星野仙一と大阪物語
50代前半  岡山県
2018/01/08 15:36
星野仙一と大阪物語
1月4日に、死去した

「燃える男」「闘将」と呼ばれたプロ野球楽天の副代表「星野仙一」さんが

2003年の阪神タイガーズの監督として

18年ぶりにセリーグ優勝したあとの

大阪の方なら、ご存じでしょうが


優勝パレードが「御堂筋」

大阪市の北の玄関口「梅田」と南の玄関口「難波」で結ぶ全長4027m

で熱狂した関西周辺の方が道路いっぱいに

歩けないほどの人々が興奮と拍手で

選手の車通過するのを待ってた記憶があります。

当日は

雨が降ってカッパや傘指してすごいことになってました。

自分は


南の中心地「心斎橋」に


1Kのマンションに住んでたので

兄の事務所から椅子を持ち出し、椅子に立って見物しました。


直ぐ上の兄が繊維商社の経営者として

同じマンションに店舗構えてました。。(´∀`*)ウフフ



関西人は「70%?」はタイガーズの熱狂的なファンだと思います。

星野監督のパレード車が近寄ったので

興奮しました。


(明日は倉敷市美観地区にある

「星野仙一記念館」にウオーキング兼ねて

ご冥福と記帳に行きます。)


約10数年住んでたのですが

食料品が高くて、

会社が兵庫県の「尼崎市」にあるため

市営地下鉄「御堂筋線」とJR神戸線を利用して通勤してました。

仕事が終わると

JR立花駅周辺の安いスーパーで買い出しして

自宅で調理するか


あはっ、料理はテレビの番組や教本を購入しましたので

上手ですよ。

女性は不要デース(笑)(笑)(笑)


会社の同僚達と、駅の周辺の立ち飲み屋で

週に3日程、夕食兼ねてお酒を飲んだものです。


1か月に1回ほど

兄が住んでる「奈良市」まで

私鉄の「近鉄」使って

1泊2日で美味しい家庭の料理とお酒を飲みました。



いまは

「大脳動脈瘤非破裂」の大手術と

指定難病「潰瘍性大腸炎」のため

余程のことない限り

「禁酒」「禁酒」してますが

当時は

酒豪家系なため、毎日、浴びるほどお酒を飲んでましたよ

ヾ(≧∇≦)


大阪はお金があれば楽しく暮らせます。アハッアハッ

無駄使いはあまりしてないけど

暇な時は

「大阪城」に自転車で約30~40分かけて運動してたし

パチンコもしてました。

パチンコは「攻略会社」の教本を取り寄せて

朝から晩まで遊んでました。

しかし

最終的には

「遠隔操作」??で大敗北でした。(笑)


ウインズ梅田とウインズ難波で馬券をよく購入しましたが

殆ど、外れました( ̄◇ ̄;)



ばらばらな日記になりましたが

閲覧いただきありがとうございます。


-------------------------
人生のどんな隅にも、どんなつまらなそうな

境遇にも、やっぱり望みはあるのだ

     ↓

恵まれない境遇にいても

全くの絶望とゆうことはない。

人間はけっこう強いもので

苦しいながらも一縷の望みを抱いていれば

そこから未来へ道が開けるもの。
コメント不可

…━…━…━…

無料会員登録はコチラ

…━…━…━…