人の出会いはなぜ「必然」と言えるのか
人はしばしば、出会いを「偶然」と呼ぶ。
たまたま同じ場所にいた、たまたま話した、たまたま縁ができた――
表面だけを見れば、確かにそう見える。
しかし、少し深く考えると、その「たまたま」は驚くほど成立しにくい。
〇 論理的に見た「偶然の不自然さ」
ある一人と出会うためには、
同じ時代に生まれていること
同じ国、同じ地域、同じ時間帯に存在していること
同じ関心や行動範囲を持っていること
心理的に声をかける/かけられる状態にあること
これらが同時に重ならなければならない。
一つでも欠ければ、その出会いは起きない。
条件の積み重なりは、偶然と呼ぶにはあまりに精密だ。
つまり、偶然とは、因果を知らない者がつける名前にすぎないってことですよ
わたしは 神仏なんて 全く信用しないが 仏教の教える因縁は興味深い
仏教では、人の出会いを「因縁」で説明しています
因:原因(過去の行い・選択・心の向き)
縁:条件(環境・他者・時代・状況)
この二つがそろって、はじめて結果が生じる。
出会いとは、「突然起きた出来事」ではなく、 無数の因と縁が熟した結果だと考えています
たとえば、 似た価値観を持つ人が引き寄せられる 同じ苦しみを持つ者同士が出会う ある時期にだけ、ある人物が現れる
これらはすべて、その時点の自分に必要な「縁」が成熟した結果とおもいますね
具体的に言えば 私のSMです どういうわけか 集まり 仲良く価値観を共有しています
これらが 偶然というには あまりにも不可思議だから 必然という結論に至りました
っていうか そう思うことで 葛藤せずに 楽になるからですよ。
おわり
コメント
2025/12/21 8:16
2. まあ縁ですね(^O^)
返コメ
2025/12/21 7:31
1. ゆりちゃん、おはようございます😀確かに出合いって色々な要素、要因が絡んでいるのでしょうね🥰
返コメ