特亞の絆『三跪九叩頭の礼』
☆古代日本(1406年前)
607年 第二回遣隋使 「国書」
『日出づる処の天子、 書を日没する処の天子に致す、 恙なきや』
☆近代日本
1873年 台湾出兵の処理に赴いた特命全権大使副島種臣は、同治帝に謁見した際に“三跪九叩頭の礼”を要求されるが、中華の古典や万国公法を引用して立礼を主張し
最終的に立礼で通す
○イギリス
1793年 外交官ジョージ・マカートニーは、乾隆帝に謁見した際に“三跪九叩頭の礼”を要求されるがこれを拒否してイギリス流の儀礼を押し通して貿易改善交渉
条約締結は拒絶され、帰国
1813年にはアマーストがやはり“三跪九叩頭の礼”を拒否し、嘉慶帝への謁見が許されなかった
●李氏朝鮮
1636年 後金のハーン・ホンタイジが国号を清として新たにその皇帝に即位し、李氏朝鮮に朝貢と明への出兵を求めた
朝鮮王・仁祖が拒絶したため、ホンタイジは直ちに兵をあげ朝鮮征伐に向かうと、朝鮮軍は為すすべも無く僅か45日で降伏
和議の条件の1つとして大清皇帝功徳碑を建立させ
仁祖はこの碑を建てた三田渡の受降壇で、ホンタイジに向かい“三跪九叩頭の礼”を行い、許しを乞うた
【迎恩門(げいおんもん、ヨンウンムン)】
支那の皇帝の臣下であり、冊封国(≒体のいい植民地)であった朝鮮王が“皇帝の使者”を迎えるための門
清代には“朝鮮王”自ら“三跪九叩頭の礼”によって“使者”を迎えた
しかも、朝鮮王が迎えた本朝(清)の使者というのは、決まって朝鮮から奴隷として献上された成績優秀な朝鮮人の子を宦官にした者だという
※「自らが献上した(売り飛ばした)朝鮮人の元奴隷で去勢された宦官に対し、朝鮮王の額を地面に叩きつけさせる」
※清朝によるしつけは徹底していた
【韓国が国民にひた隠す“独立門の真実”】
日清戦争で日本が勝利し、1895年の下関条約で、ようやく清の冊封体制から李氏朝鮮が離脱した
こうして“大韓帝国 (大笑)”が成立
※朝鮮内の開化派は“迎恩門”を取り壊し、1897年に“日本が清朝から独立させてしまった”記念として、新たに“独立門(嘲笑)”を同じ場所に建て替えた
※この史実(真実)は朝鮮の歴史上から抹殺されている
【三跪九叩頭】※通常は対皇帝
1. 「跪!(イン)」
2. 「一叩頭(イーコートゥ)・再叩頭(ツァイコートゥ)・三叩頭(サンコートゥ)」
3. 「起!(チー)」
この1~3を3回繰り返す
※但し、朝鮮では王が皇帝の使者に対して行う
【清と朝鮮にとっての“絆”】
今では日本語の意味は全く違うが
「絆」 とは、犬や馬など動物をつなぎ留めておく綱を由来にする言葉であり、日本語もスタートは一緒だった
支那朝鮮での 「絆」 の意味は 「足をすくうこと、邪魔すること、拘束」 という意味であり
語源の 「犬や馬など動物をつなぎ留めておく綱」 の通り、正に特亞の関係を表すようだ
清代の朝鮮“王”は別挌として(笑)
三跪九叩頭は確かに酷く屈辱的だが、あくまで皇帝に拝謁する際の使節がそれを味わうだけで済み
支那の側にとっても 「夷狄が中華の徳を慕い、臣下の礼を取りに来た」 という建前を守る事が出来た
しかし、副島種臣が“三跪九叩頭の礼”を拒否した時に
中華の※古典を引用できるほど歴史と古典に精通していながら、その建前を、当時の☆最先端の『万国公法』を盾に平然と拒否できる人間が居るという実例を見せつけたことで
清朝廷の官僚達に底が知れない恐怖を与えたんじゃないか?
