奈良県の山奥に廃校になった小学校を改築して宿泊施設にした場所があった。




その施設の裏には渓流があって、そこでアマゴが釣れることもあり




２０代の頃は毎年その宿泊施設を利用していたのである。






当時は携帯の電波も届かないような場所で



小学生の時代にタイムスリップしたかのようなノスタルジックな雰囲気に包まれながら、夜は運動場でＢＢＱなんかして非常に俺好みの場所である。





その施設には、作業着に身を包んだ「管理人」なる爺さんが数人いた。





すっかり顔馴染みになっていて世間話もよくするのだが、



何が困るってここの爺さん達の会話の中心が「アレ」と「ナニ」しか使わない点であった。






主語述語が無い会話。



アレとナニだけなので何がなんだかさっぱりわからない。







特に一番古い管理人さんは顕著にそれが出てて、



ある日、すごい現場を目撃したのだが





他の管理人さんに「えーっと、今日はアレでナニしといて」って願いする。





すると驚いたことに、若い（といっても６０代）の管理人さんは





「はい、わかりました」とホウキを持って玄関を掃除しだした。





「アレでナニしといて」だけで彼は「今日はアレ（ホウキ）でナニ（玄関の掃除）しといて」と理解したのである。






俺はすっかり感心してしまった。





昔、先輩上司から口をすっぱく言われたのは「言葉だけに頼るな」という事を思い出したのである。






実はコミュニケーションをとるうえで

言葉ってそれほど重要ではないらしい。






これは『メラビアンの法則』と言って


コミュニケーションと言えば言葉が重要だと思われるが


コミュニケーションの正否を左右する要素は、実はボディランゲージと声の使い方が半分以上だそうだ。




・言葉……7％

・声の使い方……38％

・ボディランゲージ……55％






そういえばあの爺さん、手でホウキを掃くような仕草をしてたかも・・・






その夜、校庭でＢＢＱをしてたら、その古株の管理人さんがやってきて




「そのＢＢＱが終わったら、アレをナニしといてね」と言って家に帰ってしまった。



他の仲間は「ポカーン」である。




しかし俺は爺さんの動きを見逃さなかった。


手で何かをゴシゴシしてた風だった。




「ＢＢＱをしたら網とコンロを洗っとけってことやな」






俺たちは「アレをナニしとけ」の言いつけどおり全部、綺麗に洗った。






そして次の日―





「勝手なことするな」と管理人さんにえらく怒られた。






結局「アレ」を「ナニ」して欲しかったのか深層は闇の中である。




朝に注意深く観察したんだが



管理人たちはボディランゲージと声の使い方は一切変えずに、たんたんと「アレ」と「ナニ」だけで会話をしていた。




ジジイにならないとわからない秘密の共通言語があるのかもしれない。






あの施設に行かなくなって早１０年以上。




気が付けば俺もすっかり中年のオヤジになってしまった。





こないだ後輩の一人に今進めている企画の進捗状況を尋ねた。





後輩が「？」っと不思議な顔をして俺を見つめている。



俺も「？」となって、しばらく見つめ合う状態となった。








俺はまったく自覚は無かったんだけど



後輩に確認するとどうやら俺は








「アレはナニできたか？」と彼に聞いたらしい。








最近、加齢と共に言葉が出なくなると自覚しているんのだが、遂に俺は「アレ」と「ナニ」を使い始めるようになったみたい。






とりあえず「？」って顔した後にニヤっと笑った後輩にイラっとしたので



「言葉だけに頼るな」と𠮟っておいた。





昔、同じように言葉が出なくなった先輩に、俺が𠮟られた言葉である。






このまま年齢と共に俺は言葉をドンドン失って行くのだろうか。





やがて「アレ」と「ナニ」だけの世界で生きなければならないのかと思うと正直ゾッとした。






１０年前の当時の宿泊施設を想い出した。




一番古株の管理人が体調不良でその年が最後のお勤めだと聞いたので、


「お別れ会」もかねて他の管理人さんも交えてみんなで一緒にＢＢＱをした。





もう「アレ」と「ナニ」ばっかりの会話だけど酒が入ると関係ない。




終盤になるともう酔っ払って、酔っ払って



ジジイ達と下ネタ中心の猥談で大盛り上がりだった。





順番にトークを回した「最後にしたセックス」ってお題がかなり盛り上がった。





管理人のジジイ達は、相変わらず会話は「アレ」と「ナニ」ばっかだったが、やっぱりいくつになっても下ネタが大好きな男子である。



男はどうしようもない。




ただ少し気になったのが






何なら本来一番、「アレ」と「ナニ」を使わないといけない会話で










「ちんこ」「まんこ」は、はっきり発言していた。







年老いて言葉を忘れ「アレ」と「ナニ」だけになっても、どうやら、下ネタ関係の言葉や好きな言葉はずっと覚えてるみたい。





俺はその時の光景を思い出して一安心した。




将来いくら年をとっても






「オッパイをナニしてアレさせて」





これだけ言えたら、俺は十分幸せなのである。