【阪神大震災18年】平成25年1月17日 ご遺族代表の追悼のことば【全文】
『あの日を語っていきたい』
あれから18年がたちました。平成7年1月17日 5時46分
忘れたいと思います。でも忘れることも消し去ることもできません。まさか、あのような地震が神戸に来るなんて、まさか、娘がはりの下敷きになって亡くなるなんて考えてもいませんでした。あのものすごい揺れ、揺れがおさまった後の光景は、今でもはっきりと覚えています。
助けたいと必死で娘をさがし出し、必死で車を走らせ病院をめざしたこと。道路も段差やがれきで走れず、周りもガス臭く、不安いっぱいで反対側から来るドライバーに道が通れるかを尋ねながら病院をめぐったこと。橋が渡れず市民病院にも行けなったこと。そのうち娘の息が薄れ、亡くなったこと。
たった10年と11カ月の命でした。すべてが昨日のことのようです。私は娘から震災の後、毎年プレゼントをもらっています。それは、娘の友達や担任の先生が、震災後欠かすことなく娘に会いに来てくれることです。結婚している友達、子どもを連れて来てくれる友達、独身の友達、記者になった友達、歌手を目指す友達、みんなの笑顔に私は励まされます。あの1月17日の話も出来るようになりました。
あの日のことを、娘の通っていた本山第二小学校の4年生の子ども達に毎年、話をしています。今年で13回目になります。震災後、しばらくは話せませんでした。娘の友達を見るのもつらい、親子が仲良く歩いているのを見れず、目を背けた日々もありましたが、震災を知らない子どもが全校生の8割もいると聞き、「このままではいけない、『命の大切さ』や『子を思う親の気持ち』を伝えたい」という一心で、辛い気持ちを押し殺し話します。
東日本大震災があった時、阪神淡路大震災がフラッシュバックして、身体も心も辛い時期がありましたが、阪神淡路大震災の時と同様に、周りの温かい人々のおかげで立ち直ることが出来ました。みなさんのおかげだと感謝しています。この感謝の気持ちも、亡くなった後も続いている娘の友達との交流の話も子どもに話します。昨年亡くなられた「はるかのひまわり」を広められた藤野さんとは、あの日あの時、本山第二小学校で一緒にボランティアをさせていただきました。以前、小学校に来られた時、「震災を風化させず伝えていきたい」とおっしゃってました。
阪神淡路大震災を風化させないと同様に、東日本大震災も忘れてはいけない。東日本大震災があった年の夏、小学校の夏まつりで阪神淡路大震災でお世話になった感謝の心をもって、東北物産展を開きました。昨年は、東日本大震災忘れてないよ、という気持ちをプラスして物産展をしました。
忘れないという思い、風化させてはいけないという気持ちは同じです。私も本当に微力ですが、あの日の話を語っていきたいと思います。
最後になりましたが、震災で亡くなられた方々のご冥福をお祈り申しあげます。
平成25年1月17日
遺族代表 藤本 圭子
コメント
2013/01/18 10:31
2. >じゅんさん
![[うれしい顔]](https://img.550909.com/emoji/ic_face_happy.gif)
![[手(パー)]](https://img.550909.com/emoji/ic_p_hand.gif)
おはよう
働き者?
よく北陸はそう言われるけど
どこだろうと農業を兼業しとる家なら当たり前やないん(笑)
確かに富山県は地震や災害が少ない上に原発が無い!
電力も食料も自給自足できるし
日本一安全で安心な県ですね
返コメ
2013/01/18 2:18
1. ひそひその続きます。引越して来た方知っている。外回りで出会った方。震災で家を失い、親戚で安全性高い県を選択して富山県南砺市移住したと聞いた。農村の住宅地なので、朝速くからの草刈りや農業機械の音にビックリらしい。富山県働き者。ギャップ有るよ?年配者です。
返コメ