正月も15日の今日も特攻が出撃していた
正月も15日の今日も特攻が出撃していた
1945年、日本というアホ国家の「追い詰められた日常」
1945年の正月、日本にはまだ暦があった。
一月一日、二日、三日――確かに日付は進んでいた。 だがその暦は、もはや季節を祝うためのものではなかった。
「今日も爆撃がなかったか」「今日も誰が飛んだか」 それを確認するための目印にすぎなかった。
正月である。だが門松は目立つから立てない。しめ縄は余分な材料だ。
晴れ着は空襲の際に動きにくい。つまり、日本の正月はこの時点で**「祝うと危険な行事」**に格下げされていた。
その一方で、南の基地では、正月も平日も区別なく、若い兵士たちが飛び立っていった。
「神風特別攻撃隊」この言葉が示すのは、精神論ではない。戦力が尽きたという現実の言い換えである。
もはや勝利は目標ではなかった。作戦の目的はただ一つ――少しでも遅らせること。
勝つために死ぬのではなく、負ける時期を先送りするために死ぬ。
それでもアホ大本営は言う。「戦局は必ず好転する」だが庶民は知っていた。好転しないことも、帰ってこないことも、もう十分すぎるほど。
1945年の正月、「成人の日」を迎えるはずだった若者たちは、晴れ着ではなく飛行服を着ていた。
大人になるとは何か。この年の日本での答えは明快だ。名前を刻まれ、命を数に変えられること。
特攻は美談ではない。少なくとも当時の日常においては、それは「異常」ではなく業務としての死だった。
今日、天候はどうか。燃料は足りるか。敵艦はどこか。そして――誰が行くか。
そこに正月情緒が入り込む余地はない。餅を食べたかどうかより、飛べるかどうかが重要だった。
皮肉な話だが、この頃の日本は、戦争をしているというより、戦争をやめる決断を先延ばしにする作業を延々と続けていた。
国家はまだ存在していた。だが未来は、もう存在していなかった。
1945年の正月、日本人は希望を祝ったのではない。
ただ、今日という一日が終わることを静かに願っていただけだ。
正月も連日、飛び立っていた。
それは勇敢だったからではない。
逃げ場が、もうどこにもなかったからだ。
おわり
コメント
1/15 17:39
2. 旅行で鹿屋航空基地の歴史資料館を訪れたのですが過去の異常な現実に言葉を失いました。
戦地に赴かない少女達は工場で覚醒剤入りのチョコレートを作り少年達はそれを精力剤と言われ食べさせられ特攻に飛び立って行きました。
資料館の壁一面に貼られた少年達の顔写真。
送り出す母親の心情、少年の心情とかを察すると本当にいたたまれない気持ちになります。
返コメ
1/15 10:22
1. 悲しい時代でしたね(T_T)
若者から先に死ぬのは今は許せません!もしそんなことがあれば、年寄りから先に特攻して欲しい〓もちろん私も行きます!
返コメ