【冥土からのラブレター 新婚2か月で失った妻】 7 母親の難病 2
その病名を、立夫は初めて耳にした。
ハンチントン病。
聞き慣れない、冷たい響きのカタカナだった。
意味も、重さも、その場では理解できなかった。ただ、胸の奥に小さな不安が刺さった。
立夫は、その足で病院を訪ねた。
知人の紹介で、神経内科の医師に時間を取ってもらった。
事情を簡単に説明し、病名を口にすると、医師の表情がわずかに引き締まった。
「……その病名を、どこで?」
「患者会で、耳にしました」
医師は、しばらく沈黙したあと、ゆっくりと言葉を選ぶように話し始めた。
「ハンチントン病は、遺伝性の神経変性疾患です。
発症すれば、運動障害、精神症状、認知機能の低下が徐々に進行します」
立夫は、黙って聞いていた。
「治療法は……?」
問いかける声が、かすれた。
医師は、首を横に振った。
「残念ですが、根本的な治療法は、現在ありません。
進行を完全に止めることもできない」
言葉は丁寧だった。
だが、その丁寧さが、かえって無情だった。
「遺伝形式は優性です。
親が保因者であれば、子に遺伝する確率は五割とされています」
五割。
その数字が、立夫の頭の中で反響した。
「……予防は?」
「発症前診断は可能です。ただし、それ自体が重い決断になります」
医師の声が、遠くなった。
診察室を出たとき、立夫はしばらく廊下に立ち尽くしていた。
足の感覚が、曖昧だった。
そのまま、彼は本屋へ向かった。
逃げるようでもあり、確かめるようでもあった。
医学書の棚。
一般向けの健康書。
索引でカタカナを追い、見つけた文字。
――ハンチントン病。
そこに書かれている内容は、医師の説明とほとんど同じだった。
発症年齢は三十代から四十代が多いこと。
進行性であること。
完治しないこと。
精神症状として、抑うつや衝動性が現れること。
そして、遺伝。
ページをめくるたび、希望は削られていった。
どこにも、「救い」の文字は見当たらなかった。
立夫は、本を閉じ、深く息を吐いた。
光知子の笑顔が浮かぶ。
あの無垢な表情。
慈愛に満ちた眼差し。
初めてのキスで流れた、あの涙。
――この人と、結婚したい。
そう思った気持ちは、嘘ではない。
だが、同時に、別の問いが胸を締めつけた。
自分は、この運命を引き受けられるのか。
彼女の未来も、子どもの未来も、背負えるのか。
答えは、まだ出なかった。
ただ一つ確かなのは、
立夫の人生は、この日を境に、もう元には戻らない、ということだけだった。