【半ぐれ銀行マンの天下取り】  56   忠誠を誓う若手行員
30代前半  大阪府
2025/12/25 10:37
【半ぐれ銀行マンの天下取り】  56   忠誠を誓う若手行員
最初に変わったのは、雑談の質だった。

 昼休みの食堂。コピー機の前。喫煙所の隅。

 誰も、支店長の名前を口にしなくなった。

 ——いや、正確には「直接」言わなくなったのだ。

 「……あいつ、恐ろしい男やで」

 声は自然と低くなり、視線は周囲を探る。壁に耳がある、という言葉を、誰もが本気で信じ始めていた。

 「悪口言うたら、左遷か首や。冗談やない。ほんまや」

 「なんせ……常務がバックやからな」

 その一言で、会話は終わる。それ以上、誰も踏み込まない。

 ——田島の末路を、全員が知っていた。

 庶務課長。支店の金と人の流れを握っていた男。その男が、ある日を境に忽然と消えた。

 懲戒免職。退職金なし。本部も助けなかった。

 その事実が、支店を完全に沈黙させた。恐怖が、支配した。

 だが、それは単なる萎縮ではなかった。

 行員たちは、やがて“もう一つの事実”に気づき始める。

 ——支店長に逆らった者は消える。
 ——だが、味方になった者は、生き残るどころか、引き上げられる。

 昇進。裁量。裁可の速さ。異例の抜擢。

 それらはすべて、ある共通点を持っていた。 支店長に忠誠を誓った者だけが、手にしていた。

 最初に動いたのは、企画課の若手だった。 支店長室の前で、何度も深呼吸をし、ノックをする。

 「……失礼します」 立夫は書類から目を上げただけだった。

 「何や」

 「支店長  私、データ整理と資料作成が得意です。もし指示を頂ければ、ご希望に添えます」

 声は震えていた。 だが、その目は必死だった。

 立夫は、じっと見つめる。

 「ほう……」

 数秒の沈黙。その沈黙が、異様に重い。

 「ほな、これやれ」

 机の上に、分厚いファイルが置かれる。

 「一週間でまとめろ。できたら、次もある」

 若手は、深く頭を下げた。

 「はい!」

 それを皮切りに、流れは一気に変わった。

 「支店長、私は融資先の内情に詳しいです」

 「支店長、業界団体とのパイプがあります」

 「支店長、夜の席での接待なら任せてください」

 行員たちは、次々と“自分の使い道”を差し出した。

 ——私は役に立つ。
 ——切らないでくれ。
 ——できれば、拾ってくれ。

 それが、本音だった。

 立夫は、それを拒まなかった。

 だが、誰でも受け入れたわけではない。

 「口だけの忠誠はいらん」

 「結果出せ。 それがすべてや」

 その一言が、行員たちの背筋を伸ばした。

 いつの間にか、支店には奇妙な空気が流れ始める。

 怯えと、期待。恐怖と、野心。

 そして誰もが思うようになった。

 ——あの人に近づけ。
 ——遠ざかるな。
 ——目をかけられろ。

 かつての銀行にはなかった価値観だった。

 公平。年功。横並び。

 それらは、音を立てずに崩れていった。

 代わりに残ったのは、ただ一つ。

 支店長・前島立夫に、忠誠を誓い その言葉だけでなく 有言実行で どう評価されるか。

 この支店は、もう完全に——前島立夫の城になっていた。
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