SとМ
30代前半  大阪府
2025/12/24 23:14
SとМ
MとSは「性癖」ではなく「姿勢」です

世の中には、大きく二つの振る舞いがある。

受ける力(M的)
押す力(S的)

これは上下関係や支配欲の話ではない。どちらを選ぶか、どの場面で切り替えられるかという話だ。

羊のように従い、耐え、譲ることは、平和な日常では美徳になる。

だが――羊であり続ける者は、必ず刈られる。

人生は、「黙っていれば分かってくれる」ほど優しくも甘くもない。

実生活における「毅然」職場でも、家庭でも、社会でも、

不当な要求 責任の押し付け 曖昧なまま放置される問題

これらに対して、いつも穏便に、いつも我慢して、いつも譲る これはM的姿勢が固定化している状態だ。

するとどうなるか。

「この人は強く出ない」「ここまでなら許す」「最後は折れる」 相手にそう“学習”される。

結果、損をするのは、いつも同じ人間になる。

だから時には、声を低くし、言葉を選び、 **一歩も引かない姿勢(S的)**を示さなければならない。

それは攻撃ではない。境界線を引く行為だ。

国家も同じ構造にある 国家同士の関係も、本質は変わらない。

対中外交を見ても分かる。配慮 自制 対話 遺憾の意

それだけを繰り返せば、どうなるか。 「この国は強く出ない」「一線を越えても実力行使はしない」 「抗議だけで終わる」

そう認識され 実際にそうなっているのが 今のアホ日本だ

これは感情論ではない。力の均衡の話だ。

仏教で言えば、これは「慈悲」ではなく「執着」だ。

仏教的に見る M と S

仏教は、「常に耐えよ」「常に譲れ」とは説いていない。

釈迦はこう言っている。 「瞋(いかり)を持つな」

だが「不正を正当化せよ」とは言っていない。

重要なのはここだ。 怒りに飲まれないこと しかし、不正を見過ごさないこと

これは、静かなSの姿勢だ。 金剛経的に言えば、

「執着せず、しかし退かず」

般若の智慧とは、 優しさ一辺倒ではない。

必要な時に、必要な力を、冷静に使えることそれが「中道」だ。

羊と狼の間に立つ者 理想は、羊でも狼でもない。

羊の心を持ち、 狼の牙を隠し持つ者

普段は使わない。 だが、 機を見て ためらいなく示す。

それがあるからこそ、話し合いが成立する

尊重が生まれる 本当の平和が保たれる

MとSは対立概念ではない。切り替えられないことが問題なのだ。

SMの世界も全く同じなのだ


おわり
















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コメント

60代後半  鹿児島県

2025/12/25 6:11

1. なるほど〓

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