【千年属国の妄想オナニー思考】なんちゅうか『小中華』…馬鹿は死ななきゃ治らない…【お勉強コピペ】
60代前半  石川県
2012/09/06 13:35
【千年属国の妄想オナニー思考】なんちゅうか『小中華』…馬鹿は死ななきゃ治らない…【お勉強コピペ】
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■小中華思想 (Wikipedia)
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小中華思想(しょうちゅうかしそう)とは主に朝鮮で唱えられた中華思想(華夷思想)の一変種であり中華文明圏の中にあって、漢族とは異なる政治体制と言語を維持した民族と国家の間で広まった??思想。

自らを「中国王朝(大中華)と並び立つもしくは次する文明国で、中華の一役をなすもの(小中華)」と見なそうとする文化的優越主義思想である。

この「文化」とは儒教文化のことであり、中華文明への同化の程度によって文化の高低が判断されるものであった。

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小中華思想の元となった中華思想は儒教に裏付けられた漢民族の文化優越主義から始まり、地理的世界観、政治的世界観も併せ持つに至る。

中華思想の基で中国王朝は周辺諸民族を他者化(自他の区別をつけるもの)し、夷狄(文明化しない野蛮人)、禽獣(獣に等しい存在)と蔑む一方、冊封体制(事大朝貢体制)によってその世界観を具現化し、また同時に夷狄の教化に当たった。

中国王朝のこうした世界観は周辺諸国では否定的に受け取られることが多く…

─中略─

日本でも聖徳太子の書「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」、あるいは南北朝期の懐良親王が明の太祖からの朝貢を促す書簡を無礼と見なし、使者を斬り捨てたことに表れるように、中華中心の華夷観を否定し対等外交を志向する向きが強かった。

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それに対し朝鮮では中国王朝に従い、積極的に中華文明つまり儒教及びそれに伴う華夷観を受容し、中華に同化することで自国の格上げを図る道を選択した。

≪≪虎の威をかるダニ道ニダねw

朝鮮は華夷秩序において夷狄に相当するものであったが、自らを「中国王朝と共に中華を形成する一部(小中華)」と見なそうとしたのである。〓>1 (苦笑)

─中略─

この自らを華、周辺諸国を夷とする姿勢は、文化的優越主義に止まらず政治的地理的世界観にも表れ、現実はどうであれ「朝鮮は中国王朝と共に世界の中心をなし、周辺諸国を従属させている」と解釈しようと志向した。

≪≪現代に続く妄想自慰のめばえです

例えば李氏朝鮮初期の1402年に製作された「混一疆理歴代国都之図」では、中国が世界の中心に位置し、朝鮮は実情よりかなり拡大された形で描かれている。それに対し日本、琉球、東南アジアはかなり小さく描かれ、方角も誤って描かれている。女真族の居住地であった中国東北地方は曖昧なまま処理されている。〓>2

つまりこの地図が描き出した世界観は、明と李朝が中華でありそれ以外の地域は夷であるとするものであった。

≪≪韓国は現代でもそんな妄想地図を作っていますが?

こうした他者化の論理は、時に国内にも向けられ、中華文明を身につけていない者は同じ朝鮮人でも差別化されることに繋がった。

李朝後期の両班達は、自身を「礼義を識り、漢詩漢文を巧みに操り、儒教の経典に精通した中華文明の体現者」と捉え、一方庶民を「夷狄禽獣の類い」と階層的差別意識を露にしていた。

≪≪現代において在日を差別しています

─中略─

朝鮮のこうした積極的な中華文明受容の姿勢は、中華に同化することを目指したものであることから、同時に朝鮮独自の文化の発展を阻害することになる。

≪≪結局個性が無い…だからパクって居直るってこと?

一例を挙げると、李朝前期の世宗が朝鮮独自の文字、ハングルを制定しようとしたとき、官僚を含む知識人階級から「捨中国自同・夷狄」(中国を捨て夷狄に同化する)行為だと反発を受け、ハングルは李朝末期に至るまで諺文と呼ばれて蔑まれ正規の文字になることはなかった。

≪≪後で日本が教育し普及してあげました

─中略─

しかしこういう考えは朝鮮のみで、中華思想の枠組みのもとでは、非漢民族であり中国大陸の東端に位置する朝鮮は、東夷としての位置づけを免れることはできなかった。

≪≪一番馬鹿にされてましたもの

古代中国での当時の朝鮮の位置づけは日本や琉球王国よりもはるかに下とされており、国家としての認知も遅れていた。

これは、倭には金印が、琉球王国には銀印が贈られたが、朝鮮には贈られていないことからも伺い知る事が出来る。

中世には朝貢属国の筆頭であるとされ、冊封国としての認識が続いた。

≪≪イョ――ッ!KING OF 下国!!

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当然李朝は小中華として振舞えたわけではなく、新羅以降の伝統的朝鮮観の下に朝鮮を下国視していた日本から、日本の年号を使用していないことを以って国書の受理を拒絶される、対馬に1万7千の大軍を動員して攻め込み撃退される(応永の外寇)…

─中略─

さらに日本各地からの室町幕府、西日本諸勢力、琉球王朝といった多様な通交者も対馬に一本化され、李朝に入る情報は対馬の情報操作を受けたものに限定されることになる。

─中略─

文禄・慶長の役では、それまで小国視していた日本に一時は国土の大半を占領されるまでの敗北を喫し、対日優越意識が打ち砕かれることになる。

この敗北の衝撃は、1764年第11回の朝鮮通信使の一員であった元重挙が帰国後、日本側の戦勝意識と朝鮮側の敗北意識を払拭する「臥薪嘗胆」の意を込めて『和国志』に壬申倭乱戦勝論を展開するほど後々まで尾を引くことになる。

≪≪妄想×捏造×自慰×粘着×火病

こうした滅亡の危機を明の援軍に救われることで李朝は事大の意義を再認識し、「再造の恩」と呼んで崇明の念を新たにすることになる。

─中略─

一方、女真族の後金(後の清)が台頭すると、李朝はそれまで夷狄視し藩属扱いしてきた女真族に従い難く、丁卯胡乱、丙子胡乱と二度にわたり抵抗するが大敗を喫し、三田渡において国王自ら(使者に対し)“三跪九叩頭の礼”をもって清へ臣従を申しでて、事大、事夷を強いられるはめに陥る。

さらには明清交代によって、文化的にも政治的にも心の支えであった明の滅亡を経験する。

─中略─

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そして

馬◎が勘違いの覚醒!!

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こうした中、「中原の中華文明は明と共に滅び中華文明の最優等生である朝鮮こそが正統な中華文明の継承者でなければならない」として、李朝は自身を残された唯一の中華文明の後継者と認識するようになる。

─中略─

この朝鮮中華思想は日韓併合により李朝が滅亡するまで李朝知識人の支配理念であり続け、開国期の欧米を「洋夷」日本を「倭夷」とする鎖国攘夷の思想(衛正斥邪)へと連なり、朝鮮における近代的民族主義形成の基礎となる。

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しょせん妄想…そして…何もせず…何もできずw

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今日のことわざ

『馬鹿は死ななきゃ治らない』

=妄想自慰~火病は不治の病!
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