みどりのバケツと赤いスコップ[ぴかぴか(新しい)][グッド(上向き矢印)]
40代前半  大阪府
2011/10/18 7:07
みどりのバケツと赤いスコップ[ぴかぴか(新しい)][グッド(上向き矢印)]
20代の頃から俺の寝室の枕元には台があって、その上にいつもノートとペンが置いてある。



何ノートかというと起きている時に出てこない、企画の発想であったり

コピーやデザインなどのアイデアが寝る寸前や夢の中で突如として降りてくることがあるから


次の日に忘れないように、すぐアイデアを書き込めるようにしているのである。



書きこんだ日の朝に改めてノートを見返すんだが


いかんせん意識が朦朧としている状態で書き込んだフレーズだから、例えば




『“イララン”とは伊良部のランニングホームランなのだ!』



『苦い乳首は奥歯でかんだらええねん』



『全印が震撼したカレー』



いったい俺は無意識のうちに何をメッセージとして残したかったのか


自分のことながら、さっぱりわからない時がある。




こんなわけのわからんことを書き込んだノートが今は何冊もあって、


暇な時や仕事で煮詰まった時に見返す時があるのだが、昨晩久しぶりに


『みどりのバケツと赤いスコップ=夢と希望』


と書いたノートを見返した。



これは、20代最後の歳に、当時、夢に見た光景を書き込んだ想い出深いフレーズである。



とても不思議な夢であった。




触れたことがあるが、俺の家庭環境は少し複雑であった。



産まれた時から父親の顔を知らずに育ち、母親も色んな事情があって幼少期に俺と接することができなかった。



幼少期の俺は施設や親族の家をタライ回しにされる生活だった。



タライ回しと言っても、悲惨な境遇のものではなく、どこの親戚達も俺を本当の家族のように迎え入れてくれていた。



ただ、本当に変テコな子どもだったらしく、色んなモノを持ちかえるクセであったり


言葉を発さず、感情を外に出すことも無かった。



叔母の旦那さんが俺の方を見ながら


「この子は人の心を持ってないで・・・」


ってため息交じりに言われたのは、幼心に鮮明に覚えている。



また、この頃は原因不明の偏頭痛と嘔吐に苦しめられていた。


障害があるんじゃ無いかと疑われ何度も脳波の精密検査を受けさせられたし


山伏から「キツネ憑き」のお祓いみたいなのもされた記憶がある。



まぁ、今でもアルバムを見返すと無表情でアホみたい顔したチビりょうまである。



ある日、オカンが、当時の俺を振り返って話をした時、いかに俺が変テコな子であったのかを語ったあと


「友達もできんと、いつも一人で公園で遊んでたんよ。」としみじみ呟いた。



俺は即座に反応したのである。


「ちょっと待ってくれオカン。俺、公園に友達おったよ。」



偏頭痛と嘔吐が治まりかけていた、あの頃、俺には公園で毎日、一緒に遊んでいた同じ年齢くらいの友達が存在したはずなのである。



ただ、名前も顔を全然、思い出せない。


オカンに聞いても首を傾げるだけだし、親戚たちに聞いても、そんな友達はいなかったという。



ただ、曖昧な記憶の中では、小学生になってクラスの友達ができるまで、


ずっとその思い出せない友達と公園で遊んでいたような気がするのだ・・・



あまりにも気持ち悪いので色々、調べてみると幼少期はイマジナリーフレンドといって

空想の脳内だけにいる友達を作るケースがあるらしい。



(イマジナリーフレンドだっのかな?)


