資料)2/3☆世界史を変えた日露戦争の勝利
☆【日露戦争が米国に与えた影響―黒人の覚醒と黄禍論】
アメリカの黒人たちは日露戦争の日本の勝利を、自分たちの勝利のように誇りに思い歓喜し、日本が白人優位を覆し新しい時代を作り、抑圧されている有色人種を解放してくれるであろうと夢想した。
特に、のちにアフリカ独立の父といわれたウイリアム・デボイスは、日本がヨーロッパに圧迫されている総ての有色人種を救出してくれる。有色人種は日本をリーダーとして仰ぎ従うべきであると主張した。「ニューヨーク・エイジ」紙には
「行け、黄色い小さな男たちよ。天罰を加えるまでは、その剣を側に置くな。巨大な地球のホコリを、欲望の固まりのロシアを投げ飛ばせ」などの詩が掲載された。
一方、米国人の世論は黒人同様にロシアを中国大陸から排除させるという政略的目的や、米国人特有の弱者贔屓の感情から戦争初期は極めて日本に好意的であった。
しかし、日本の勝利が確定的になるに従い対日警戒心が高まり、日本が日本海海戦に勝利すると、ニューヨーク・サン紙は
「今や日本海軍は、一挙に世界の海軍で卓越した地位を占めるに至った。世界第一の英国海軍といえども、凌駕せられる日遠からず。この時に当たり、わが国の如きは果たして日本海軍に当たることを得るや否や、要するに6月27日及び28日の海戦は、文明社会の大勢を一変するに至らしめた」と報じた。
ポーツマス条約調印2ヵ月後にサンフランシスコで米国労働総同盟大会が開かれたが、場所が場所だけに大会では排日気運が盛り上がり、翌年3月のカリフォルニア州議会では口を極めて日本人の欠点をあげ
「ハワイからの渡航者が毎月600人を下らず、除隊した日本兵が続々と太平洋沿岸に集まり、このままではカリフォルニアが不道徳、低賃金の群集に満ち溢れ、白人労働者は生活が出来なくなる」と、日本人労働者の入国制限を求める決議が採択された。
翌1906年11月にはサンフランシスコ市学務局が、総ての日本人と朝鮮人学童を東洋人学校に転校させることを決めた(中国人はすでに排除されていた)。
次いで1907年、1909年、1911年とカリフォルニア州議会には日本人の土地保有禁止法案が提出され、ついに1913年3月には国務長官などの斡旋も効果なく、カリフォルニア州議会が圧倒的多数で日本人を対象とした土地所有禁止法案を可決した。
この排日法案を黒人の新聞の多くは一斉に非難した。
「ニューヨーク・エイジ」紙は、日本がこの不正に反撃し、米国はこの不正義に苦い薬を飲むことになるであろうと警告した。
また、さらに移民法案をめぐって日米戦争のうわさが流れると、「ナッシュビィーユ・グローブ」紙は日本と同盟し共に戦って平等を得るべきか、あるいは中立か、あるいは日本に対して銃を取り陳腐な栄光を守るべきかとの記事が掲載された。
一方「ニューヨーク・エイジ」紙や「クリーブランド・ガゼット」紙は、日本と同盟すべきであると主張した。
その後、第一次世界大戦が勃発し、ドイツが中立国の米国の世論を親英から親独に変え、日英同盟を分断しようと、黄禍論を利用したため反日論が再燃した。ハースト系の「ニューヨーク・アメリカン」紙には、「カリフォルニアに気を付けろ」という次の歌が日曜版の一ページを割き楽譜入りで掲載された。
アソクル・サムよ、われわれの警告が聞こえないのか。
彼らは微笑しながらわれわれに近づく、彼らは機会を伺かがっているのだ。
われわれのカリフォルニアを盗もうと。
東郷に気をつけろ、彼のポケットは作戦地図でいっぱいだ。
日本人を信用するな。
☆【ベルサイユ講和会議と人種平等法案提出の衝撃】
日本は日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦に勝利して世界の強国への仲間入りをしたが、それは非白色人種による唯一の近代国家という前例のない孤独なものであった。
