フェイスブックのクソ度を暴露する
言論の自由について語るなら、まずは現場を見ろ、という話だ。
現場とは、投稿が消え、アカウントが凍り、理由だけが霧散する場所。
そう、**Facebook**である。
ここは議論の広場ではない。
躾の行き届いた温室だ。
少しでも温度を上げる発言は「コミュニティ規約」という名の霧吹きで即座に鎮火。
何が悪いかは教えない。
ただし、何が許されないかだけは体で覚えさせる。
クソ中国共産党のやり口だ、静かに、丁寧に。
一方で、汚くて騒がしくて、バカが多い場所――X。
ここではまだ、言葉が生きている。
削除より反論、停止より罵倒。 健全かどうかは別として、少なくとも息はできる。
FBが狡猾なのは、弾圧を弾圧に見せない点だ。
怒鳴らない。殴らない。
ただ「配慮」「安心」「健全」という言葉を並べて、 気づけば異論は“存在しなかったこと”になる。これを好む日本人は多い。
アホ国民の彼らは今日も言う。
「政治の話は疲れる」
「対立はよくない」
「空気が悪くなる」
素晴らしい。
空気を守るために、思考を捨てる国民ほど、権力にとって扱いやすい存在はない。
移民反対?
報じなければ無い。
疑問の声?
規約違反で消せば無い。
そうして出来上がるのは、
「みんなが賛成しているように見える世界」。
フェイスブックの花畑は今日も満開だ。
足元で根が腐っていることには、誰も触れない。
FBは言う。
「安全のため」
「差別をなくすため」
「みんなが安心できる場所にするため」
――その結果、誰も本音を言わない場所が完成した。
安全だ。
無菌で、無臭で、無言。
【思想の墓場】としては、実に居心地がいい。(^.^)
言論弾圧は、軍靴では来ない。 規約と通報と沈黙で来る。
それを歓迎する国民は、今日も拍手する。
自分が檻を組み立てているとも知らずに。
後で必ず、こう言う日が来るからだ。
「まさか、日本が ここまで腐るとは思わなかった」
――その“まさか”を、今日もFBは丁寧に育てているのだ。
おわり