どこか腑に落ちない感じを残しつつ、すっかりそのことを忘れていたのであった。




そして俺が29歳の頃。


この頃は今振り返っても、どん底であったと思う。



信頼していた人間の裏切り、

それにより軌道に乗りかけていた事業がボロボロになり

母親の病気や親族間のトラブル

恋人との関係

友人の死・・・・


何より、一番生きる根拠にしていた夢や希望を見失ってしまい、甘いんだけど世界で一番俺が不幸じゃないかとさえ思えた時期であった。



周りには仲間はいた。



だけど、多くの仲間の中にいながらも常に孤独感も同時に抱えていた。



「もし俺が本当に困った時に仲間は俺を助けてくれるんだろうか。逆に仲間が困った時に俺は助けてあげるんだろうか」


笑顔で仲間と接しながらも心の中は猜疑心の塊であった。



今、振り返っても本当に困った時に誰にも相談することができなかったのは、俺の「強さ」ではなく「弱さ」だったと思う。




そして久しぶりに「偏頭痛と嘔吐」に悩まされる日々が続いた。


そんな精神も体もボロボロな時に夢を見たのである。



今でも鮮明に覚えている夢。



どこか懐かしい雰囲気のする公園。


俺が幼少期に遊んでいた公園である。


そこにはアルバムに写っていた幼少期のチビりょうまが一人で砂遊びをしてる。



近づいて行くとチビりょうまはチラリと俺を一瞥するとプイっと顔を背けて再び砂遊び。



噂にたがわぬ無愛想な子。



砂場から立ち上がると、チビりょうまがブランコに走りチョコンと座る。



口では言わないが「遊んでくれ、背中押してくれ」のかまってチャンアピールである。



俺だからわかるのだ。




仕方が無いのでブランコにのるチビりょうまの背中を押してあげた。



とっくにこれが現実では無く夢の中であることは理解している。だけども、もうちょと夢の中にいたい気分であった。



ブランコに乗り行っては戻る、チビりょうまの背中を押しながら



「チビりょうま、なんか可哀想やな。きっとお前は寂しかったんやろうな。・・・」



チビな小さい背中を見てると


なんだかボロボロ泣けてきた。



普段はほとんど泣かない俺だけど、


泣ける時は、ここぞとばかりたっぷり泣くことにしてる。




ワンワン声出して泣いてると、チビりょうまが心配そうに俺の顔を覗き込む。



そして俺の顔の前に差し出したのが「みどりのバケツと赤いスコップ」であった。



チビりょうまは受け取った俺の顔を見て小さく笑うと踵を返して走り去って行った。



バケツとスコップが何の意味か今もわからない。



だけど青臭くて、すっごく恥ずかしいんだがその時に思ったのが



「今は空っぽのバケツの中を夢と希望でいっぱいにしたるわい」だった。




目が覚めて、涙でグチャグチャになった顔で汚く書き込んだのが冒頭の一文。


『みどりのバケツと赤いスコップ=夢と希望』であった。



この夢を見て以来、なぜか不思議と前向きになれるようになったのである。



ふと今でも思う時がある。


幼少期に俺が遊んでいた友達って


実は俺自身だったんじゃないかと。


寂しくて孤独だったんだと思う。



でもそれを表現できず、頭痛と嘔吐に苦しんでいた俺を救おうと現れたのがイマジナリーフレンドとしてのもう一人の俺だったような気がする。



そして20代にしてまた自分がピンチの時に、自分自身を救おうとチビりょうまが現れたんだと信じている。




今は仲間は本当に困った時に助けてくれるものだと俺は実感してます。



今、孤独に色んなことと向き合いながら悩んでいる人って多いと思う。



「人間一人では生きれない」

んなわかりきったことはあえて言わない。

みんな本当はそう思ってる。


だけど、長い人生、一人で闘って孤独に悩むしかないこともあるもんな。


人に騙され続けて極度に他人を信じられなくなって孤独に悩んでいる人も大勢いると思う。




そんな人でも


例え他人から見捨てられても、例え誰も助けてくれなくても


自分だけは自分を見捨てないんじゃないかと思うねん。



俺が幼少期や20代に自分を守るために自分自身によって救われたように


今、色んなことで悩んでいるあなたも、自分自身だけは、あなたを絶対に見捨てることなく最後まで、そばにいて助けてくれるはず。



だから、大丈夫やで。



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