男なら純粋に憧れる 「“Oily Boy”白洲次郎の生きざま」 …※抽出箇条書き
60代前半  石川県
2013/06/03 7:22
男なら純粋に憧れる 「“Oily Boy”白洲次郎の生きざま」 …※抽出箇条書き
おはようございます



★日本で一番格好イイ男と呼ばれた

 『“Oily Boy” 白洲次郎』




箇条書きにした一つ一つのエピソードがドラマになりそうものばかりです



私も最近、図書館で目についた書籍を読み始めまたばかりですが


白洲次郎に興味を持たれたならば

ぜひ私の前の日記も合わせてお読みください





■『今の日本の若い人に一番足りないのは勇気だ。 「そういうことを言ったら損する」 ってことばかり考えている』 白洲次郎






■戦前は近衞文麿首相のブレーン


戦後は吉田茂首相の側近であり、懐刀として政治の中枢にいた



★写真1.サンフランシスコ講和会議へ向かう機上の吉田茂(右)と白洲次郎

彼は吉田を 「オヤジ」 と呼び敬愛します





■趣味は車と大工仕事とゴルフ


身長180㎝以上のハンサムボーイで、生涯スポーツカーを乗り回した




■出身大学はあの名門「ケンブリッジ大学」


神戸一中を卒えた次郎は、その手に負えないヤンチャぶりから、父にイギリスへ強制留学させられる



★大正十二年にはケンブリッジ大学クレア・カレッジに入学

生涯の友ロバート C. ビンと出会う

週末はレースに熱中、 ロバートとベントレーで長い旅行にも出ました



★一方で、英国式の 「紳士道」 を叩き込まれる





■しかし歴史書の中で、彼を扱う記事は驚くほどに少ない


昭和史の鍵を握る人物であるにも関わらず、その生涯は歴史の闇の中に埋もれています





■白洲次郎の恋物語


★神戸一中時代には10歳年上の宝塚歌劇団の生徒と恋仲になった…


★次郎の妻、白洲正子は薩摩藩出身の貴族院議員 樺山愛輔の次女

各地を旅し 「かくれ里」 「十一面観音巡礼」 「西行」 など旺盛な執筆活動を続ける女性でした


★「お嬢さんを頂きます」

正子との結婚を承諾してもらうため、正子の父・樺山愛輔に言った台詞


★次郎、正子から横っ面に一発ビンタを御見舞いされる…

結婚当初、正子を 「薩摩の奴らは江戸に入城した時は、散々悪さを…」 とからかったら正子から横っ面に一発ビンタを御見舞いされ、それ以降 「薩摩」 を揶揄することはなかったそうです





■「従順ならざる唯一の日本人」

 白洲次郎の痛快エピソード


★マッカーサーを怒鳴りつける!!

昭和天皇陛下からダグラス・マッカーサーに対するクリスマスプレゼントを届けた時に 「その辺にでも置いてくれ」 とプレゼントがぞんざいに扱われたために激怒!

「仮にも天皇陛下からの贈り物をその辺に置けとは何事か!」 と怒鳴りつけ、持ち帰ろうとしてマッカーサーを慌てさせたといわれる



★「従順ならざる唯一の日本人」

GHQに対して卑屈な官僚や政治家の中にあって、白洲次郎は筋を通し、一歩も退かなかった

このれにはGHQも舌を巻き、「従順ならざる唯一の日本人」と本国に連絡した



★「あなたももう少し勉強すれば立派な英語になりますよ」

GHQ民政局長ホイットニー将軍が 「白洲さんの英語は大変立派な英語ですね」 とお世辞を言った。そこには、勝者としての奢りが込められていた。

これに対し、キングス・イングリッシュを身に付けている白洲次郎は 「あなたももう少し勉強すれば立派な英語になりますよ」 と切り返し答えたという


※ケンブリッジ卒の白洲次郎は、オックスブリッジアクセントで話します。

オックスブリッジアクセントで話す人は、上流階級の証であるからこそ、マッカーサーに対しても毅然とした態度だったとも言えます。

また、米将校に対する皮肉も、日本人にはわからないことですが、オックスブリッジアクセントで話す事とは、英語圏でそれほどの力を発揮するようです。





★サンフランシスコ講和会議の吉田茂のスピーチを、英語から日本語に変更させる!


