韓国を象徴する『李承晩』というヒトモドキ
〔5〕Japanese Korean Soldier
「草木皆ナ兵ト化ス」
恐慌状態におちいった北朝鮮軍は、軍隊組織として統制のとれた行動をすることが不可能となってしまいます。
北朝鮮軍は予想外の損害をうけ、いったん盈徳を放棄して西北にさがり再編を余儀なくされてしまいます。
それだけでなく、友軍との連携すらとれなくなり、各部隊の孤立化がはじまった。
8月22日、金錫源たちが戦った釜山の反対側の西側では、遊鶴山のふもとを守っていた韓国軍一個大隊が、北朝鮮軍の攻撃に耐えかねて後退を開始します。
ここにも元日本兵が数多くいた。
このままでは米軍第27連隊の側面が敵にさらされてしまいます。
韓国も、米軍も、戦線の崩壊はまぬかれません。
そこに、白善*(ペク・ソンヨプ)師団長が駆けつけます。
そして散らばっていた元日本兵だけを集合させて座らせた。
白善*も日本軍の出身です。
昭和14(1939)年平壌師範学校を卒業したのち、奉天の満州軍官学校に入学、昭和16(1941)年に卒業して満州国軍に任官し、昭和18(1943)年には間島特設隊に配属され戦った経歴を持ちます。
実はこの時、白善・師団長はマラリアを患って高熱を発し、病院にいたのです。
けれど釜山西側の危機を知った白師団長は、集まった西側守備隊の兵士たちに
「二日間,補給もないのによくがんばってくれた。感謝の言葉もない」
とねぎらいの言葉をかけ
「ここが破れればわれわれには死が待っている。
それに見ろ。
アメリカ人もわれわれを信じて戦いに来ている。
かれらを見捨てることができるか」と静かに語った。
そして突然立ち上がると、大声で兵士たちに言った。
「ただいまより、あの四八八高地を奪回する!
ワレに続け!
もし俺が臆病風にふかれたら後ろから撃て!」
そう叫ぶと、銃をとり、先頭にたって突撃を敢行したのです。
兵たちは驚きます。
いきなり前線に、マラリアで入院中の師団長が現れたかと思ったら、鬼気がのりうつったかのように咆え、駆けだしたのです。
「師団長に続け!」
鬼人と化した元日本軍の韓国兵は、わずか一時間で四八八高地を奪還してしまいます。
そしてそこから谷底の北朝鮮軍にむかって猛烈な砲火を浴びせたのです。
そしてここでも北朝鮮軍は完全に潰走してしまいます。
前線の北朝鮮軍が無力化されたことで、米軍はその退路を断つ作戦を発動します。
北朝鮮軍の背後の仁川に上陸すると、南進していた北軍の補給路を完全に断ち、9月28日には、ついにソウル奪回を果たしました。
勢いを得た米韓多国籍軍による南軍は、反攻に転じ、10月1日にはそのまま38度線を突破、10月20日には、北朝鮮の臨時首都の平壌までも制圧します。
北朝鮮が完全に壊滅とみられたとき、中国共産党義援兵が北朝鮮に味方して参戦します。
100万人以上の大兵力です。
米韓多国籍軍は、シナの人海戦術に、平壌を放棄し38度線近くまで潰走した。
しかしシナの大軍の装備は、ソ連から補給された日本軍の残存兵器です。
それ以上の装備はない。
旧式兵器に頼るシナの援軍は、度重なる戦闘ですぐさま消耗し攻撃が鈍ってしまいます。
米韓多国籍軍は、ようやく態勢を立て直して反撃を開始し、翌年3月14日にソウルを再奪回。
しかし、戦況は38度線付近で膠着状態となった。
そして最終的に38度線を休戦ラインとして、現在にいたっています。
以上が朝鮮戦争の概略です。
こうした史実をみるとき、いつも思うのは、戦いにおける「勢い」と「転機」ということです。
北朝鮮の南進により、もはや対馬海峡に追い落とされるのも時間の問題にまでなった韓国軍。
その窮地から救ったのは、旧日本軍に所属し、数々の武功を立てた元日本兵でした。
上に登場した金錫源将軍は、朝鮮動乱で韓国軍が雪崩を打って敗走を重ねた時、軍刀(日本刀)を振りかざし、
「攻勢こそは最大の防御」
「死をもって戦うときにのみ勝機は訪れる」
と部下を叱咤激励したといいます。
韓国軍が釜山で辛うじて全軍の崩壊を免れ踏みとどまったのは、かつての大東亜戦争の英雄が「ここにあり」と奮戦する姿に鼓舞されたからだともいいます。
金将軍は多くの将校が近代戦には邪魔になるといって軍刀をはずす中にあって「日本刀は武人の魂である」と、ひとり軍刀(日本刀)を手放さない人でもあったそうです。
昭和55年、金錫源将軍は、靖国神社に参拝しています。
靖国には、フィリピンのルソン島各地を中隊長として転戦し、アレプンヨ高地で壮烈な戦死を遂げた彼の次男、金泳秀が祀られているのだそうです。
金錫源将軍は、参拝後、一緒に参拝した元日本陸軍の兵士たちにこう語ったといいます。
「自分の息子は戦死した。
それは軍人として本望である。
本人も満足しているであろう」…と
息子を犠牲者として日本を恨むような卑怯な姿は、金錫源将軍には、微塵もありませんでした。
逆に、並いる旧日本軍将兵らが、金錫源将軍に「軍人精神の神髄」を見たと感嘆したといいます。
彼らのように自ら志願して旧日本軍に加わった兵士たちには「日本帝国軍人」としての誇りがありました。
日本では、軍の中でさえ朝鮮名のまま幹部になることができたのです。