ諸島アンガウル島の戦いなどで活躍
終戦後は渋谷に大盛堂書店を開き、代表取締役会長を務める傍ら、全日本銃剣道連盟参与、南太平洋慰霊協会理事、大盛堂道場館主でもあった
テキサス州名誉市民章授与
■その白兵戦におけるあまりの戦果から、個人として唯一「戦史叢書」に名前が記載され
*特別銃剣術徽章、特別射撃徽章、剣道教士六段、居合道錬士、銃剣道錬士など、武道・射撃の技能に習熟していた
*斉斉哈爾第219部隊に於いて「射撃徽章と銃剣術徽章の2つを同時に授けられたのは後にも先にも舩坂だけだ」と専ら有名であった
*また、漫画の登場人物のモデルになったこともある
【舩坂は戦争中 「不死身の分隊長」 と呼ばれた】
■米軍の攻勢の前に左大腿部に裂傷を負う
*傷を見た軍医が助からないと判断し、自決用の手榴弾を手渡される程の瀕死の重傷だった
*ちなみに軍医が来るまでの間、米軍の銃火の中に数時間放置されていた
*しかし、日章旗で縛ることで止血し「夜通し這う」ことで洞窟陣地に帰り着き、翌日には歩けるまでに回復
■その後も瀕死クラスの傷を何度も負うも、不思議と翌日には回復している
*「生まれつき傷が治りやすい体質」 と、本人談…
【鬼神の如き奮戦の記録】
■アンガウルの戦いにて擲弾筒および臼砲にて米兵を200人以上殺傷
■絶望的な戦況でも拳銃の3連射で3人の米兵を倒す
■米兵から鹵獲した短機関銃で3人を一度に倒す
■左足と両腕を負傷した状態で、銃剣で1人刺殺
*その銃剣を「短機関銃」を手にしていた米兵に投げ、顎部に突き刺して殺す
■腹部に重傷を負い、ついには這うことしか出来なくなり、「もはやこれまで」と自決用手榴弾の信管を抜くも不発
■戦友も次々と倒れ部隊は壊滅するが、死ぬ前にせめて敵将に一矢報いんと重傷にもかかわらず米軍司令部へ単身斬り込み 10000人vs1人の肉弾自爆を決意
*その前に自分の傷口に群がる蛆虫を拳銃の火薬で焼き殺すが、あまりの激痛に失神、半日死線を彷徨うが復活
■手榴弾6発を身体にくくりつけ、拳銃1丁を持ち重傷の体で夜通し這い続ける
*前哨陣地を突破し、4日目には米軍指揮所テント群に20メートルの地点にまで潜入していた
■ちなみにこの時までの負傷は大小24箇所
*左大腿部裂傷・左上膊部貫通銃創2箇所
*頭部打撲傷・左腹部盲貫銃創
さらに
*右肩捻挫・右足首脱臼・火傷
*全身20箇所に食い込んだ砲弾の破片
■敵を目の前にして立ち上がると発見した米軍は激しく動揺する
■手榴弾を片手に米軍に向かって全力疾走
*残念ながら首を銃撃されて昏倒する
*米軍は戦死と判断
*一旦は野戦病院に担ぎ込まれ、「これが日本のサムライだけが出来る勇敢な死に様」だと評される
■そんな船坂は3日後に米軍の野戦病院で蘇生する
*素早く周囲の医療器具を叩き壊し、駆けつけたMPに「俺を早く撃ち殺せ!」と無理を言う
*その後も顔面蒼白の米兵を尻目に暴れまわる
*戦地アウンガルにいる米兵の間で「生ける伝説」と化した
■敵ながら勇気を称えられ「勇敢なる兵士」の名を贈られる
■数日後、ペリリュー島の捕虜収容所に身柄を移される
*船坂の最強超人伝説はペリリュー島まで伝わっており、要注意人物の筆頭に挙げられる
■瀕死の重傷で収容所から抜け出すことに成功
*この時、極度の栄養失調に加え出血多量により、両目は殆ど見えていなかった
*この状態で約1000メートル以上も潜んで進み、日本兵の遺体から抜き取った銃弾の火薬により米軍弾薬庫を爆破する
*爆破後に収容所に戻り、何食わぬ顔で翌朝の点呼に参加
*勿論米軍は徹底的な捜査をしたが、弾薬庫が吹き飛んだ原因は判明しなかった
*このため米軍の公式記録には「原因不明の爆発」と記載された
■耐えかねた米側に捕虜収容所を追い出され、各地の捕虜収容所を転々として1946年に無事帰国する
■実家に帰ったが、すでに死亡したとされ位牌まであった
*村の人々は幽霊ではないかと噂し、しばらくの間疑いの目で見られる
■個人の戦闘記録としては唯一戦史叢書に載せられている
死没 2006年2月11日(満85歳没)
この生ける軍神がつい七年前まで、私と同じ時代の日本に生きておられたことにも驚きでした
本当にサイボーグかアンドロイドかと思ってしまう戦歴はあまりにも強烈で凄すぎます
この人は本当に人間なのか!?
