瀬戸大橋開業 30周年
長文になります。
1988年4月10日
四国と本州が長年の夢だった鉄道、道路が直結された。
少しだけ、経緯を書きますね
開通の機運が高まったきっかけは
1955年に国鉄宇高連絡船「紫雲丸」の事故。修学旅行中の児童含む168名が命を落とした。
安全を求める世論に押され78年10月に着工。
88年4月10日に開通した。
四国と本州を繋がってるのは
「明石海峡大橋」.「瀬戸大橋」.「しまなみ海道」
の3か所である。
「瀬戸大橋」は上記の通り。
あとの2つは道路専用である。
自分は
家庭の苦しさで、大学での学業は適度に
多種類のアルバイトを経験して
地元の北九州市の中小企業の会社に入社した。
営業として頑張ったが
給料が安いのに、奨学金返納があるし
遊びたい年頃なため、給料の高い会社がないか
探すことにした。
大手企業が「四 国」で現地採用の募集をしてることをある方から知った。
会社には内緒で
面接だけなので履歴書等準備して
不採用覚悟を念頭に♪
交通手段を調べ上げ
費用負担を最小限にするため
小倉の砂津港から松山の高浜港にフェリーの
船中泊した。(笑)
本題に行きます。
四国は孤立した所なため
当時の年末年始、ゴールデンウィーク、お盆休みは
大変なことだったようです。
すべての方は、大型フェリー、高速艇に乗って
片道、約1時間以上かかって目的地に
荷物掲げての移動手段であった。
面接では
なんとか、うまく行き、中途採用として勤務することになった。
いざ
勤務すると、北九州市があまりにも、都会だったことから
めんくらった。
まったく孤独で、上司が厳しくて
良く聞いてみると
支社長が若くて、当時の社員が4名が退社したそうだ。
そのおかげで、採用されたようだ。
社内の雰囲気は
おどおどする毎日で、行き苦しかった。
営業するに当たり
新商品や新規用途の社内講習会が
本州の各地で開催されるため
本州を渡るのに
船中泊で大阪港へ上陸。あとは、適度に電車を利用。
新居浜駅から高松駅に電車に乗り、宇高連絡船で岡山に上陸したものだ。
年末、GW、お盆休暇は
早く帰りたい場合は、今治~三原の高速艇利用。
もしくは
松山~小倉のフェリーで利用した。
出張の場合は、会社より支給されるが
帰省の場合は個人負担なため
余裕があれば、時間があまりかからないコースを選択した。
勤務地は
「新居浜市」であったが
余裕がないため
女性との交際はまったくなかった。(。-∀-),w,w
幸い、3年弱で
山口県宇部市になったので
大変に嬉しかった。
∧_∧
( ´∀` )っ
(ウレシイナ¶
| (⌒)
★⌒★
なにか、ばらばらの日記になりましたが
「瀬戸大橋」はすごく、交通便には便利である。
岡山から四国への出張は楽しいものです。