『僅か三日で陥落した首都ソウル』▼朝鮮戦争(韓国動乱)の悪夢
25日の日記続きです
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“アチソン声明”を聞き欣喜雀躍した“共産主義者たち”。
中でも北朝鮮の“金日成”は歓喜し即座に“戦争を決意”した。
“米国から放棄”されたはずの“韓国”に対し…
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【たった三日で陥落したソウル】
1950年6月25日 日曜日
金日成率いる北朝鮮軍は破竹の進撃を開始する。
これを迎撃するはずの韓国軍。
まるで疾風の前の枯葉にすぎなかった…
早くも
翌、6月26日 月曜日
「・・・北朝鮮の戦車はソウル郊外に迫りつつある。 ・・・韓国軍は北朝鮮軍に抵抗することができない。 ・・・韓国軍が殲滅されるのは時間の問題である」
(マッカーサー元帥のトルーマン大統領への報告)
その通りだった。
しかし、早すぎる…
翌々、6月27日 火曜日
首都“ソウルは陥落”した。
北朝鮮軍が戦端を開いてから“たった3日目”のことだ。
韓国軍は総崩れになり、支離滅裂となって潰走した。
6月30日 金曜日
マッカーサーはペンタゴンに報告し、断言する。
「もはや韓国軍は組織ある行動ができない、軍隊としての機能を失った・・・
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開戦して一週間もしないうちに、この有り様だ。
米軍の急派がなければ
韓国軍は北朝鮮軍にとって、まさに朝飯前に片付けられるところであった。
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・・・米軍だけが、北朝鮮軍を阻止することができるであろう」
韓国は北朝鮮の軍事侵略を激しく恐れる。
宜なるかな、“朝鮮戦争(韓国動乱)”における“最初の一週間”こそが、韓国にとって、“致命的な後遺症”を残した“幼児体験”であったからだ。
もし、この時、アメリカが本気になって助けてくれなかったら…
韓国人は、残酷このうえない“共産主義者”によって皆殺しにされていたかもしれない。
後の“カンボジア”や“北朝鮮”、“中共(文化大革命)”などで、同胞同士で行われた惨状を見れば…
決してあり得ないことだと言えない。
少なくとも自由と繁栄と幸福など、絶対にあり得なかった。
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日本は原水爆が強烈な幼児体験=コンプレックスになった。
アメリカのそれは真珠湾だ。
いつかまた
米軍は敵の奇襲攻撃を受けて再び壊滅するかもしれない…
中共やロシアが「日本軍国主義復活」と、
思っただけでヒステリックになるのもまた同じ。
軍国主義復活なんて、今さら決してあり得ないと、いくら説明しても無駄なのだ…
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韓国にとっての、強烈な幼児体験によるコンプレックスは。
“日本による36年の支配”
“韓国動乱(朝鮮戦争)”
なのだ。
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韓国軍は一週間で殲滅させられるところであった。
そして行われたのは
北朝鮮軍の韓国人に対する
虐待に次ぐ虐待と。
虐殺に次ぐ虐殺だった。
この動乱を通じ、肉親が殺されたり行方不明になった例は、あまりにも多い。
韓国人にとっての北朝鮮軍侵略コンプレックスは悪夢であり続けたのだ。
※しかし、ベトナム戦争において韓国軍は、ベトナム人に対し、より非道な虐待や虐殺を繰り返し行っている。
世界に現韓国朝鮮民族の愚かさを明らかにした!!
詳細は“ライタイハン”で確認しとください…<(_ _*)>
【韓国の呪われた幼児体験】
全斗煥大統領が、韓国の元首として、歴史上初めて訪日したときの話である。
当時、日本では韓国がどんな無理難題をふっかけてくるか危惧する者が多かった。
この訪日の前には
韓国は幾度となく無理難題をふっかけ、ついには鈴木善幸内閣から40億ドルを無理やり押し借りするなどしていたからだ。
その韓国から
今度はわざわざ国家元首自らが来日するという。
日本は恐れおののいた…
全斗煥大統領は、何のために来日するのか?
実は
全大統領は“日本にお礼を言うため”に、やってきたのだ。
かつて“中曽根康弘首相”が訪中したときのことだ。
中曽根首相は“中共首脳に約束”をさせた。
“北朝鮮を牽制”して、“韓国を奇襲させるな”と。
これで、韓国は北朝鮮に奇襲されないことになった。
北朝鮮軍奇襲侵略の悪夢から自由になったことが、よほど嬉しかったのだろう。
全斗煥大統領は、“史上初”めて“元首訪日”を行って“感謝の意を表した”のだ。
“これで経済発展にもっとエネルギーを集中することができます、危機の克服が可能になりました”と。
韓国人は公文書を閲覧してみるといい。
ただし閲覧可能ならだが
【北と南の軍事力は狼と羊ほどもの差があった】
1950年6月ちょっと前の韓国
時の大統領は李承晩…
…あの卑劣でクズなカス野郎だ!!
