【チベット国旗】「雪山獅子旗」と「旭日旗」…両民族だけが持つ深い絆
チベットの国旗は、1912年(大正元年)に ガンデンポタンが チベットの独立を宣言した際にダライ・ラマ13世によって制定されました。
「ガンデンポタン」 とは、ダライ・ラマ領の統治機関で、1642年から1959年まではラサのチベット政府を意味しましたが、現在はインドにあるチベット亡命政府を指します。
チベットの国旗は旗の正面に位置する白い雪山の前面で、2頭の スノー・ライオン(唐獅子)が 3つの宝石を支えているものです。
その姿から“雪山獅子旗”と呼ばれ、“旭日旗”がデザインモチーフになった大変に美しい国旗です。
この美しい“雪山獅子旗”は日本との深い繋がりがあります。
かつて清国が支那を支配していた時代からチベットは政治的な干渉を受けてきました。
民族独立を果たしたいという願いと、日露戦争や日清戦争の日本の活躍に憧れを抱いていたダライ・ラマ13世の信頼が厚い“青木 文教”が、日本の 「旭日旗」 のデザインに着眼してチベットの国旗を作成したそうです。
■【青木 文教 (あおき ぶんきょう)】
1886年(明治19年)‐1956年(昭和31年)、日本のチベット研究者、僧侶で仏教大学(現・龍谷大学)大学院生の時にチベットに派遣される。
(中略)
仏教大学在学時の1910年(明治43年)、西本願寺法主・大谷光瑞の命でチベットに派遣され、1912年(大正元年)にラサ入りを果たす。
多田等観とともにラサに滞在し、チベット仏教を研究し、チベットの国旗をデザインする。 (これに関しては ■矢島保治郎が行なったという説もある)
また、チベットを離れる最後の一夜にはダライ・ラマ13世と就寝するなど、深く現地に溶け込んだ。
■【矢島 保治郎(やじま やすじろう】
1882年(明治15年) - 1963年(昭和38年)は日本の探検家、軍人。
四川省からのルートで初めてチベット入りした人物であり、ダライ・ラマ13世の厚遇を受けてチベットの軍事顧問に就任した。
(■以上 Wikipediaより)
また、チベットと日本にはこのようなエピソードもあります。
大東亜戦争の開戦前、経済封鎖された日本に対し、チベット政府から大量の羊毛が送られて来ました。
その理由はただ一つ、 「同じ仏教国が苦しい思いをしているから」 でした…
戦争突入後もチベットは一貫して中立を守り、日本との国交は変わらず続けられました。
当時の日中戦線において、支那は米国から武器弾薬等をビルマ経由で輸入していました。
このルートが日本軍によって絶たれたことで、連合軍側はヒマラヤ越えのチベット・ルートを開こうとします。
しかし、先代のダライ・ラマ13世はあくまでも中立を貫き、米国大統領特使の強硬な要求にも断じて応じませんでした。
このあまりにも理想主義的な外交が、やがてチベット国に悲劇をもたらす結果となります。
1945年 8月15日
日本が敗戦します。
日本との国交を継続していたチベットは、なんと国際舞台において 「敗戦国扱い」 をされるようになってしまいました。
その後
戦勝国によって 「国連常任理事国」 が結成され、なぜか日本から逃げ回るだけだった中共支那がそのメンバーになります。
ここからがチベット民族の悲劇の幕開けでした…
1947年(昭和22年)、チベット政府は代表派遣団をインド・デリーで行われたアジア会議に送り、ここで自身を独立国家と表明します。
インドは1947年から1954年(昭和29年)にかけて確かにチベットを独立国家であると認識していました。
この時会議にチベットの国旗“雪山獅子旗”が持ち込まれ、これが公的な場におけるチベット旗の最初の出現になります。
その後、チベットは中共支那から武力による侵略を受け
チベット人は今もなお、中共支那から人権蹂躙、民族差別と弾圧、民族殺戮を受け続けています。
中共政府からは“雪山獅子旗”の掲揚は 「チベット独立の意思表示」 であると厳禁にされ。
“雪山獅子旗”の掲揚が発覚した場合は、“旗を掲揚した罪”で即座に当局に逮捕され実刑に処されるそうです。
日本では、チベット関係のデモ(北京オリンピックの聖火リレー抗議デモなど)や、中共支那へのデモ(2010年尖閣諸島抗議デモなど)などで頻繁に使用されてきました。
ところが日本は…
支那に対し、民主化・人権問題で改善要求の圧力を加えなければならない立場にあり。
しかも
チベットからは戦中に受けた深い恩がありながら
よりによって日本の官権は“雪山獅子旗”を掲げるチベットの人たちや、その支援者の人たちを日本国内で拘束したことがあります…
そこまでしてやったところで
当の中支那は、今やベトナム、フィリピン、台湾どころか日本の領土にまで武力侵略の毒牙を伸ばしています。
中共支那が民主的手段でチベットやウイグル、台湾問題を解決できるように促すためには
これらの問題に関心を持ち
アジアにおける民主主義の旗手であり、かつて東亜共栄圏の理想を掲げ、アジアを欧米による植民地支配から独立・解放に導いた日本の自覚と奮起が必要です。
日本政府がこれまで中共支那に民主化や人権問題の改善要求を行ってこなかったのには理由があります。
中共は米国によるチベットやウイグルでの人権問題に対する国際的圧力を異常なまでに恐れ、強く反発します。
それは“支那の民主化”が“中共政権の否定”につながるからであり、支那の崩壊による混乱を未然に抑えるためでした。
しかし現状のアジアを見渡せば
中共支那が存在する限り、チベットやウイグルはおろかアジア全体が中共による直接的な脅威に晒され続けなければなりません。
だからこそ、日本も中共支那の弱点を衝かなければいけませんし、弱点を衝き続けなければいけません。
日本はチベット人の尊い犠牲を無駄にしてはなりません。
彼らはアジア全体のために命を楯にした孤独な戦いを続けているのです。
日本人が“チベットやブータン”になぜか引かれるのは
世界中で“チベット地域”と“日本列島”にしか残存しない“同じDNA”を持つ
紛れもない兄弟民族だからなのです。
コメント
2014/05/31 12:02
2. こんばんは。小学の時に、チベットは結核患者が多いから、赤い羽根募金が、日本から医薬品として行って要ると、授業の事を思いました。こんな歴史が有ったのは、知りませんでした。
返コメ
2014/05/30 0:21
1.![[がまん顔]](https://img.550909.com/emoji/ic_face_endure.gif)
![[ふらふら]](https://img.550909.com/emoji/ic_swirl.gif)
チベットの悲劇は分かってるつもりでしたが、
そんな背景があったとは
決して遠い国ではないんですね
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