3月12日は何の日?
今日 3月12日は何の日?
実は、10年前の今日の午前中に
痴ほう症、脳梗塞、肝臓がんで長期にわたり
入院してた実の母が死亡した日である。
幸い、
北九州市小倉区の実家から
博多まで毎日 2時間かけて通勤してたので
母の最期を見ることが出来た。
でも、
尼崎市(兵庫県)から転勤したのが
前年の7月であるが
実姉に最初に連れられて
老人専門の療養所に行って、母と対面したのは
5年ぶりかも知れない。(記憶がなくてーーーー)
母を久しぶりに見た時は
元気そうに見えたが
「かあちゃん、〇〇だよ♪」
「わかるかね?」
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母は何も言わずに、笑ってるだけだった。
事前には聞いてたけど、余命半年とのこと♪
そうこうしながら
月曜から金曜日までは辛い通勤のため
疲れで、病院へは見舞いには行けなかった。
土曜は必ず、
姉とタクシー使って病院へ♪
様子見ても、
母はまったく、「一 言」も口に出さなかった。
食事は「胃ろう」である。
ほとんど、ネタきりで、わずかに動く手でお腹を叩いてるだけ♪
日増しに、体力が落ちており、顔の色はどす黒くなってる。
姉は毎日、お見舞いに行ってるので
私が、会社から帰宅した時に
料理は、私が好きなため色んな種類を調理。
∧∧ ∩
<●/●-、___
/<_イタダキマ~ス____/
ウマイヨー★
食事中に母の状態を聞いたが
やはり、言葉が出ないそうだ。
産まれ故郷なため、
兄弟( 男 6人 女 1人)のうち
4人は小倉区に住んでたので
休みの日はよく会って、母のことを中心に話したもんだ。
3月12日の4時半ごろに
姉がーーーーーー
「お母さんが、血圧が50ぐらいに下がり、病院より危ないとの連絡があったよ」
私
「あれー、そうか、直ぐに病院へ行かなければーーーー」
病院へ到着して
慌ただしい、看護師の動きがあり
母が危ないと、はっきりわかった。
時間経過して
兄弟たちも、病院へ駆けつけて来た。
もう、病院は延命治療はしなかった。
呼吸が何十秒止まることがあり
もはや、どうしようもないけど
「かあちゃん、がんばれ♪」
しかし、
8時~9時過ぎに、息を引き取った。
天国にいる、父のもとに逝ってしまった。(涙)
長くなるので、省略します。
「孝行のしたい時分に親はなし」
親孝行をしたいと思う時には、
もう親がこの世にいなくて
親が尊命中に孝行をしておくべきだったと
悔やみ嘆くこと。