7月26日??
今日 7月26日は何の日?
「ポツダム宣言記念日」
あー、すいません。
内容が堅苦しいので放棄してもかまいません。
よく誤解されているのですが、実は日本は分割統治されているのです。
我々はついつい現在の自分達の視点で物を見がちです。
日本という国は「北は北海道から南は沖縄までの日本列島を指す」と思い込んでいます。
日本史または現代史を勉強された方はご存じだと思います。♪
しかし、戦前の常識はそうではありません。
北はサハリン、千島列島から南は台湾まで、朝鮮半島も含めた広大な領土が日本だったのです。
現在の日本の総面積は37万8千平方キロ。
しかし戦前は樺太、千島列島、台湾、朝鮮半島を加え、実に72万平方キロの領土があったのです。
(ここは、大いに問題ありそうですね。解釈が違うかも知れません)
確かに日本は独立を認められました。
しかし、元々の連合国側の考えはそうではありません。
北海道・本州・四国・九州までもフランスやイギリスに分割統治させる案が存在していました。
さすがに終戦間際になればそこまで現実離れした案は取りようもなく、
それでも前例のない「国家への無条件降伏」という方式で連合諸国の委任統治という形を取ることにほぼ決定されていました。
ところが、昭和20年8月にソ連は連合国に断りもなく対日宣戦を表明、
更に「ポツダム宣言」を受け入れた日本に攻撃をしかけるというとんでもないルール破りを始めたのです。
元々アメリカは「北海道まで」はソ連に委任させるつもりでいました
ソ連のスターリンはルーズベルト大統領に絶対の信頼を受けていたのです。
ところが1945年(昭和20年)4月にルーズベルトは死去、ハリー・トルーマンが大統領に就任します。
戦後はソ連とアメリカのお互いの利益の乖離につながることを悟っていた
トルーマンはソ連に対して強硬路線を明確にしており、原爆の使用もソ連に通告して投下するという行為まで行っていました。
このままではアメリカに全てを奪われると焦ったスターリンは対日宣戦を決断し、武力行使を始めたのです。
実際には、トルーマンはルーズベルトの政策の継承を行うことを宣言していました。
確かにルーズベルト時代に外政担当だったトルーマンはソ連に厳しい態度を取っていましたが、
それは必ずしもルーズベルト時代の約束を反故にするという明確な意思があったわけではないのです。
それなのにスターリンは、焦って羊の衣を脱ぎ捨て狼の本性を現してしまった。
共産主義革命の最大の障害である日本帝国を排除するため利用していたアメリカに、
最後の最後でその正体を曝してしまったのです。
愕然としたアメリカは、北海道に原爆を落としてでもソ連の侵入を阻止するという強い態度を示します。
ソ連にとって、更に強力な共産主義革命の障壁が出現してしまったのです。
日本本土の本州・北海道・九州・四国を日本自身が統治している段階で、
「ポツダム宣言」受諾を指示したので
分断されずに済みました。
もし旧日本陸軍の主張していたように、本土決戦をしていれば、北海道にはソ連が侵攻し、本州・九州・四国にはアメリカが侵攻していたはずです。
そうなれば、北方領土のように
北海道はーーーーヾ(≧∇≦)
怖いですよね。
なお、1944年の「ヤルタ会談」が前提だとゆうことをつけ加えておきます。
日記は下書きしてました。