瀬戸大橋開業 30周年
50代前半  岡山県
2018/04/10 13:43
瀬戸大橋開業 30周年
長文になります。

1988年4月10日

四国と本州が長年の夢だった鉄道、道路が直結された。


少しだけ、経緯を書きますね

開通の機運が高まったきっかけは

1955年に国鉄宇高連絡船「紫雲丸」の事故。修学旅行中の児童含む168名が命を落とした。

安全を求める世論に押され78年10月に着工。

88年4月10日に開通した。

四国と本州を繋がってるのは

「明石海峡大橋」.「瀬戸大橋」.「しまなみ海道」

の3か所である。

「瀬戸大橋」は上記の通り。

あとの2つは道路専用である。



自分は

家庭の苦しさで、大学での学業は適度に

多種類のアルバイトを経験して


地元の北九州市の中小企業の会社に入社した。

営業として頑張ったが

給料が安いのに、奨学金返納があるし

遊びたい年頃なため、給料の高い会社がないか

探すことにした。


大手企業が「四 国」で現地採用の募集をしてることをある方から知った。


会社には内緒で

面接だけなので履歴書等準備して

不採用覚悟を念頭に♪


交通手段を調べ上げ

費用負担を最小限にするため

小倉の砂津港から松山の高浜港にフェリーの

船中泊した。(笑)


本題に行きます。


四国は孤立した所なため

当時の年末年始、ゴールデンウィーク、お盆休みは

大変なことだったようです。

すべての方は、大型フェリー、高速艇に乗って

片道、約1時間以上かかって目的地に

荷物掲げての移動手段であった。


面接では

なんとか、うまく行き、中途採用として勤務することになった。


いざ

勤務すると、北九州市があまりにも、都会だったことから

めんくらった。

まったく孤独で、上司が厳しくて

良く聞いてみると

支社長が若くて、当時の社員が4名が退社したそうだ。


そのおかげで、採用されたようだ。

社内の雰囲気は

おどおどする毎日で、行き苦しかった。


営業するに当たり

新商品や新規用途の社内講習会が

本州の各地で開催されるため


本州を渡るのに

船中泊で大阪港へ上陸。あとは、適度に電車を利用。


新居浜駅から高松駅に電車に乗り、宇高連絡船で岡山に上陸したものだ。



年末、GW、お盆休暇は

早く帰りたい場合は、今治~三原の高速艇利用。

もしくは

松山~小倉のフェリーで利用した。


出張の場合は、会社より支給されるが

帰省の場合は個人負担なため

余裕があれば、時間があまりかからないコースを選択した。


勤務地は

「新居浜市」であったが

余裕がないため

女性との交際はまったくなかった。(。-∀-),w,w



幸い、3年弱で

山口県宇部市になったので


大変に嬉しかった。

   ∧_∧
  ( ´∀` )っ
   (ウレシイナ¶
    |   (⌒)
    ★⌒★


なにか、ばらばらの日記になりましたが

「瀬戸大橋」はすごく、交通便には便利である。



岡山から四国への出張は楽しいものです。


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