千年属国は論外
日本人は明らかに欧米人とも違う手強い人間だと
※副島種臣の引用した古典は 「孟子の五倫」
五倫(ごりん)とは、主として孟子によって提唱された儒教における5つの道徳法則、および徳目
「仁義礼智信」 の 「五常」 とともに儒教倫理説の根本となる教義であり、 「五教」 「五典」 と称する場合がある
☆当時の最新知識であり、その後の西欧列強による清への侵食に繋がる
wiki 「万国公法」 より抜粋
外交儀礼の問題、公使謁見問題(日本―清朝)
清朝にあっては、外国人公使が神聖なる中国皇帝と直接と会見する際には三跪九叩頭をしなければならず、礼を求める清朝側とこれを拒否する外国公使側とで折り合いがつかず、1870年代まで清朝皇帝と簡単には会うことができなかったのである。
しかし1873年に日清修好条規を締結した際、副島種臣は『万国公法』に根拠に同治帝に謁見を求め、三跪九叩頭の礼をしないで会見を成功させた。
これは幼くして即位した同治帝がある程度成長したこと、欧米人よりは日本人の方がまだ心理的抵抗がなかったことが影響した。
常駐外国公使に清朝皇帝が謁見を許可したのはこれが最初であった。
☆『万国公法』の原著は、ヘンリー・ホイートン (Henry Wheaton) の『国際法原理』(原題:Elements of International Law, 1836)
1836年 原著
↓
1864年11月~1665年1月
アメリカ人宣教師ウィリアム・マーティンにより『万国公法』の漢文訳が完成
↓
1865年~1866年
『万国公法』日本に伝わる
↓
1873年
副島種臣、同治帝と三跪九叩頭の礼をせずに謁見(根拠は『万国公法』)
コメント
2013/07/17 22:08
6. >鷹乃学習
ぼーちゃん。さん
捉え方を変えたら
同じ?!と思うふしもあったから、ありがとうございます
序列か…
(聞いた事はありましたが)
気の毒に思いますが
致し方ないかなと思いますね
岐路の時の選択が事を分けてる
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2013/07/17 20:35
5. >(^-^)nicoさん
琉球は朝鮮よりだいぶ序列が上だったし、女性の献上は無かったはず
朝貢貿易でも莫大な利益を上げてたからね
足利幕府でも朝廷に内緒で日本国王として冊封を受けて朝貢貿易で利益をあげてた(笑)
返コメ
2013/07/17 19:39
4. >鷹乃学習
ぼーちゃん。さん
)
沖縄も冊封体制…
(冊封貿易と言いますが)
かの国とどう違いがあったのかと思います
首里城は、紫禁城をモチーフに造られているので
キーセンのように送っていたと本土の方に言われたのですが自分で探した限りでは見当たらないです
(調べ方が悪いのかな
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2013/07/17 16:10
3. >(^-^)nicoさん
○『頭が高い、控えおろう』上から押さえつける意味では近いかもしれません
が、少し違うかな
そもそも、三蹄九叩頭の礼とは清朝にとって重要な朝廷儀礼であり、挨拶で片付けるものではありません
支那帝国と柵封国は、中華思想の中華と戎狄蛮夷であり、上下・強弱の関係しか存在しません
この中華の秩序を維持する為に大変に重要なものが儀礼です
ちなみに、朝鮮の扱いは下の下『犬のしつけ』並で、上下関係の刷り込みだけで敬意などが存在する隙間はありません
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2013/07/17 15:15
2.
主が言わんとする筋道とはズレた事お詫び申し上げます。
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2013/07/17 14:43
1. 中国風あいさつ
『三蹄九叩頭』
日本風あいさつ
『土下座』
欧米風
『片膝をつく』
その国々によって儀礼方法の違い
文化の違い
相手を立て一歩引いての挨拶の基本かと思います
どちらが正しいとか無いと思います。
発祥はどうあれ…
日本風の土下座も外国からすれば同じ意味あいを示す事になります
けれど、座敷文化
畳の上での挨拶
『武士道』や『神道』がその挨拶を良い文化と認識を得たから
『頭が高い、控えおろう』
と、どこが違うのでしょうか?
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