私の最も尊敬する朝鮮人・・洪思翊 帝国陸軍中将!!彼は偉大で立派です!!
洪 思翊(こう しよく)帝国陸軍中将
元帥、大将・・
その次が中将!!
朝鮮生まれで中将まで高い位に上がったのは、王族以外では彼だけである
彼は1889年3月4日に朝鮮半島で産まれた朝鮮人で・・・
家柄は両班~いわゆる貴族ね
当時の朝鮮半島は、日清戦争が終わり政治情勢は混乱してました
日清戦争に勝利した日本は下関条約で、中国清国からの李氏朝鮮国の独立が認めさせた
朝鮮は、日本を見習い大韓帝国になった
初代皇帝は、高宗 (李氏朝鮮の王ね)
大陸への進出を考えていた日本にとって、朝鮮が中国の属国では都合が悪かったのだ
以後、日本の資本が注入されていく・・
そんな時代に産まれた洪は、1905年大韓帝国の陸軍士官学校に入学する
しかし、1909年士官学校の廃止に伴い、
日本の幼年学校に国費留学し、首席卒業後は日本陸軍士官学校に進学した
翌1910年には母国大韓帝国が日韓併合により消滅するも・・
洪は日本に留まり、トップレベルで士官学校を卒業する
友人の中には帰国して独立運動に加わる人もいたが、
洪自体は「しばらく切磋琢磨し、力がついてから戦うべき」との考えのもと、日本に残る
日本軍は差別がない・・・って言われるが、実際は出身地で出世が決まる派閥(藩閥)主義だった
例えば
陸軍なら長州出身(山口県)
海軍なら薩摩出身(鹿児島県)
などである・・
それ以外の出身地で将官以上に上がるには、能力だけではダメである
ましてや日本人ではないとなると・・・
とてもとても
大変な努力と実績と人望がなければ無理であろう
中将となると、奇跡に近い
彼の成績は素晴らしく優秀で、四書五経から英語にまで精通し戦史・戦術の専門家であった
彼は1914年に士官学校をトップレベルで卒業したあと、歩兵少尉として第1師団第1連隊に配属された
1923年には陸軍大学校も卒業!!
(朝鮮王族以外で卒業した朝鮮人は彼だけ)
そのあとは陸軍参謀本部参謀や兵学校教官、関東軍司令部参謀などを歴任・・
最後はフィリピン捕虜収容所所長を経てマニラ方面軍兵站総監で終戦を迎えた
しかし残念なことに彼には、捕虜虐待の容疑がかかり・・
冤罪ではあったがBC級裁判によって1946年9月26日処刑された
洪は朝鮮人であったが、大日本帝国軍人として誇りを持っていた
取り調べの時も弁解や言い逃れを潔しせず、自分のことについては一切沈黙を守った
辞世の歌も
「昔より冤死せしものあまたあり われもまたこれに加わらんのみ」
私の頭では、なんか良く分からないが・・
「まぁ~濡れ衣の罪で処刑されることは昔からよくある
私も、これに加わるだけさ・・」
こんな感じかしら
彼はまた朝鮮人としての誇りも持っていた
創氏改名のときも改名を拒み、名字は「洪」のままである
息子の洪国善が近所の悪童から「チョーセン、チョーセン」といじめられたときも・・・
「朝鮮人は、大英帝国でいうアイルランド人と一緒!!
どんなときでも誇りを持ち、必ず『私は朝鮮人の洪国善です』とはっきり言いなさい
決して『朝鮮人の』を略してはいけない」
と諭したという
指揮官になると常に日本兵の前で・・・
「自分は朝鮮人の洪思翊である。唯今より天皇陛下の御命令により、指揮をとる。異義のあるものは申し出よ」と初訓示!!
