戦国の忠臣 【鳥居 元忠】
慶長5年(1600年)6月16日、京・伏見城。
夜の帳が下りる中、徳川家康は会津の上杉景勝を討つべく、いよいよ明日、東国へ向けて出陣しようとしていた
その前夜、家康はただ一人、この城の守備を託す老臣・鳥居元忠を呼び寄せ、杯を交わした
「彦右衛門、入るがよい」
家康の声に、静かに襖が開いた。現れた元忠は、白髪の混じった頭を深く下げ、畳に拳をついて控えた。
人質時代から苦楽を共にしてきた、家康より三つ年上の幼馴染。もはや言葉など不要な仲であった。
家康は自ら徳利を傾け、元忠の杯を満たした。
「……此度の留守、すまぬと思うておる。わしが東へ動けば、大坂の治部(石田三成)は必ず動く。そうなれば、真っ先に狙われるのはこの伏見よ」
家康の目は鋭く、かつ悲しげであった。三成が挙兵すれば、数万の大軍がこの城を包囲する。対して、連れていける兵を絞り、元忠に残せるのはわずか二千足らず。
それは「死ね」と言っているに等しい命であった。
元忠は杯を一気に干すと、枯れ木のような手で口元を拭い、ふっと微笑んだ。
「殿、何を今さら・・三河以来、この彦右衛門、殿の盾となることだけを考えて生きて参りました。
この伏見の地、殿の天下取りの捨て石になれるのであれば、これに勝る喜びはございませぬ」
「三河武士の魂、しかと受け取った。だが、兵が足りぬ。せめてあと数百、我が手勢から割こうと思うが――」
家康が言いかけた言葉を、元忠は遮った。
「なりませぬ! 一兵でも多く連れて行かれよ。殿に万一のことがあれば、拙者がここで死ぬ意味がなくなりまする」
元忠は居住まいを正し、家康の目をまっすぐに見据えた。
「殿 今日まで、それがしを お傍に置いてくださいました。駿府で共にひもじい思いをしたあの日から、それがしの命はずっと殿のものでございました」
元忠の目から、一筋の涙が頬を伝い、畳に落ちた。家康もまた、膝に置いた拳を震わせ、声を詰まらせた。
「彦右衛門、お主とは 駿府以来の 肝胆相照らす仲だ、すまん、わかってくれるか・・ この城が落ちる時、それはわしが天下を掴む時だ。……必ずや、戦なき世を作ってみせる」
「そのお言葉を聞ければ、もはや思い残すことはございませぬ。地獄の淵から、殿の勝ち戦、見届けさせていただきます」
二人はそれ以上、軍略の話をすることはなかった。ただ静かに、幼い頃に二人で駆け回った三河の野山の思い出を、夜が明けるまで語り合った。
翌朝、家康は一度も後ろを振り返ることなく、東へと馬を走らせた。
城門に膝をつき、その背中を見送る元忠の顔には、死を覚悟した者特有の、晴れやかな笑みが浮かんでいたという。
これが、戦国史上最も美しいと言われる「主従の別れ」であった。
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元忠が伏見城で時間を稼いだことにより、家康は軍を反転させ、関ヶ原の戦いで勝利を収めるための態勢を整えることができた
彼の死は、徳川幕府260年の平和を築くための「礎」となったと評価されています。
元忠の忠義は江戸時代を通じて「鳥居家の誇り」とされ、子孫も幕府の要職を歴任するなど重用され続けた
おわり