【淡々とコピペ】韓国が『駄目な理由』[番外:パラオ編]
60代前半  石川県
2012/08/29 13:58
【淡々とコピペ】韓国が『駄目な理由』[番外:パラオ編]
今日、8月29日は102年前に日本が朝鮮を併合した日。


統治者日本、についてのコピペです。

少し脱線しますが、パラオの事を少しだけ知って下さい。

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パラオは1994年にアメリカから独立した時、日本の国旗である日章旗をモデルにした月章旗を作り、自国の国旗にした。

日本の日の丸が太陽を模しているのに対し、パラオはほぼ同じデザインの色違い(青地に黄丸)で太平洋に浮かぶ月を象った。

ただ、パラオの国旗の月は日本の太陽と違い、中心から微妙にズレている。これは謙虚にも「同じでは日本に失礼だから」と、わざと中心をはずしたのだという。

※「旗がなびいた際に満月が中央に見えるようにデザインした」との説もある。

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パラオは日本の国旗を元に自国の国旗を作り、しかも日本の心も忘れない。

現地民に愛された日本統治と、受け継がれる礼儀正しい民族性が現われている。


ちなみにパラオの国定教科書では全462ページのうち36ページが日本統治時代にあてられ、章には「日の丸の旗のもとに」というタイトルがつけられている。

どの統治国にも日本は教育に厳しかったが、それらの教えもルールも単純な賛美や糾弾ではなく客観的に事実が教えられている。

また、今でもパラオでは日常的にたくさんの日本語(たとえば「扇風機」「大丈夫」「浴衣」「どうぞ」「大統領」など多数。日常的すぎて現地の若者はそれが日本語であることを意識してないほど)が残っていたり。

「桜」の樹がない国にも関わらず、桜の花に抱く美しいイメージだけで歌を作り、今も愛唱されていたりと、台湾よりもさらに日本を愛する傾向が強い。


日本の統治が終わった時にはパラオでも米国による反日教育が行われたが、年長者に「そんな話はない」とあっさり否定され、浸透しなかった。

ちなみに一部の州では英語と日本語が併記されており、特にアンガウル州ではアウンガル語、英語に並び、日本語が公用語として使われている。

(これは日本以外で日本語を公用語として使っている唯一の例である)

また、パラオ人の『8割』はその姓名のどちらかに『日本式の名前』を付けているといわれている。

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また、毎日新聞のコラムにこんなパラオの話が載ったことがある。


遠い南の島に、日本の歌を歌う老人がいた。

「あそこでみんな死んでいったんだ……」

沖に浮かぶ島を指差しながら、老人はつぶやいた。

太平洋戦争のとき、その島には日本軍が進駐し陣地が作られた。

老人は村の若者達と共にその作業に参加した。
日本兵とは仲良くなって、日本の歌を一緒に歌ったりしたという。

やがて戦況は日本に不利となり、いつ米軍が上陸してもおかしくない状況になった。

仲間達と話し合った彼は代表数人と共に 日本の守備隊長のもとを訪れた。自分達も一緒に戦わせて欲しい、と。

それを聞くなり隊長は激高し叫んだという
「帝国軍人が、貴様ら土人と一緒に戦えるか!」


日本人は仲間だと思っていたのに……みせかけだったのか。

裏切られた想いで、みな悔し涙を流した。

船に乗って島を去る日、日本兵は誰一人見送りに来ない。
村の若者達は、悄然と船に乗り込んだ。

しかし船が島を離れた瞬間、日本兵全員が浜に走り出てきた。

そして一緒に歌った日本の歌を歌いながら、手を振って彼らを見送った。

先頭には笑顔で手を振るあの隊長が。

その瞬間、彼は悟ったという。

あの言葉は、自分達を救うためのものだったのだと……。

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「パラオの統治者である日本軍」としては、パラオ諸島の小さな島・ペリリュー島の民間人を“圧倒的不利な戦局”に巻き込んではならないと配慮したのだ。

そして船舶も乏しい中、空襲を避けて夜間に船を出し、住民の全員をパラオ本島に避難させたのである。

そして日本軍はパラオを死守するために文字通り死を覚悟して戦った。

日本は圧倒的に不利だった。

アメリカに制海権・制空権を掌握されている上に、兵力14倍、航空機200倍以上、戦車100倍、重火砲1000倍という歴然たる戦力差。

しかしそれでもアメリカの上陸作戦史上最高の損害比率を出させるほどに抵抗し、全く補給もなく73日間も守り通し、玉砕したのだ。

最期に『サクラ・サクラ』という電文だけを残して。

その戦いの甲斐あって最大激戦地・ペリリュー島での民間人死傷者はゼロだった。


戦争後に島に戻った島民たちは、放置されていた夥しい数の日本兵の亡骸を泣きながら埋葬した。

後にペリリュー島のオキヤマ・トヨミとショージ・シゲオが“ペリリュー島の玉砕戦”を、日本の国花・桜に託して作った『ペ島の桜を讃える歌』は、今でも彼らに愛唱されているという。


後にペリリュー神社は青年神職南洋群島慰霊巡拝団やイサオ・シゲオ尊長ら島民の手により「すべて日本から運搬した材料を使って」再建された。

この神社の前には大戦中は敵だったアメリカ太平洋艦隊司令官 チェスター・W・ミニッツの言葉でこんなことが書かれている。


『この島を訪れる、もろもろの国の旅人たちよ。
 あなたが日本の国を通過することあらば伝えてほしい。
 此の島を死んで守った日本軍守備隊の勇気と祖国を憶う、その心根を』



ちなみにパラオに存在するこの神社は、天照大神と戦死者一万余名の「護国の英霊」を御祭神とする神社である。

パラオ共和国大統領トミー・E・レメンゲサウ・ジュニアは、敗戦から復興し様々な分野において世界を牽引する力になっている今日の日本を称え。

また、戦時中のパラオ統治に今でも感謝し、パラオは世界で最も親日感情が高い国と言った。


そして当時を知るパラオの長老たちは、今でも日本をこう呼ぶという。


『内地』


と。

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≫続く
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コメント

40代後半  福岡県

2012/08/30 0:01

3. >ゆうさん

多分、俺宛てのコメだと思うから(笑)多分さネットで意気がっているだけと思うけどね、全部の若者がそうじゃないと思っているからさ〓ゆうさんの息子さんも、いい心構えだょ[にこにこ]〓今の若者は意外と面と向かったら、本音を語るょ[にこにこ]
ネットじゃあ戦争はダメだと言えば偽善者扱いだからね[冷や汗2]

ゆうさん有り難うね[にこにこ][指でOK]

60代前半  千葉県

2012/08/29 22:15

2. 長男(24歳)は職業柄(血税をいただいてます)、8月15日には休みを取って靖国神社へ参拝して来ました。少数派だとは思いますが…そんな若い人もいます。チャラチャラした人も話してみると意外な一面を見ることができます。通りすがりで生意気を言って…すみませんでした。

40代後半  福岡県

2012/08/29 17:40

1. 泣きました(T^T)
とあるサイトで日本の若者が『今の日本が有るのは亡くなった兵隊じゃなく生きている人達が今の日本を作った、勝ち目の無い戦争で死なないで良かった』と書いてありました、なんだかこんな馬鹿で無知な若者の為に亡くなった兵隊さん達が可哀相でならんし同時に怒りが込み上げて来ましたょ[ちっ(怒った顔)]

最近の若者はディズニーランドとか海外に修学旅行に行く流れになっている[ちっ(怒った顔)]
広島平和記念公園と靖国神社へ行けと思うょ[ちっ(怒った顔)]

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