韓国を象徴する『李承晩』というヒトモドキ
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一方、このことは、北の金日成にとっては、南朝鮮の李承晩による北侵攻の危機を抑え込む好機を意味します。
今なら半島全体を北のものにできると判断した金日成は、昭和25(1950)年3月、ソ連を訪問し、スターリンに李承晩との開戦許可を求めます。
スターリンは、毛沢東の許可を得ることを条件に南半部への侵攻を容認します。
同時にソ連軍事顧問団に、南侵計画である「先制打撃計画」の立案を命じます。
スターリンの考えは、金日成の南進によって朝鮮人同士で戦わせ、万一、金日成がしくじることがあっても、ソ連は直接には手を下さず、毛沢東に後ろ盾をさせようというものでした。
同年5月、金日成はシナに毛沢東を訪ねます。
そして「北朝鮮による南半部への侵攻に際し、中華人民共和国がこれを援助する」という約束を取り付けたのです。
こうして始まったのが、朝鮮戦争です。
昭和25(1950)年6月25日午前4時、北緯38度線で北朝鮮軍の砲撃が開始。
宣戦布告などありません。
いきなり侵攻がはじまったのです。
開戦の30分後、11万人の大軍からなる北朝鮮軍が、38度線を越境します。
ちなみに北朝鮮は、現在に至るまでこの開戦を「韓国側が先制攻撃してきた」と主張しています。
しかしこの主張は、ソ連崩壊後のロシア政府でさえ、公式に否定しています。
前線の韓国軍は、一部の部隊が独断で警戒態勢をとっていただけです。
どういうことかというと、
韓国軍兵士の多くは、6月の田植えのために、ほとんどが田舎に帰っていたのです。
しかもソウルでは、前日に陸軍庁舎落成式の宴席があり、軍幹部が二日酔いで登庁すらしていなかった。
李承晩大統領への「北来襲」という報告すら、奇襲後6時間経過してから、やっと韓国政府に届いたという始末です。
手薄な前線の韓国軍には、対戦車装備すらありません。
そこに北朝鮮軍は、ソ連から貸与されたT-34戦車の大部隊を中核に、次々押し寄せる。
各所で韓国軍は総崩れとなります。
そして潰走に次ぐ潰走。
金日成率いる北朝鮮は、緒戦の猛攻で大勝利します。
気を良くした金日成は、一気呵成に李承晩を半島から追い落として、5回目の光復節はソウルで行うとまで宣言しました。
北朝鮮軍の士気はおおいに盛り上がります。
そして開戦わずか3日目の6月28日には、韓国の首都ソウルが陥落します。
住民に多くの犠牲を出しながら、韓国政府は、首都をソウル南方の水原に移しました。
このときに有名な事件があります。
ソウル陥落の際、李承晩は漢江にかかる橋を爆破したのです。
確かに漢江にかかる橋を爆破すれば、北朝鮮のソ連製戦車部隊の侵攻を遅らせることができます。
それだけ南朝鮮政府は、逃げおおせることができるわけです。
だから爆破したのです
が
しかしこの爆破時、漢江の北側のソウルの街には、まだ多数の韓国軍兵士や一般市民が取り残されていたのです…
孤立した韓国軍兵士とソウル市民は、北朝鮮軍によって随所で虐殺されました。
このとき、どのようなことが行われたかは、歴史の記録には残っていません。
ただひとついえるのは、圧倒的火力でソウルの街を征服した北朝鮮の兵士たちは、およそ人間ができる最悪の鬼畜非道を行った。
だからこそ記録すらされていないということは、容易に推定できることではないかと思います。
少なくとも、北の兵士たちが、戦時捕虜となった韓国兵士や、婦女子を含む一般市民を手厚く保護したという記録は、まったくありません…
さて、水原に落ちのびた韓国政府と韓国軍です。
彼らが落ちのびたとき、軍は敗軍そのものだったといいます。
士気も下がり、全滅が現実のものと感じられる状況となっていました。
そこにマッカーサーが、東京からやってきたという記録が残っています。
水原は、敗走する韓国軍兵士と負傷者でひしめいていた。
マッカーサーは米軍の派兵を韓国軍に約したけれど、その日のうちに東京に帰ってしまっています。
東京に帰ったマッカーサーは、米国政府に在日米軍2個師団を投入するように進言しました。
しかし戦争の再発をおそれたトルーマン大統領は、米軍参戦を許可しない。
それでも食い下がるマッカーサーに、トルーマンは、ようやく1個師団だけの派兵を許可します。
大統領の許可を得たマッカーサーは、日本に駐留していた第24師団の第21連隊第1大隊を基幹とする師団を水原市に派遣します。
部隊は水原南方の烏山の高地に陣取って北朝鮮軍を待ち受けました。
対する北朝鮮第4師団は、ソ連製T-34-85戦車やSU-76M自走砲などの車輌を先頭に烏山に迫ります。
このとき派遣された米第24師団は、大東亜戦争での経験を持たない、新たな徴用兵たちです。
旧日本軍との戦闘経験を持つ精鋭は、戦いに疲れ、すでに本国に帰還していたからです。
北朝鮮軍を視認した米軍は、バズーカなどで攻撃を加えます。
しかし相手は、ソ連の誇る精鋭T-34/85戦車です。
バズーカ砲ごとできは、まったく歯が立たない。
北朝鮮軍の戦車と歩兵は各所で戦線を突破し、米軍は総崩れとなって大敗してしまいます。
マッカーサーは、米精鋭部隊の派遣を要請するけれど、戦争に倦んだ米国世論は、これを許しません。
トルーマン大統領は、できたばかりの国連安保理に諮り、第二次大戦戦勝国諸国での多国籍軍を編成し、これを朝鮮半島に送り込みます。
けれど、明確な指揮命令系統のない、混成の国連軍は、各所で敗退してしまうのです。
李承晩は、水原も捨て、南へ南へと、逃げました。
このとき敗走する李承晩は、自国を守れず潰走しながら、武器を持たない一般市民を、韓国保導連盟員や共産党関係者だと決めつけ、一方的に20万人以上の韓国国民を虐殺しています。
武器を持った北朝鮮軍の前では、味方を見捨ててでもひたすら逃げ隠れした李承晩は、武器を持たない自国民に対しては、平気で虐殺の限りを尽くしたのです。
一方北朝鮮は、忠北清州や全羅北道金堤で、大韓青年団員、区長、警察官、地主やその家族などの民間人数十万人を「右翼活動の経歴がある」などと難癖をつけて大量に虐殺しました。
北の金日成、南の李承晩は、互いに武器を持たない一般市民を虐殺しあっていたのです。
そしてこの虐殺から逃れてボートピープルとなった朝鮮人たちが、大挙して日本に逃げてきて、いまの在日朝鮮人問題をひき起しています。
コメント
2012/10/12 1:07
1. ホント在日は半島に帰って欲しいです。
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