【日記補足】元台湾総統 李登輝『靖国論』より抜粋
当時の軍隊の中では、 「死んだら靖国で会おうな」 と普通に会話していた。
台湾出身であろうが、朝鮮出身であろうが、同じ日本の兵士として御国のために命を捧げ、死んだら靖国神社で会おうというのが、私たちの日常の感覚だった。
戦死したら当然 靖国神社に祀られるはずだったのだ。
それが裏切られるとはつゆほども疑わなかった。
一種の安心感の源だったのだ。
先ほども述べたように人様々だから、今となってはそんなことも思い出したくない人がいても不思議ではない。
だが私はそうだったのだ。
だから今なぜ「靖国神社問題」が起きているのか、私には理解できない。
日本人はまた中国共産党の謀略に引っかかっているのではないか。
国のために戦い死んだ兵士、指導者を悼み、参拝するのがなぜ悪いのか。
彼らが取った手段や判断に批判があっても良い。
すべてを正当化するわけではない。
批判は批判としてあるべきだろう。
しかしいま 我々が生きている国を守ろうと命を捧げてくれた人に対して、感謝の気持ちを 抱くことのどこが悪いのだろうう。
昭和20年ルソン島で戦死した兄、李登欽も靖国神社に祀られている。
私はそれが今でも兄とつながる支えだ。
写真は靖国神社を参拝された
李登輝元台湾総統