韓国を象徴する『李承晩』というヒトモドキ[コピーライト]〔2〕
60代前半  石川県
2012/10/11 11:28
韓国を象徴する『李承晩』というヒトモドキ[コピーライト]〔2〕
さて、終戦直後の状況に話を戻します。


一方、38度線の北側には、この頃すでにソ連が進駐をはじめていました。


こいつらが悪い奴らで、この連中にずいぶん日本人婦女が強姦され殺されましたが、彼らはそれだけではなく、10月までに「各地で自発的に生まれた」という名目の「人民委員会」を組織し、これらを管理下に置いて、朝鮮北部を占領しました。



このことは、すこし説明が必要です。


ソ連兵には、もちろん朝鮮語はわかりません。

ですからソ連が朝鮮人たちを支配するに際しては、朝鮮語を話す者たちを、ソ連兵の手足として使う必要があった。

その手足となったのが朝鮮人の共産主義者たちで、ソ連は彼らに旧日本軍から押収した銃器と金を与え、自分たちが強姦したあとの日本人女性と食い物とを与えたのです。

飯が食えて、金がもらえ、いままで支配者側だった高貴な日本人女性を欲しいままに強姦できて、金持ち日本人の財物も奪える。



そういうことを喜ぶ馬鹿者どもが、喜んで「人民委員会」のメンバーになったのです。



歴史は複雑に絡みます。



同じ頃、シナでは、蒋介石率いる国民党の敗退が始まっていました。

なぜいきなり敗退しはじめたかといえば、米英が、蒋介石率いる国民党への支援を打ち切ったからです。

米英は、それまで蒋介石率いる国民党に、日本と戦わせるための豊富な軍事物資や食糧、金銭などの支援を行ってきましたが、日本との戦争が終戦となったので、彼らはもう「用済み」になったのです。


薄情なものです。


蒋介石の国民党は軍閥です。

米英の軍事的経済的支援があったから人を集め得たのです。

支援物資の補給を断たれたら、もはや存続は困難でした。


そこへソ連から旧日本軍の装備を無償で譲り受けた毛沢東率いる八路軍(中国共産党)が襲いかかります。


勝敗はおのずと明らかでした。


補給を断たれた国民党はシナ各地で八路軍に追われ、シナは赤化が目前となっていったのです。



ソ連は、毛沢東率いる八路軍に豊富な武器や食料を与えたやり方と同じ方法で、朝鮮半島を我が物にしようとしました。


ここで使われたのが金日成(キム・イルソン)です。


そして朝鮮半島の米国進駐軍による半島の国家基盤が定まらないうちに、金日成は、朝鮮北部にはいって昭21(1946)年2月8日、「朝鮮臨時人民委員会」を設立したのです。




朝鮮半島で、統一朝鮮国を宣言した呂運亨(ヨ・ウニョン)率いる「朝鮮人民共和国」が、わずか5日で崩壊した背景にも、李承晩がいます。



彼は、米国内でロビー活動を展開し、新たに設立された「朝鮮人民共和国」には、ソ連に煽動された共産主義者たちが混入している。
だからそういった者たちと一緒に統一朝鮮を作ることには疑問があると主張したのです。


そして李承晩は、金日成率いる共産主義者たちを駆逐したあとに、米国進駐軍の力で統一朝鮮を建国すれば良いとします。



ところがソ連は、そんな抵抗があるのは百も承知です。

また金日成にしても、せっかく朝鮮半島北部を武力制圧したのに、そこから追い出されたのでは元も子もありません。

とりわけ朝鮮半島の北側には、日本が建設した工業地帯がありました。


朝鮮半島の富のほとんどを北側が握っていた。

そこを金日成は押さえたのです。


富があり、武力があり、ソ連の完全なバックアップ体制もある。

そんな北朝鮮を、金日成が手放すわけがありません。

そして、李承晩に引きずられた米国が、半島内の共産党員に手こずっている間に、金日成は、さっさと「朝鮮臨時人民委員会」を設立してしまうのです。



そもそも戦前の朝鮮は、日本に併合されていましたから、南北の分断などなかったのです。

そこには朝鮮総督府があり、その総督府の機能が、そのまま朝鮮建国に結びつくはずでした…



しかし、半島北部での共産国家設立の動きに対し、米国に亡命していた李承晩は、朝鮮半島での反共産勢力による早期国家設立を米国に迫ります。


そして北朝鮮に遅れること16ヶ月、李承晩をリーダーとする「南朝鮮過渡政府」が、昭和22(1947)年6月に誕生しました。



米国は、共産主義者と民主主義者が対立を深める朝鮮半島について、同年11月、国際連合に半島統治問題を提起します。

北の金日成は、この動きに危機感をつのらせました。


金日成は、翌昭和23(1948)年2月8日に「朝鮮人民軍」を創設します。

そして同月26日に、北緯38度線以北に「朝鮮民主人民共和国」の成立を一方的に宣言。

せっかく国連に話し合いを提案したのに、米国は、これを激しく非難します。



けれど非難されて黙っている金日成ではありません。

彼はこれに対抗して実力行使に出たのです。


なんと彼は、南半部への送電を全面的に停止させます。


当時南半部の電力は、日本によって建設された北部のダムによる発電に頼りきっていたのです。


同時に半島南端にある済州島にいた南朝鮮労働党の共産ゲリラが、これに呼応して武装蜂起しました。


李承晩は、すぐさま暴動の鎮圧に乗り出します。

済州島の共産ゲリラは、武器を持っていなかったのです。


そこへ李承晩は軍を派遣し、済州島民8万人を虐殺してしまいます…

これを、昭和23(1948)年の済州島四・三事件といいます。



実力行使によって暴動を陳圧した李承晩は、同年8月15日、「大韓民国」の成立を宣言します。

金日成はこれに対抗して翌9月9日に「朝鮮民主主義人民共和国」建国を宣言しました。



これにより、北緯38度線は単なる境界線ではなく、事実上の「国境」となったのです。




そして

昭和25(1950)年1月12日
米国トルーマン政権下のディーン・アチソン国務長官が、次のように発言します。

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米国が責任をもつ防衛ラインは、フィリピン、沖縄、日本、アリューシャン列島までである。

それ以外の地域は責任をもたない。

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この発言の意図は、ひとつには、あくまで米国の国防政策において太平洋の制海権は絶対に渡さないというもの。

もうひとつ意味は、李承晩を抑え込む意図だといわれています。



李承晩は、上海で統一韓国臨時政府樹立を行い、日本の憲兵隊に逮捕されて平手打ちを食わせられたときから、日本に対して個人的な怨恨を持っています。



そしてかねてより、日本に対して竹島領有宣言など、報復的、敵対的発言を重ねていたのです。

そして李承晩は、あくまで朝鮮半島の統一とそのための戦争を頑強に主張していたのです。



もう戦争は終わったのです。

いまさら誰も戦争などやりたくない。

米国内の世論だって、もう戦争にはあきあきです。




だから米国政府は、李承晩にいい加減、手を焼いていました。

そして米国は、韓国の軍事力の大半を米国で請け負うことで、韓国軍が単独で重装備して北朝鮮に攻め込むことを防ごうとしていたのです。

韓国に僅かな兵力しか与えないことで、とにかく李承晩の暴発と半島内での紛争を防ごうとしたのです。
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