「講和会議というものは、戦勝国の代表と同等の資格で出席できるはず。その晴れの日の原稿を、相手方と相談した上に、相手側の言葉で書く馬鹿がどこにいるか!」
と一喝!


急遽日本語に書き直したという





■スーツはロンドンのサヴィル・ロウ("背広"の語源になったと言われます)にある老舗テーラー 「ヘンリープール」 などで仕立てていた


同店は白洲次郎が 「オヤジ」 と呼び敬愛した吉田茂のテーラーとしても知られている



★写真2.ヘルメットにサングラス、長靴の東北電力会長時代


ヘルメットにサングラス、長靴で、 みずからランドローバーを運転して、ダム工事現場をまわるような異色の会長でした





写真3.八十を過ぎるまでポルシェ911を乗り回した根っからの 「※オイリー・ボーイ」

※白洲次郎のニックネーム。彼が英国留学していた時代に車が趣味で、愛車をいじり倒し、レースに参加したり長距離ドライブに興じたりしており、毎日のように油まみれになっていたことから“Oily Boy”と呼ばれていたことにちなみます

これは和製英語で 「大人になっても少年のような熱い心を忘れない素敵な大人たちのこと。仕事をしっかりとこなす傍ら、空いた時間を自分の趣味に熱中するような生活を送る男性」 を表します


「オイリーボーイ(Oily Boy)」 は=雑誌「POPEYE」の読者OB層である1960年代生まれの男性を対象にマガジンハウスが発行したムック、白洲次郎のようなライフスタイルをイメージして名付けられた。





■会員でなければ総理大臣でも追い返す


軽井沢ゴルフ倶楽部会長時代の白洲次郎はゴルフコース内にSPが入ることも嫌ったそうです





■日本でで最初に「ジーンズをはいた男」



履きこなしも実に格好イイ♪





■たった2行の遺書


勢いよく書かれた遺書にはたった二行

「葬式無用、戒名不用」 とありました





■最後の言葉は…

 「右利きです。夜は左……」


入院した病院で看護師に 「右利きですか?左利きですか?」 と尋ねられて


ちなみに“左利き”とは“酒飲み”という意味を持つ






■白洲次郎の言葉


“精神主義一辺倒では何も解決しない”


“人に好かれようと思って仕事をするな。 むしろ半分の人には嫌われるように積極的に努力しないと良い仕事は出来ない。”


“今の日本の若い人に一番足りないのは勇気だ。「そういう事を言ったら損する」って事ばかり考えている。”


“いいものはいいと素直に受け入れるべきではないだろうか”


“素朴な正義感は貴いものだと思う。 これだけは死ぬまで捨てない。 ぼくの幼稚な正義感にさわるものは みんなフッとばしてしまう。”


“われわれは戦争に負けたのであって、奴隷になったのではない”


“人が困ってるときは、助けるもんだ”


“「今に見ていろ」ト云フ気持抑ヘ切レス。ヒソカニ涙ス”


“No Substitute”
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コメント

60代前半  石川県

2013/06/03 8:45

2. >創造青年さん

おはようございます[うれしい顔][手(パー)][ぴかぴか(新しい)][晴れ]

“素朴な正義感は貴いものだと思う。 これだけは死ぬまで捨てない。 ぼくの幼稚な正義感にさわるものは みんなフッとばしてしまう。”

たとえちっぽな正義感でも

実現させる勇気が重要なポイントだと教えらる生きざまでした

生涯ブレない格好よさに憧れますね

60代前半  静岡県

2013/06/03 7:43

1. おはようございます〓

見猿、聞か猿、言わ猿の
風潮の現在では
彼の生き方は
憧れかもしれませんネ~[ほっとした顔][あせあせ(飛び散る汗)]

勇気こそ、全てを
開く重要なポイントですね~!〓

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