只々合掌です
■ちなみにビル一棟が丸ごと書店を日本で始めて作ったパイオニアでもある
■また、1970年の三島自決の際に介錯に使われた三島自慢の愛刀・関の孫六(後代)は舩坂が贈ったものであった
*この経緯は自著『関ノ孫六』に詳しく記している
■舩坂は『英霊の絶叫』のあとがきに、アンガウル島に鎮魂の慰霊碑を建立することが自らの生涯を賭けた使命と記した
*これは後に同書を読んだ人々からの義援金の助力もあって実現する
*以後、戦記を書いてはその印税を投じ、ペリリュー、ガドブス、コロール、グアム等の島々にも、次々と慰霊碑を建立した
■慰霊碑の慰文には
『尊い平和の礎のため、勇敢に戦った守備隊将兵の冥福を祈り、永久に其の功績を伝承し、感謝と敬仰の誠を此処に捧げます』と、刻み込まれている
*慰霊碑を建立後、それまでの著作物や後に執筆した著作物から更なる印税を得るが、「世界の人々に役立ててもらいたい」との考えから、自分では使うことなく全額を国際赤十字社に寄付している
*また、書店経営の忙しさの中でも、アンガウル島の収骨慰霊を毎年欠かすことはなかった
*その後も、遺族を募って慰霊団を組織し、現地墓参に引率し、さらにパラオ諸島原住民に対する援助や現地と日本間の交流開発に尽力
*数年にわたる戦没者の調査と遺族への連絡等々、精力的に活動を行い、その人生を捧げた
これらを指し
舩坂を知る人たちは『生きている英霊』と呼び、業績を称揚した
■舩坂が特にその名を轟かせたアンガウルの戦いとは…
大東亜戦争/第二次世界大戦におけるパラオ=マリアナ戦役で最後の戦いである
戦 争
大東亜戦争
年月日
1944年9月17日-10月19日
場 所
パラオ諸島アンガウル島
戦 力
日:歩兵第59連隊第1大隊 1250
米:第81歩兵師団 21000
損 害
日:戦死 1191 捕虜 59
米:戦死 260 負傷 2294
当時パラオ防衛は第14師団(照兵団、宇都宮)が担当しており、アンガウル島防衛に当たっていたのは第14師団配下の宇都宮歩兵第59連隊だった
左写真:第219部隊伍長だった頃の舩坂弘
中写真:爆撃と艦砲射撃を受けたアンガウル
右 図:日本軍の陣地と米軍の侵攻図
コメント
2013/11/27 15:24
8. >>7 塚田さん
伝説を知った以上…
各階のトラップと敵キャラを倒し…無事に生還を祈ります(笑)
羨ましい(´;ω;`)
返コメ
2013/11/27 13:26
7. >>6 虹蔵不見
ぼーちゃん、さん
大盛堂書店、何度も行ったことがありますが、これからは入る前に一礼しないといけませんね(笑)
返コメ
2013/11/27 13:12
6. >>3 塚田さん
戦場では敵から称賛されるという現象が稀に起こるようですが
元米兵から舩坂に宛てた称賛の手紙にある通り、実際にあった事なんですよね…
渋谷ハチ公口の大盛堂書店、一度覗いてみたいものです
返コメ
2013/11/27 12:50
5. >>2 下がり藤(愛国者で有り続けます)さん
セガールやスタローンも裸足で逃げ出しますね
なんせリアルなんですから
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2013/11/27 12:47
4. >>1 サト吉さん
衣笠や室伏が泣いてひれ伏すくらいに
とんでもない男です
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2013/11/26 21:32
3. これは凄まじいですね!
初めて知りました。
ありがとうございます!
返コメ
2013/11/26 20:36
2. アニメか映画かドラマか、と思いました。
返コメ
2013/11/26 17:36
1. 鉄人すぎる
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