李登輝著「『武士道』解題」で日本人が失った『武士道』を学び『ノブレス・オブリージュ』を知る
「ノブレス・オブリージュ」 という言葉があります。
「高い身分に伴う義務」 という意味のフランス語ですが、この言葉について私たちは、今まで以上に意識しなくてはならないと思います。
なぜなら、日本の今日の平和や繁栄を築いた礎こそが 「ノブレス・オブリージュ」 だからです。
19世紀末の極東研究家ヘンリー・ノーマンは著書で
日本が他の東洋専制国と異なる点は 「人類の案出したる名誉の掟中でも最も厳格なる、最も高き、最も正確なるものが、その国民の間に支配的勢力を有することにある」
と述べました。
これこそが日本の 「ノブレス・オブリージュ」 であり、近代日本の発展の原動力となった精神 「武士道」 だったのです。
日本では 「日本は小さい取るに足らない国」 という 「自己矮小概念」 が、なんとなくまかり通ります。
しかし
時にはそれに反発し
「日本人は他より優れた民族」
「日本文化は他より優れた文化」
「日本人はエライ」
という 「選民思想」 的な発想が起ります。
なぜ 「どうせ日本人は駄目」 とか 「日本人はエライ」 といった両極端のを行き来してしまうのでしょうか?
その理由は、日本に 「ノブレス・オブリージュ」 という概念がない(忘れられてしまった)からではないかと思います。
「ノブレス・オブリージュ」 とは元々 「貴族たるものが負うべき義務」 ですが、 「強者が弱者に対して負う義務」 といった意味で使われています。
日本人は、広く一人一人が世間に迷惑をかけない 「薄く広い責任」 について非常に意識が高いが
「強者が弱者の幸福に責任を持つ」 という概念はあまりないのでは?
もしかして明治時代くらいまではあったかもしれないけど…
『武士道』という本があります。
この本は、約100年前にアメリカで新渡戸稲造博士によって出版されました。
1900年当時ですから、日清戦争の4年後、日露戦争の5年前です。
突然近代史上に姿を現した極東の新興国家に対する無理解と偏見を、この本が打破したと言っていいでしょう。
例えば当時の米大統領ルーズベルトは、この本を徹夜で読破し、数十冊ほど買い求めて周囲に配った程だそうです。
「ブシドウ」 という言葉について、この本の冒頭にそれが明確に定義されています。
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武士道(chivalry)はその象徴たる桜花と同じく、日本の土地に固有の花である。
それは古代の徳が乾からびた標本となって保存せられているのではない。 それは今なお我々の間における力と美との活ける対象である。
それを生みかつ育てた社会状態は消えうせて既に久しい。
しかし今はなき遠き星がなお我々の上にその光を投げているように、封建制度の子たる武士道の光はその母たる制度の死にし後にも生き残って、今なお我々の道徳の道を照らしている。
私がおおざっぱにシヴァリー(chivalry)と訳した日本語は、その原語において騎士道(ホースマンシップ)というよりも多くの含蓄がある。
「ブシドウ」 は字義的には 「武士道」 すなわち武士階級がその職業、および日常生活において守るべき道を意味する。
一言にすれば 「武士の掟」 、すなわち武人階級の 「身分に伴う義務(ノブレス・オブリージュ)」 である。
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100年前のことです
おそらく、これが一般の日本人に対して初めて 「ノブレス・オブリージュ」 という語が紹介された時でしょう。
そしてこの武士道は、最初は支配階級に課せられた義務でしたが、長い年月を経るうちに人々の間の基本的な道徳心として普及します。
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武士道とは、道徳的原理の掟であって、武士が守るべきことを要求されたるもの、もしくは教えられたるものだが、それは成文法ではなかった。
せいぜい口伝により、もしくは数人の有名なる武士、もしくは学者の筆によって伝えられたる僅かの格言があるに過ぎない。
むしろそれは語られず、かかれざる掟、心の肉碑に記されたる立法たることが多い。
不言不文であるだけ、実行によって一層力強き効力を認められているのである。
『武士道』
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こうして武士道は 「不言実行あるのみ」 の文化として継承されました。