後の日本コンプレックスに凝り固まった、反日教育ヒトモドキ韓国人の原型プロトタイプでもある。
李承晩は、傀儡の分際でありながら、あまりにも好戦的であり、常に北進を絶叫していた。
アメリカは李承晩の暴走を危惧し
韓国に、飛行機、戦車、重砲その他の重火器を与えなかった。
軍では、ようやく戦闘訓練が始まったばかりだ…
その韓国軍に対し、北朝鮮軍の充実は比べ物にも何にもならない。
革命の情熱に燃え、ソ連のもとで必死に訓練もしていた。
そして、与えられた兵器は、ソ連製T34・85型戦車である。
ノルマンディー戦場では、一個連隊の米シャーマン戦車が、たった一両の独ティーゲル戦車に全滅させられることさえあったが…
このソ連製T34・85型戦車は、先の大戦ではドイツ軍のティーゲルにもパンテルにも善戦した精鋭戦車だ。
韓国軍はあっと言うまに蹴散らされ、踏み殺された。
結局、北朝鮮軍には米軍が対抗せざるを得なかったのだ。
寄生民族の面目躍如である。
7月8日
韓国に急派された第25師団の師団長ディーン少将は、マッカーサー元帥に打電した
「残念ながら、我々は北朝鮮軍の兵力を、兵士の訓練、士気、装備のすべての分野で過小評価しすぎたと言わねばなりません」
マッカーサーからペンタゴンへ
「北朝鮮軍は、いかなる近代戦をも遂行しうる精鋭である」
と、報告されている。
かかる北朝鮮軍の前の韓国軍。
鎧袖半触とさえもいえない有り様であった。
【軍内部も乱れきっていた韓国】
朝鮮戦争時の北朝鮮軍と韓国軍だが。
その兵器の強弱以上に、意気込みに天と地ほどの差があった。
中国革命やら、東欧革命やら、人民革命の潮流が絶頂期の時代である。
北朝鮮の兵士たちは革命の情熱に溢れていた。
それにひきかえ
そのころまでに、韓国軍や韓国人民の間には叛乱が相次いでいた。
1948年10月20日
朝鮮南海岸の要港、麗水と順天で軍隊の叛乱が起きた。
叛乱軍と政府軍の間には60㎞にもわたり戦闘がなされている。
政府軍と警察は、容赦なく片端から殺していって、何とか鎮圧に成功する。
と思ったら、一週間ほどで大邱でまた軍隊の叛乱が起きた。
そして、それは大クーデターに近いものであった。
この頃の韓国では、軍隊の叛乱が頻発していた。
叛乱は一種の名物だったw
この叛乱のきっかけが、またふるっていた。
大統領からの出動命令拒否に端を発したのであるw
1948年4月3日
済州島において暴動が発生。
李承晩は麗水の第14連隊に討伐を命じた。
第14連隊の兵士たちは既に、南朝鮮労働党(その実は朴憲永麾下の、南朝鮮共産党)の指導下にあり。
兵士たちは同胞に銃を向けることはできないと、“大統領命令を拒否”したのだ。
“大統領命令の公然たる拒否”
こうなるともう、叛抗というよりも革命に近い。
軍隊への“共産主義の浸透”に愕然とした李承晩は、後先考えず、“とりあえず大粛清”に踏み切った。
10万人の韓国軍のうち、8千人の将兵が粛清の対象となる。
後に大統領となり、“日本の金”で“漢江の奇跡”を演出した“朴正煕”までもが、すんでのところで粛清を免れたという。
やはりカスの李承晩がやることだ。
この粛清は、あまりにも乱暴であったため、全くの逆効果であった。
恣意の粛清を恐れ、北朝鮮へ逃亡する韓国軍
コメント
2012/09/30 14:37
4. >カカロット【百足嫌】さん
北朝鮮にはしっかりと南を牽制してもらわないとね。
どうせジャイアンの後ろに隠れるスネ夫みたいに、自分から何かするなんてできない国なんだから(笑)
死ぬまで向き合って、理想は共倒れだね。
返コメ
2012/09/30 14:30
3. >新庄時雨さん
朝鮮半島はどっちも相手にしちゃ駄目
駄目な民族だからこそ、中華の親分も千年以上直轄統治しなかったんだ。
日本だけがババ引いちまった…
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2012/09/28 11:35
2. 強烈な幼児体験の表現で笑えた〓![[冷や汗2]](https://img.550909.com/emoji/ic_face_csweat02.gif)
しかし北朝鮮にも負け、アメリカの武器持参で北朝鮮へ逃亡って、軍事同盟なんて有り得んね
韓国は北朝鮮に勝てないのに日本に喧嘩を売るって馬鹿(笑)
日本はロシア、アメリカに戦っているのに(笑) 竹島を占領したから日本ぐらい勝てると思ったのかも(笑)
それにしても、韓国は存続は有り得ん(笑)
返コメ
2012/09/28 10:52
1. どちらかと言えば
北朝鮮と手を結んだ方が良い気が…
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