大人になるってどういうことなんだろうか論[指でOK][ぴかぴか(新しい)][!?]
40代前半  大阪府
2018/03/06 4:42
大人になるってどういうことなんだろうか論[指でOK][ぴかぴか(新しい)][!?]


久々にちょっと長い日記でも書こうかな。






子どもの頃の俺は色んなことを理解できず迷って悩んでいた。




「40歳くらいになったらきっと分からないことや悩みがなくなって楽なんやろうなぁ」と漠然と思っていた。




早く40歳になりたい。







そして40歳を越えた今の俺は思う。








話が違うではないか(´・ω・‘)。と。







40歳超えてもぜんぜん悩むし迷うし分らんし、まったく楽にならないじゃないか!と思いながら生きているわけです。






むしろ40歳超えてオナニーなんかしてるとはつゆとも思ってなかったし




40歳超えてチンコやウンコの話で腹筋が筋肉痛なるくらい喜んでる大人になるなんて当時は1ミリも想像してへんかったわ






金玉に白髪の陰毛を見つけて中年になったなって実感する時はあるけど、精神的に本当に大丈夫なのか?と我ながら心配する時がある。






年齢的には立派な中年なのに、仮に明日の朝に目が覚めて中2の春休みにタイムスリップしてても「あ!今まで夢見てたのか」って


普通にオカンのセシールの下着カタログをカバンに入れて学校に行ってそうな俺が怖いのである。






大人になるってどういうことなんだろうか。






俺は「深い悲しみを経験」した数ほど大人になっていくと思っているのである。





そういう意味では俺は「悲しみ」の経験は少ない方だと思っている。







まぁ悲しみも人によって尺度が違うから一概には言えないんだけど俺の考える深い悲しみの一つは近しい人を失う「死」の経験である。







俺は子どもの頃に祖父と祖母を亡くしてからいわゆる近しい身内の「死」に直面した経験したがない。








唯一の親である「オカン」は人魚の肉でも食ったんじゃないか?と思うほどピンピンしてる。(ありがたい話なんだけどね)









40歳も超えると友達の親御さんもぼちぼち鬼籍に入られる方も多くなり、葬儀に行けば友人は悲しみに暮れている。






でもその近しい人を失う悲しみを乗り越えて人は精神的に成長し大人になって行くのかなって思っているのだ。









学生時代に学童保育のアルバイトをしてる時も、お母さんを交通事故で亡くした小学生が悲しみの果てから立ち直って前を向こうとする姿を見たときに俺なんかよりも十分大人やなって思ったからね。







俺が28歳の頃、身内ではないけど、ものすごく辛かった死を経験したことはある。







親友でもあり幼馴染でもあるYの奥さんが亡くなった時である。







親友Yの奥さんとは17歳の時に出会った。






日本でも数少ない生まれつきの先天性の病気を持っている女の子。でも前向きで常に明るく正しくひまわりみたいな女の子で俺の人生に多大な影響を与えてくれた女である。







この奥さんとのエピソードだけでも50本は日記に書けそうだけどあえて割愛する。







紆余曲折があって俺の親友であるバカでド変態のYと結婚したのである。





その奥さんが亡くなったと電話があったのはYからの電話だった。






真夏の朝だったけど一瞬にして蝉の鳴き声が聞こえなくなり目の前が真っ暗になり全身に冷や汗が出た。



その日が近いことはわかってたつもりだったけど・・・








葬儀の日、Yは涙は流さなかった。



俺はウミガメみたいに泣いたけどな。





涙も流さず凛としていたYを見て

(Yはすでに大人やな・・・)って思ったのである。






奥さんを亡くしてからもYはすぐに引っ越さず、しばらく奥さんと住んでいたマンションで暮らしていた。





Yが寂しいやろうからってしょっちゅう酒を持ってお邪魔した。





まずは線香をあげてから酒盛りを始めるのがお決まりのパターンだ。



ちなみに聞かれたなく無い下ネタ話を始める時は遺影を反対向けたりしてな。(生前にディズニー好きだった彼女の前でミッキーのシルエットはチンコだからディズニー好きの女は、もれなくチンコが好きなんだと話して死ぬほどキレられたから)






Yとはしょっちゅう飲んだけどあんまり奥さんとの思い出話をすることなく日々は過ぎて行った。


(Yは悲しみを乗り越えてて大人やな・・・俺ならすぐに引っ越したくなるのに。)





それからYはそのマンションに1年くらい住んでたが2LDKを持てあまし遂に一人暮らし用のマンションに引っ越しをすることになった。








引っ越しの日は俺も手伝いに行った。




色んな思い出の品が出てきて胸に込み上げるものがあった。



しかしYは淡々と荷造りをしている。







荷物を全部トラックに積み込み、後はドアを閉めて鍵を大家に返すだけ。




俺:「先に出てるで」



Y:「うん、わかった」




俺は先に部屋を出た。





ところがYが全然出てこないのだ。








するとドアの向こうから




聞いたこともない大きな嗚咽が聞こえた。


何事かと思ってドアを開けて部屋の中を見た。










俺はアホやった。



悲しみを乗り越えているわけがなかったんや…







Yはリビングの床にへばりつき、子どものように大声で泣きじゃくってるのである。







葬儀の時も普段の時も、Yが泣かなかったのは奥さんの死に実感が無かっただけのかもしれない。







1年という時をかけてYは彼女を失ったことを実感し彼女との思い出の詰まったマンションを去る時にその悲しみが一気に波となって押し寄せたのである。






奥さんの名前を大声で連呼し号泣している姿をみて俺もまたウミガメのように泣いた。





彼女を失った経験で俺は大人の階段を少し上り、Yはもっと高く大人の階段を上っていたのである。





あれから十数年。


今でもYは独身である。






「俺はもう結婚はせえへんで」




違う意味で独身を謳歌し変態とバカに磨きがかかていて幸せそうではあるがなw








誰もが永遠の命である不老不死に憧れる。




しかしそれはただただ愛する人を永遠に見送らなければならない拷問のような人生であると八百比丘尼伝説でも語られている。







そう遠くない将来、俺も近しい人を見送る悲しみを経験することだろう。



そのさらに先の将来、俺が悲しませるかもしれなし俺が悲しむかもしれないパートナーとの現実もある。






悲しいのはすごく嫌だけど、それが自然の節理でありそうやって悲しみを乗り越えて大人になっていくものなのかもしれない。






悲しみには人によって尺度が違うと言った。




俺にとっての悲しみは人の「死」だけど、「死」以外にも人生には悲しいことが襲いかかってくるのである。







だけど悲しいことだけが人生では断じてない。

悲しいこともあったけど素晴らしい人生だったと最後に笑えたら勝ちなのだ。



人生を楽しむために我々は明日も頑張って生きるのである。



悲しいことは忘れるのではなく胸に刻んで人生の肥やしにするのだ。



心から笑える日が必ず来る。



その日が来た時にきっと思うはずだ。


あの時期に、苦しかったのは、あんなに悲しかったのはこの日のためだったんだって




俺はそう信じて疑わない。







昨日、日記に書いた飲み屋で俺のすぐ後ろで悲しんでいる青年に語ってあげたいことだし

今悩んでいる悲しんでいる若者に伝えたい中年のオッサンからのメッセージなのだ。





・・・と偉そうに言いながら40歳超えても人生に悩むし迷うし分らんこと多いし、まったく楽になっていない俺が言うても説得力はないんやけどね。






たぶん




50歳くらいになったらきっと分からないことや悩みがなくなって楽なんやろうなぁと思っている。

(たぶんオナニーもしないし、チンコやウンコの話もせえへんやろ?)



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