「知行合一」 を説いた陽明学の影響や、多弁を慎む論語の影響もあり、自分の手柄を誇るような者は軽蔑されたのです。
また『武士道』の説く武士の(日本人の)特長、徳目には次のようなものがあります。
勇、仁、礼、誠、名誉、忠義。
中でも 「人の上に立つもの」 の身につけるべき素養として、仁はとくに重要視されました。
仁は 「仁義」 の仁です。
これは、いわゆる 「武士の情け」 です。
盲目的な情ではなく、正義に対する適切な配慮をもった慈悲の心を指します。
「武士道」 は、元々は支配階級の心得、身分に伴う義務(ノブレス・オブリージュ)でした。
しかしそれは 「時を経るにしたがって、国民全体の道徳的基盤を形成するに至った」 と新渡戸は指摘しています。
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武士道は最初は選良(エリート)の光栄として始まったが、時をふるにしたがい国民全般の渇仰および霊感となった。
しかして平民は武士の道徳的高さにまでは達し得なかったけれども、 「大和魂」 は遂に島帝国の民族精神(フォルクスガイスト)を表現するに至った。(略)
本居宣長が
敷島の 大和心を 人問はば
朝日に匂ふ 山桜花
と詠じた時、彼は我が国民の無言の言をば表現したのである。
『武士道』
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しかし
今や 「武士道」 は消え去ろうとしています。
新渡戸の表現とは別の、より深刻な意味でです。
江戸から明治までは確実にありました。
武士道精神が≒大和魂として、民衆の隅々にまで行き渡っていたからこそ、日露戦争という途方もない国民戦争を平民出身の兵隊達がやってのけたわけです。
昭和初頭にもあったでしょう。
でなければ
東南アジア史の功績や、硫黄島やアッツ島で戦い抜いた戦士達の行動に説明ができません。
しかし、敗戦を境に日本の道徳・言論空間は180度反転しました。
GHQはWGIPと称し、底的な検閲と洗脳を日本人に施しました。
あらゆる出版・放送が検閲され、協力な自己否定教育が施されました。
その結果、日本人としてのアイデンティティーや、際社会の中での振る舞い方について、共に考えることすらできない人々が量産されました。
いわゆる5~60代の団塊の世代が抱え、引きずっているコンプレックスの根本にあるものは、戦後一貫して続けられてきた教育です。
「日本はロクでもない国です」
「あなたの親は人殺しです」
「日本は世界に迷惑をかけるから、おとなしくしてなさい」
これを 「洗脳」 と言わず何というんでしょう?
物心ついたときからこんな教育を受け続けて、果たして堂々とした人間に育つことができるでしょうか?
いかに日本人がサムライの末裔だったとしても、それは無理です。
「武士道」 、道徳一般は生まれてからの教育によってのみ身に付くものなのですから…
ある年代の日本人が卑屈なのは、中華帝国が君臨していたからでもありません。
聖徳太子以来、日本は中華の脅威や柵封体制からは比較的自由でした。
日本の精神を根本的に破壊したのはアメリカによる占領政策です。
22歳まで日本人として教育を受けた前台湾総統の李登輝氏は、その著書『 「武士道」 解題』の中でこう述べています。
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自分が生まれ育った祖国に対する愛情や、 「私は日本人以外の何者でもないのだ」 という自己認識なくして、日本国民が国際社会から信用されるわけもないことは、 「ロイヤリティー(Loyality)」 という言葉をことのほか大切にしている欧米諸国の個人主義重視の観点からも明らかです。
僕の実感としてもこれはまさにその通りで、多少なりとも海外生活を送ったことのある人なら共感できるところだと思います。
海外では、自分の国の文化や歴史についてろくに知らず、敬意も払っていないような人間は、不気味に思われることこそあれ、あまり尊敬されません。
この『武士道』という本も、当時国際社会の第一線で活躍していた新渡戸博士が、全力をもって、しかも外国語(英語)で、自国の文化を紹介したからこそ、高い評価と尊敬を受け、ニッポンという国、文化の存在が広く知られることとなったのです。
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今、日本人が生まれたときから世界最高水準の豊かな暮らしを享受できるのも、海外に行っても特に被差別意識もなく過ごすことができるのも、全て武士道の最後の影響です。
