日韓関係は修復に向うのか?慰安所職員の日記発見=朝鮮人男性、ビルマで記述
第2次世界大戦中、ビルマ(現ミャンマー)とシンガポールの慰安所で事務の仕事をしていた朝鮮人男性の日記が韓国で発見された
慰安所職員の日記が発見されたのは初めて
男性は1905年生まれで79年に死去した
韓国の博物館が数年分を欠いた22~57年の日記を古書店から入手した
内容自体は予想の範囲内で、慰安婦は民間の売春婦だった、逆に完全な奴隷状態だったという日韓の両極端の主張のいずれも否定する内容らしい
慰安婦にお金が渡っているが、自由に働けるわけではなく、軍の命令で移動や復帰をしなくてはならない人がいた
管理された売春制度という印象だ
契約してからは抜けられないという点では、きつい言い方だが「性奴隷」と言われても仕方ない部分もありそうだ
両国が歴史資料を真摯に受け止め、解決してほしいものだよ
慰安所職員の日記の抜粋
「1943年」
1月9日 検査の結果、病中の○千代と○子の2人は不合格でそれ以外の16人は皆合格した
1月13日 連隊本部の医務室へ行って衛生サック(コンドーム)1000個を持ってきた
1月16日 連隊本部の事務所で頼んだ出張証明書をもらい、今夜20時に出発しろということだった
2月28日 文楽慰安所は私と一緒に来た朝鮮忠州の人・新井清次氏が経営している
3月14日 金川氏は司令部の命令に逆らえず、慰安所を移すことになり、18日には出発するという
7月10日 去年の今日は、釜山で乗船し、南方行きの第一歩を踏み出した出発の日である
7月19日 インセンにある航空部隊の慰安所2カ所が兵たん管理に移譲されたという
7月29日 夫婦生活をすることになって慰安所を出た春代と弘子は、兵たんの命令で再び慰安婦として金泉館に戻るようになったという
8月5日 兵たんから通知が届いたが、隔離が解除されても、9日の検査後に営業を開始しろということだ
8月13日 鉄道部隊で映画の上映があって慰安婦たちも見てきた
8月26日 兵たん司令部に行って5日間の日報を提出した
12月3日 ラングーンで慰安所を経営していた金田氏は慰安婦を募集するため朝鮮に行ってきたという。そして慰安婦25人を連れてビルマに帰る途中にシンガポールに到着したとのことだ
「44年」
3月8日 慰安婦を連れて市庁前の広場で挙行された大詔奉載記念式に参加した
4月6日 一昨年慰安隊が釜山から出発するとき、第4次慰安団の団長として来た津村氏が生鮮組合で働いていた
4月19日 きょいは公休日で慰安婦たちも全員外出する
10月27日 慰安婦の金○先が送る600円を本人の貯金から下ろし、中央郵便局で送付した