いつかその時が来るまで。
40代前半  埼玉県
2022/09/03 20:24
いつかその時が来るまで。
私は母が嫌いだ。


あの人はいつも口調がキツくて無愛想だ。



何かいつも怒っていて、

一緒にいる私はいつも萎縮してしまう。




私はお母さんと言わずあだ名で呼んでいる。

仲良しな母娘ではないからだ。




あの人は泣き虫の私と違って冷静沈着。

いつもつっけんどんで、どこか暗い。




あの人の口から" ありがとう "や" ごめんね "を

聞いた事がほとんどなぃ。




" いただきます "も、" ごちそうさま "も

言わない、家族には挨拶もしない人だ。




私の料理には、いつも5言の文句が付き物。

外食に行ったって、" 不味い "しか言わない。




機嫌が悪いと私に当たり散らし、

昔から私のやる事なす事全てにケチをつける。



とにかく文句の多い人だ。




褒められる事もなければ、貶される事ばかり。




甘える事も、優しい言葉を掛けてもらった

事もほとんどない私は、


" どうして母親なのに… " と


昔から、そして今もずっと苛まされていた。





でも、私はあの人の事を

他の誰よりも知っている。




あの人がどれだけ強い人かを。

どれだけ苦労してきたかを。

そしてどれだけ心優しいかを。




祖父母や実の両親にずっとお金の苦労を

虐げられていた。



あまり愛情のない家に育った。



今で言うちょっと毒親ならぬ、

言葉は悪いがいわく付きの家庭だった。




母は私の父と結婚してから、

もう35年以上パートで働いたお金を

家庭の事情で妹家族にずっと仕送りし続けてい

る。



それは死ぬまでしなければいけないと言っていた。


私達子供達にシワ寄せがこないようにと。





あの人が泣いているのを見たのは、

私の人生で4回程だ。




両親にお金が無い事を知っていた母は、

一生懸命貯めたパート代で、両親ならともかく

祖父母の葬式代を全て負担していた。




葬式の最中に母は声を押し殺すようにして

泣いていた。



小さいながら私にはわかった。



大切なお金が一瞬で亡くなる事への悔しさ。


" 悲し涙 "ではなく、" 悔し涙 " だった事を。






私の妊娠がわかり今の夫となる彼が結婚の挨拶を

しに来た。



「 ちなみさんを私にください 」

「 必ず幸せにします 」


と言って土下座をした時。




泣かないあの強い母が、少し口元を震えさせながら

涙ぐんでいた。






私が三年前に死のうとした時、

初めて母に弱音を吐いた。



夜中の2時。


公衆電話で、嗚咽にもならない声で


「 助けて 」と。



車で飛んできてくれた両親。



母は私の背中をさすりながら、


「 辛かったね 」


「 大丈夫だよ 」


「 大丈夫 」


「 お母さんはここにいるからね 」



そう言って私が泣き止むまで背中をずっと

ずっと摩ってくれた。




初めて聞いた優しい言葉に温かな手だった。



母親の手ってこんなにあったかいんだ…。







私達兄弟が小さな頃。


当時、一枚何十銭にもならないネクタイ裏の

ネーム付け。



毎晩遅くまで、針を一本一本刺しながら、

腫れる指を抑えて内職の仕事を続けていた。




小さな私はそのネクタイを、一枚一枚丁寧に袋に入

れて束にする、

とゆうお手伝いを、母の為ならと喜んでしていた。



何十円かのお小遣いを貰っていたが、

今ならわかる。



何十銭でやってるのにお小遣いなんてあげたら

お金になんないぢゃんか。







物心ついた時からずっと、誕生日やイベントの

度に、母の作るちょっと固くて甘さがない、

不格好なケーキが大好きだった。





私が元気がない時、落ち込んでいる時には、

何も言わずとも、好物のちょっとゴロゴロした

手作りコロッケが食卓に並んでいた。



それだけで私は明日も頑張ろうと思えていた。






私に子供が産まれてから、孫見たさよりも、

本当は私を心配して家に顔を出してくれたいた事も

わかっていた。





いつも厳しく私に言うのは、

苦労して何でも身に付ける術を

教えたいからなのも私は知っている。




あの人は愛情表現が下手なだけなんだよね。




そんなあの人に私はいつか抱きしめて

もらいたいと思っている。




そして私はあの人を抱きしめてあげたいと

思っている。




" お母さん、 私はあなたの娘で良かったと "




きっとそれはあの人が亡くなって、

叶う時って棺桶の中だろうと私は思っている。




でも、今61歳の母。



脚を引きずりながら掃除のパートをしている。




" お母さんはあと10年は生きないと思う "と

常日頃口にしている。



母親家系は寿命が短いのは事実だ。





生きているうちに、叶えられるかな。



ちゃんと " お母さん " と心から呼べる私に。
コメントする

コメント

50代前半  福島県

2022/09/04 0:07

6. お母様の事を良く理解してるんだなーと思います。
理解してるから嫌い、でも好きという複雑な感情になるのでしょう。
好き、嫌いという感情より、良く理解しているという方が、その人に対して1番なんだなと思います。
とても考えさせれて、とても良い日記を読ませて頂きありがとうございます。

50代後半  福岡県

2022/09/03 23:07

5. こんばんは(^^)
『いつかその時が来るまで』良い言葉ですね。
その思いがあれば、大丈夫!
きっと叶いますよ。

50代前半  埼玉県

2022/09/03 21:01

4. いつか、きっとその時が来るかと…

それまでは気にしないでいいかと…(*^^*)

50代後半  福岡県

2022/09/03 20:52

2. それは、多分ちなみさんがお母さんが苦手なだけだと思う。←(間違ってたらごめん)
ワシも苦手な身内がいるもん。
基本的にあんまり関わらない事にしてる。
お母さんは多分、ちなみさんとどう接したらわからないんじゃないかなぁ…
自分のために泣いてくれる人って親ぐらいなもんだよ。
偉そうにして意見してごめんなさい。

2022/09/03 20:44

1. ちなみさんこんばんは♪

この間、なにかの記事で母親と別居している40歳ぐらいの人が残りの生涯で母親と話せる平均時間は26日ぐらいと目にしました。

いつか、思いの丈を伝えれる日が来ると良いですね(^^)

…━…━…━…

無料会員登録はコチラ

…━…━…━…