痛快なんだろうね~
また、高宗皇帝が下賜した大韓帝国の軍人勅諭を、生涯身に付けていたとも言われている
1946年9月26日
フィリピンにて処刑されるときに・・
牧師片山氏に旧約聖書詩篇51編の朗読を依頼し、処刑台の真下まで来ると
「片山君、元気で帰るんだよ
君にも神様が何か使命を与えている
その使命のためにいきるんだよ」と肩を叩き・・・
13階段を登りながら一時振り返り
「神の国で待っているよ」と言い残しました
これが、洪中将の最後の言葉となります
洪は、日本に統治された2等民族扱いの朝鮮人として差別や偏見の激しい時代を必死に生き・・
朝鮮人としてのプライドを捨てず、また信念も曲げずに自分を貫いた男の中の男だったようだね
皆が改名するも、洪のみが拒む
立場上、圧力はすごいと思うが信念を貫く・・
また帝国軍人としてもしっかりと責務を果たし、朝鮮人として逃げることなく・・
帝国軍人として、いさぎよく処刑される
日本人ではないが、日本人の鏡です!!
しかし・・・
このような立派な方も朝鮮においては
「親日派の巨魁」
「民族の裏切り者」
「反逆者」と罵られ・・・
先妻の長男洪国善氏は早稲田大学卒業後、朝鮮銀行に勤めていましたが、李承晩大統領の直接命令によりやめさせられた
未亡人(後妻)の李清栄さんはお茶の水女子大の前身である東京女高師の文学科卒業であるに関わらず、一切の職業から閉め出されてしまった
結局、二人とも韓国に住むことができずに、無一文で日本にやってきた
それに対して、日本の政財界の人たちは、手をさしのべた
当時の首相佐藤栄作は、洪の世話になった恩返しにと100万円を私費で寄付した
6年間、遺族は日本に滞在し、韓国に戻ることはできず、アメリカに移住するのである
すごく残念に感じってしまうね
コメント
2012/08/06 22:48
67. >あかぎさん
こういった武士でもない武士道精神もちあわせた方が
朝鮮にいらっしゃる
韓国人も一派ひとからげに悪者にすべきではないと
生き様 死にざまの 潔さ まさに武士道精神ですね
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2012/08/06 22:46
66. >くまのぷーちゃんさん
牟田口のこと?
返コメ
2012/08/06 22:43
65. >みゆゆさん
すごいですよ
時代のことも考えれば苦難は想像を絶すると思います
差別、偏見、嫌がらせ…
何でもあったと思います
それも切磋琢磨し中将まで昇進したのを素晴らしいですね
また散り際もカッコいいね
返コメ
2012/08/06 16:23
64. >あかぎさん
兵卒なら銃殺もん かな?
返コメ
2012/08/06 15:42
63. カッケェ
生き様も
死に様も
美しい人デスね☆〓
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2012/08/05 21:48
62. >猿飛あやめさん
そうインパール作戦です
あの作戦は日本軍始まって以来の師団単位で命令無視して撤退するんだよね
それだけ指令部は現場の状況を把握してなく混乱していたんだよね
牟田口及び寺内はある意味、戦犯だと思います
コメントありがとう
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2012/08/05 21:18
61. 牟田口ってインパール作戦のですよね。
読んだのが小学生の頃なので記憶が怪しいのですが…
戦後イギリスの将軍か何から
素晴らしい作戦だったとか
ふざけた賛辞を送られて
その気になっちゃったとかゆう。
あの頃って自分で本を探して読むしかなかったのに
親が心配するような本ばかり読んでましたww
サイトでおかしなの相手にするより
もう一度日本の激動期を
調べてみようと思います
(^-^)
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2012/08/05 20:51
60. >世界の海援隊さん
そうだね
ごめんね
返コメ
2012/08/05 20:42
59. >あかぎさん
チャント書いてるよ
>幕末の長州は鬼畜外道です(`Д´)
って
だからちゅういしてるんだ
返コメ
2012/08/05 20:39
58. >世界の海援隊さん
別に幕末の長州人を非難してないと思うよ
牟田口が嫌いなだけで、牟田口=幕末長州人とは言ってないんじゃないかな…
まぁ、もし理解してなかったとしても、強く言って相手のプライドを傷つけちゃダメよ
ごめんね~
生意気言ってさ
海援隊さんの歴史好きは理解できたよ
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