子の心、親知らず
40代前半  大阪府
2016/01/29 3:18
子の心、親知らず




恋などをした時に起こる俗に言う「胸キュン現象」とうのは、医学的には「情動性自律反応」というらしい。







胸キュンというラブリーな表現から

なんて無機質な名称になるのだろうか。








もうこの年齢になると「胸キュン」はさすがに無くなったが、いわゆる「情動性自律反応」ではないかと思われる現象は時々起こる。







一種のフラッシュバックというべきか、ある特定の場面が急に頭に浮かぶと



胸がキューっと締め付けられてその場から動けなくなってしまうのだ。







その場面とは―








「夕焼け、三角の小さな公園、ブランコ、フェンスに立てかけられた竹馬」









その場所がどこなのか、どういう場面だったのか記憶は定かではない





ただ俺の幼少期の記憶だったんだろうとはおぼろげながら覚えていた。










たまに通りかかったその場面と似たような公園に遭遇しても、同じく「情動性自律反応」が起こり胸がキューっと締め付けらてしまう。







なんだか非常に気持ちが悪い。









昔から「親の心、子知らず」ってことわざがある。







実は俺は「子の心、親知らず」というケースの方が多いのではないかと思っている。










最近、痛ましい子どもへの虐待事件が多すぎて気が滅入ってくる。




虐待を繰り返すバカ親は、幼い子どもには痛みが無いとでも思ってるのだろうか?




体の痛みだけではない。


親に傷つけられた心の痛みは計り知れないだろう。








俺はあまり日記では家族の話は書かないつもりだったけど、ちょっと思うところがあったので今日は書きたいと思う。






だいぶ前の話。





うちの奥さんが病気をして2週間ほど病院に入院することになった。






ちょうど俺も仕事が忙しい時期で一週間ほど2歳半になる息子を奥さんの実家に預けることになった。







1週間も母親から離れ別の家に預けるなんて初めてのことだから、当初は不安だったがやむえない選択であった。








毎日、義母に電話をした。



「大丈夫やで、毎日元気に遊んでるよ」





ホっとした。





毎日、泣くこともグズることも無く機嫌よく暮らしているという義母の言葉で安心した俺は





当初の一週間から延長して10日ほど面倒を見てもらうことになった。







息子を預けて10日目の夜。





両親への手土産とアンパンマンのおもちゃを買って息子を迎えに行った。






(どんな顔して俺を見るんやろか?テンションすごいかな?)







10日ぶりに再会する父子。





息子は俺の顔を見てニヤっと笑うと特にテンションに変化はなく、むしろ俺を無視して車のおもちゃでお爺ちゃんと遊んでいた。






(久々のお父ちゃんの再会やのになんちゅー薄情なやつや!!)内心ムっとしてしまった。







義母はニコニコしながら






「○○ちゃんは本当に偉かったよ、泣くこともないし毎日楽しそうに遊んでたよ」




その話を聞いて




母親も父親もいないのに

子どもは能天気でいいなぁ~と思った。





そしてお世話になりました!と両親に挨拶をして息子を家に連れ帰った。






家に着いた。






いつもなら電気を付ける前に子供部屋にダッシュしておもちゃで遊ぶのだが、なぜかリビングから動こうとしない息子。







どうしたのかと思ってリビングの電気を付けると








息子は大粒の涙をポロポロ流していた。




何事かと思った。







「パパ・・・パパ・・・」





息子は俺の脚にしがみつくと「パパー!パパー!」とこれまで聞いたことがないほど大きな声で泣き叫んだ。















俺はバカだった。






子どもが能天気なはずはなかったのだ。







母親と父親もいない10日間ずっと不安で寂しくて苦しかったのは息子だったのだ。







きっとずっと我慢していたのだ。






義母と義父に心配をかけないよう大人に配慮していい子にしていたのだ。





その緊張が解き放たれた安堵感から俺の脚にしがみついて泣いているのだ。






まだ2歳半という小さい頭で色んなことを我慢して考えてたんやな。








そう思うと何だか俺も泣けてきて、息子を抱いて一緒にワンワン泣いた。












ある日、実家に帰った時に俺の「情動性自律反応」についてオカンに訪ねたことがある。








「“夕焼け、三角の小さな公園、ブランコ、フェンスに立てかけられた竹馬”

これについて何か俺に由来する場所はある?」






オカンは一瞬ギョっとした顔をした。







何度か日記では触れたことはあるが、俺は非常に複雑な家庭環境で育った。







俺が幼少期の頃はずっと祖母の家に預けられていたのだが





その当時の祖母の家の裏が、ちょうどフェンスで囲まれた三角の小さな公園でブランコがひとつだけあった公園だったそうだ。







3歳の俺は毎日、日が暮れるまでそこで遊んでいたらしい。







月に一回程度オカンが仕事を終えて夕暮れに俺を迎えに来ると、俺はブランコから飛び降りてダッシュでオカンに抱きつき、そして泣いていたそうだ。








その場所の光景は今でも俺の胸を締め付けるのだが、




実はオカンも同様その場所に胸を締め付けられていたという事実をその時に知った。







俺たちは役割の社会で生きているんだと思う。




例えば家族でいえば「妻・夫」という役割であったり、「お母さん・お父さん」という役割であったり―






時にはその役割がしんどい時があったりする。





でも俺たち大人はその役割を一時でも忘れたり下ろしたりできるのだ。







彼氏や彼女がいる人はその人の前では役割を下ろしてるかもしれない。





趣味や自分だけの世界に埋没して一時、役割を忘れている人もいるかもしれない。





俺みたいに酒だオッパイだとチャランポランに人間失格になってる人もいるかもしれない。





でも「子ども」という役割は大人になるまでずっと「子ども」なのだ。




割が悪い役どころの「子ども」であってもそこから逃げれない。




ただただ成長するまで、親を信じて親を愛して生きるのである。




俺もアンポンタンな父親なりに子どもが成長し大人になるまで

しっかり守っていきたいなと強く思う今日この頃なのである。








ちなみに今でも通販の下着カタログを見ると


下半身がキューンとしてしまう時がある。










まだ今ほどオカズが無かった中学2年の時、オカンのセシールの下着カタログでせっせとオナニーしてた思い出が「情動性自律反応」してるのだろうか?







ある意味「子の心、親知らず」である。
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