因果では割り切れぬ人の世の不思議
30代前半  大阪府
2025/12/28 10:37
因果では割り切れぬ人の世の不思議
人は、貧に苦しみ、病に倒れ、出会いに恵まれずに生きる者がいる。

一方で、生まれながらに健やかで、金に困らず、人が自然と寄ってくる者もいる。

この違いは、いったいどこから来るのか。

世はよく言う。自業自得だ、因を作れば果が結ぶ、と。

だが、それは本当に そんなに都合よく、そんなに公平に成り立つものなのか。

生まれ落ちた家が貧しければ、それは本人の「因」なのか。

生まれた時から病を抱えていれば、それは何の報いなのか。

人は、生まれる場所も、親も、体も、選んでいない。

それでも結果だけを見て、「努力が足りない」「考え方が悪い」「因果応報だ」と言い切ってしまうのは、あまりに乱暴ではないのか

確かに、行いが結果を招くことはある。怠れば衰え、積めば実る。

それもまた、否定はできない。

だが同時に、努力の土俵そのものが違うという現実も、確かにある。

百の力を出して ようやく立ち上がる者と、十の力で 走り出せる者がいる。

生まれつき 美のものがいれば その反対もある 美醜の違いは その人生に大差がある

それを同じ「因果」の言葉で 包んでしまえば、見えなくなるものが多すぎる。

病はとりわけ残酷だ。慎んで生きても、突然奪われる。善人にも悪人にも、等しく訪れる。

そこに分かりやすい因果を 見出そうとすれば、人は無理に意味を作り、誰かを責めることになる。

だから、この世は 理屈どおりにはできていない。

人はそれを 運命と呼び、宿命と呼び、あるいは 不可思議と呼ぶ。

そして結局、人ができるのはこの不公平な盤面の上で、どう生きるかを その都度選ぶことだけや。

恵まれた者は、それを誇りに使うか、無自覚に浪費するか。

恵まれぬ者は、絶望に沈むか、それでも一歩を選ぶか。

そこにだけ、人の意志がある。

世界は冷たい。だが、すべてが自己責任だと言い切れるほど単純でもない。

この割り切れなさ、この説明のつかない差こそが、人が人をして問い続ける理由なのだろう

生きるとは、答えを持つことではなく、納得できないまま 問いを抱えて歩くことなのだろう

おわり
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コメント

40代半ば  千葉県

2025/12/28 20:32

5.  何か楽しいことがあるんじゃないのか? 
 だから、生きていると寅さんは云っていました。

30代前半  大阪府

2025/12/28 13:38

4.  >>2 風来坊さん
(^_^)V

30代前半  大阪府

2025/12/28 13:38

3.  >>1 不思議さん
(^_^)V

60代後半  鹿児島県

2025/12/28 12:46

2. 哲学者ですね(^O^)

60代半ば  茨城県

2025/12/28 11:14

1. 素晴らしき。

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