祖父たちの世代までの遺産と言ってもいいでしょう。
「あいまいな日本の私たち」 は、日本の豊かさの理由も、過去の人たちが命がけで守ってきた日本もよく分からぬまま
祖父母の遺産を食い潰しながら生きているのです。
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私はこれを読んで今の日本には「ノブレス・オブリージュ」 という概念がない。
と思い当たりました。
現在の日本にこういう教育はありません、昔のこういう教育が強すぎた反動ですね。
こういう教育や社会通念を日本の社会に再び植えつけるにはどうすればいいのでしょう。
『武士道』という本は、新渡戸博士がベルギー人に 「あなたの国では、宗教なしにどうやって子供に道徳教育を授けるのですか?」 と聞かれ
日本でそれに代わるものは 「武士道」 であったことに思い至るエピソードから始まります。
しかし 今や、私達日本人はそれがあったことすら忘れようとしています。
新渡戸は、 「武士道」 の典型を桜の花に例え
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しからばかく美しくて散りやすく、風のままに吹き去られ、一道の高気を放ちつつ永久に消え去るこの花、この花が大和魂の型であるのか。
日本の魂はかくももろく消えやすきものであるか。
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と疑問を持っています。
そして『武士道』は、こう締めくくられています
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武士道は一つの独立せる倫理のおきてとしては消ゆるかも知れない、しかしその力は地上より滅びないであろう。
その武勇および文徳の教訓は体型としては毀れるかも知れない。
しかしその光明その栄光は、これらの廃止を越えて長く活くるであろう。
その象徴とする花のごとく、四方の風に散りたる後もなおその香気をもって人生を豊富にし、人類を祝福するであろう。
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せめてこの予言を、単なる希望にしないため。
日本の遺産を次の世代に引き継ぐために、何ができるのでしょうか?
時間は限られています。
近年、台湾では国民党主導による反日教育が改められ、日本統治時代を正しく評価する歴史教育がスタートしています。
歴史的な建物、産業遺産から、日本精神まで、台湾が 「保存」 しておいてくれたという奇跡を、日本人は見逃してはならないと思います。
コメント
2013/03/20 14:22
4. >こういちさん
こんにちは(^_^)
中曽根総長って名前の響きから格好いいですね(笑)
中曽根さんは総理大臣の時に靖国神社公式参拝を最初に控えた方でしたね
参拝を中止した理由は、中曽根さんの靖国参拝問題が、当時の胡耀邦総書記の進退に影響が出そうだということで、 「胡耀邦さんを守らなければいけないと思った」 からだそうです。
武士の情けを逆手に取り、外交カードに使った中共に強い憤りを感じます。
同調した上に調子に乗り、日本文化の起源を騙る連中には尚更です…
返コメ
2013/03/20 13:44
3. 武士道見て感激。
日本の武道、剣道、柔道、茶道すばらしい。
僕は拓殖大学のOBです。
右翼ではありませんが、在学中は中曽根康弘総長でした。
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2013/03/19 7:36
2. >まあすけ(前向きさはつんのめる位が丁度イイ)さん
おはようございます\(^O^)/
今日は前から取ってあったお休み♪
ヨメのばあちゃんの命日のお参りと、お彼岸のお墓参りにお寺さんに行ってきます(^人^)
ばあちゃんは満州から引き揚げたそうで、命があっただけで儲けもんって言ってたな(笑)
もちろんご先祖さまと先人にも感謝してきます♪
返コメ
2013/03/18 13:37
1. いつもおつかれさまです。
ある時、
人生の前半は親の徳で生かされている。しかし、人生の後半は自分の徳で生かねばならない。
と教えられました。
日記を読ませて貰って、つくづくその通りだと。
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