SとМ
MとSは「性癖」ではなく「姿勢」です
世の中には、大きく二つの振る舞いがある。
受ける力(M的)
押す力(S的)
これは上下関係や支配欲の話ではない。どちらを選ぶか、どの場面で切り替えられるかという話だ。
羊のように従い、耐え、譲ることは、平和な日常では美徳になる。
だが――羊であり続ける者は、必ず刈られる。
人生は、「黙っていれば分かってくれる」ほど優しくも甘くもない。
実生活における「毅然」職場でも、家庭でも、社会でも、
不当な要求 責任の押し付け 曖昧なまま放置される問題
これらに対して、いつも穏便に、いつも我慢して、いつも譲る これはM的姿勢が固定化している状態だ。
するとどうなるか。
「この人は強く出ない」「ここまでなら許す」「最後は折れる」 相手にそう“学習”される。
結果、損をするのは、いつも同じ人間になる。
だから時には、声を低くし、言葉を選び、 **一歩も引かない姿勢(S的)**を示さなければならない。
それは攻撃ではない。境界線を引く行為だ。
国家も同じ構造にある 国家同士の関係も、本質は変わらない。
対中外交を見ても分かる。配慮 自制 対話 遺憾の意
それだけを繰り返せば、どうなるか。 「この国は強く出ない」「一線を越えても実力行使はしない」 「抗議だけで終わる」
そう認識され 実際にそうなっているのが 今のアホ日本だ
これは感情論ではない。力の均衡の話だ。
仏教で言えば、これは「慈悲」ではなく「執着」だ。
仏教的に見る M と S
仏教は、「常に耐えよ」「常に譲れ」とは説いていない。
釈迦はこう言っている。 「瞋(いかり)を持つな」
だが「不正を正当化せよ」とは言っていない。
重要なのはここだ。 怒りに飲まれないこと しかし、不正を見過ごさないこと
これは、静かなSの姿勢だ。 金剛経的に言えば、
「執着せず、しかし退かず」
般若の智慧とは、 優しさ一辺倒ではない。
必要な時に、必要な力を、冷静に使えることそれが「中道」だ。
羊と狼の間に立つ者 理想は、羊でも狼でもない。
羊の心を持ち、 狼の牙を隠し持つ者
普段は使わない。 だが、 機を見て ためらいなく示す。
それがあるからこそ、話し合いが成立する
尊重が生まれる 本当の平和が保たれる
MとSは対立概念ではない。切り替えられないことが問題なのだ。
SMの世界も全く同じなのだ
おわり
コメント
2025/12/25 6:11
1. なるほど〓
返コメ