私の人生観・・正直な気持ちを言葉にしてみた
人間のサガというものは、確かに哀しい。
世界を動かしているのは、理念でも正義でもなく、
多くの場合は 色と欲 だ。金、地位、承認、快楽――それらが循環し、取引され、
人は知らぬ間に 魂の一部を担保にして生きている。
それは比喩ではない。現実の社会は、「どこまで差し出せるか」「何を売れるか」で
価値が測られる仕組みになっている。
誇り。良心。信念。
それらは、値段がつかないがゆえに、最初に切り捨てられる。つまり金銭的には価値がないからだ(笑)
だからこそ、その流れに どうしても浸れない人間 が生まれる。
欲に身を委ねれば楽になると分かっていても、
それをやった瞬間に「自分が自分でなくなる」と直感してしまう人間だ。
そういう人間が、宗教に向かう。
それは必ずしも高尚な理由ではない。むしろ、とても人間的だ。
これ以上、壊れたくない自分を正当化する場所が欲しい
世界が間違っていると信じたい 宗教は、そのための 避難所 になる。
だが同時に、それは 自己欺瞞 でもある。
信じることで救われるのではなく、「信じている自分」を信じることで、なんとか生き延びているだけの場合も多い。
きれいごとは、無力ではない。だが、万能でもない。
倫理、道徳、理想 それらが通用する世界は、
現実のほんの一部に過ぎない。
むしろ、それが 通用しない領域の方が圧倒的に広い。
だから現実を見抜いた者ほど、皮肉屋になるか、沈黙するか、あるいは――意図的に汚れる。
きれいごとを信じきれる者は幸せだ。だが、それは 「信じられる環境に守られている」という特権でもある。
環境とは何か それは言うまでもなく金銭的な多寡だろう(笑) では、どう生きるのが正しいのか。
わたしは、「清くあれ」でも「欲に身を委ねよ」でもないと思う。
現実を直視したうえで、どこまでなら自分を裏切らずにいられるか それを知ることだ。
宗教にすがるのも、欲に身を投げるのも、どちらも人間の一面にすぎない。
問題は、どちらかを「正義」にしてしまうことだ。
人間は、高潔にもなれないし、完全に堕ちきることもできない。
だから哀しい。 だが同時に、 【その 中途半端さこそが人間の本質】 だとも思う。
魂を売りながら、売り切れなかった部分に 苦しみ続ける存在。
それが、人間だ。
おわり
コメント
2025/12/21 8:16
1. ゆりちゃんの人生観に何気に納得🥰
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