大石 内蔵助
12月14日は 元禄のメインイベントとも言える
赤穂浪士の討ち入りの日・・
1702ですから
今から300年程前の話
その主役はなんといっても 大石内蔵助
内蔵助は 正妻りくとの間に 三男二女をもうけています
それ以外に 地元赤穂の隣の相生にひとりと
京都で放蕩しているときに
できた妾とで 2人いました それぞれに子供産ませているので
厳密には7人 子供がいるのです
7人もいるってことは それなりに好きだったのです(笑)
【英雄色を好む】の言葉通りのお人
で、京都の お軽というのがそのお妾さん・・
京娘とあって色白で奥ゆかしい 美人だったらしいです
映画やドラマに度々でてくるし現実にお墓もあるし実在の女性だったのです
映画で 【最後の忠臣蔵】に出てくるのもこのお軽の娘を巡ってなのです
討ち入りする9か月前位から 遊興に耽り始めてます・・
正妻を 実家に帰し 本格的にお軽を身請けし Hの開始・・
それは東下りといわれる 江戸に向かうまでの 約半年間
放蕩三昧・・敵の目を眩ますためだった ってありますけど・・
こればかりは信じましょう・・なんせ日本の誇りの方ですから・・
【お 軽よ わしは 仕官先が決まっての・・近いうちに発たねばならん】
【えー!パパほんと?】
当時はなんて呼んでたんでしようね? 太夫ですか? それとも 名前の下にサマつけてたんでしょうか・・
【置いてくのは不憫じゃが・・】
【決して そちの名前のような軽いことをするのでは ない】(笑)
内蔵助は 自慢のイチモツを収めてゆっくりピストンしながら続けた
【仕官って? 】
【それはじゃ・・オイ、 弛緩するでない・・もっと締めろ!】
【ハイ! パパ】
とか 何とか言いながら 最後まで大望を打ち明けることなく お 軽と
別れを告げたのです と、カッコ良く書けばそうです
けど 浅野の広島御本家の再興願いの裁断下るまで 討ち入り保留
なんていうことだったらしいけど
幕府が最初からそんな気が無い事は みんな周知の事実だったはず・・
放蕩は 眩ますものではなくて
放蕩が本当に好きでやってたという 説も有力なのです
あと有名な 浅野のお殿様の 奥様で遥泉院 との内蔵助との別れがあるんです
YOU TUBEでもでています
【南部坂雪の別れ】ってあるのです 討ち入りが迫り内蔵助が江戸在住の未亡人になった奥様を たづねていくシーン・・
あれ 雪はどうか知らないけど 多分本当にあったと思います
【今から討ち入りしてきます】と はっきり言ってしまえば サマにならないので さる西国の大名に召し抱えられることになったと 嘘を告げてますけど 実際には 打ち明けたと思います
現代風にいうと こうなります
奥さん いまから あの野郎を ぶっ殺してきます
そう?楽しみだわ 憎たらしいジジイめ・・でも大丈夫? 47人だけで?
へい そらわかりまへん そやけど ここまできたんやし 今さら引っ込んでたら モノ笑いでおます・・
そっか あんたもお疲れや・・最後にわらわと 一発せえへん?
なーんてね (笑) まあ云いませんよね アハハ
内蔵助とて 人の子です ホントいうと
世情が討ち入りせよという大合唱に
困惑していたとも考えられます^^
高倉健さんの忠臣蔵の映画みたら・・・そんな感じです
アレ吉良の最後の言葉面白かったです
ワシは迷惑しとる・・こんな理不尽な・・
って云い それに対し 高倉さんの 内蔵助のセリフ
そんなものはどうでもいい とにかくアンタには死んでもらわんと・・
サマにならん・・って・・
のようなやり取りありました・・
内蔵助は そんな討ち入りするよりも・
本心では 余生を静かに暮らしたかったのかも
お軽と スケベしたかったのよ (笑)
まあ実際にはそんなことだったのかもね・・w
と、思いたいです・・弱い人のほうが魅力あるから・・
でも現実には 英雄となり ホント大したものです
コメント
2017/12/07 3:16
1. 赤穂事件は諸説あるみたいですね。
ちょうどこの時代あたりから…武士道云々…とか云われたようです。
剣術も…芸の一つとみなされる時代だったようですよ?
殺人スキルだったのにね
返コメ