日本はウィルソン大統領の平和14条の美しい言葉にも触発され、国際連盟規約に人種平等の1項を挿入することを提案した。しかし、門前払いの形で退けられた。
日本海海戦時にロンドンにいた孫文は、同盟国の日本が勝利したのに「英国人の大多数は、いずれも眉をひそめ、日本がかくの如き大勝利を博したことは白色人種の幸福を意味しない」と語っているが、人種平等法案の提出は欧米諸国から見れば、日本が人種平等を旗印に有色人種を率い、「世界に紛争を巻き起こす」のではないかとの警戒心を高めたのである。
それは英国外務省が次のような文書を、政府部内に配布していたことからも理解できるであろう。
有色人種の中で、日本「唯一国だけ」が発言に耳を傾けさせる十分な実力を持っているが、日本がいかに軍事的に強大になろうとも、白人は日本を対等と認めることはしないだろう。日本が人種平等の主張を貫くことができれば、日本はわれわれよりも優位に立つ。それができなければ日本は劣等のままだろう。いずれにせよ、日本がわれわれと対等となることはありえない。
日本は国際連盟規約に人種差別を盛り込むことができず屈辱的な敗北を喫したが、人種平等法案の提出が有色人種を勇気付け、黒人指導者のデュボイスは「2億の黒人がこの変革期に発言権をもたないのは悲惨である」と、1919年2月には第1回汎アフリカ会議を開催した。
1920年にはナイジエリア、ガンビア、ガーナ一などの黒人が、民族自決と人種差別廃止を促進するため、英領西アフリカ民族会議を設立した。
インド国民議会では大英帝国のすべての自治領と植民地での人種平等を要求し、米国では1919年夏には戦争に参加した黒人兵たちが完全な市民権を要求し大規模な暴動を起こし、100人以上の死傷者を出した。
日本が真珠湾を攻撃し米国政府が日本に宣戦を布告すると、黒人の中には真珠湾攻撃は人種的平等を認めさえるための攻撃であり、日本と戦争をすべきでないと主張する者もいた。
黒人の新聞「ナッシュビーユ・グローブ」紙は、真珠湾攻撃は卑怯な奇襲であり、対日戦争宣言は適切である。しかし、英国やフランス、オランダ、それに米国がハワイやフィリピンを横領していなければ、日本との戦争にならなかったと書いた。
ローバート・ジョルダンなどの黒人指導者は、この戦争は日本が列強に人種的平等を求めて始めたものであり、この戦争は日本が勝ち日本が米国の黒人を解放し、さらにアジアやアフリカから白色人種を追放するであろう。私は日本のためならば無償で働くが米国のためには戦わない。
白人の時代は終わった。12月8日は10億の有色人種の解放の日であるとハーレムで演説し、さらにビラやポスターなどで対日戦争への非協力を訴えた。
デトロイドやハーレムでは、黒人に対するリンチ事件が起きており、黒人には米国が理想と掲げるデモクラシーも空虚な宣伝としか映らなかった。
また、黒人には日本人を敵とは考えられなかった。前線に出された黒人兵士の「私の墓石には、ここに黒人が横たわっている。この人は白人を守るために黄色い人と戦って死んだ」と書いてくれという小話が、太平洋戦争に対する黒人の感情を、最も良く表しているといえよう。
このような黒人の不満に、米国政府は黒人の忠誠心、戦争に対する協力を得るために、黒人の要求を受け入れざるを得なかった。
一方、入隊した黒人兵士たちは国外では「枢軸国に対する勝利のV」、国内では「人種差別に対する勝利のV」の「ダブルV運動」を展開した。それが戦後の黒人の差別撤回運動に連なり、1960年代の黒人暴動へと進むマグマとなっていったのである。
☆【日露戦争後に日本が歩んだ1世紀】
日露戦争に日本が勝つと、フィリピンのアルミテオ・リカルテ、中国の孫文、インドのビバリ・ボース、ビルマのウ・オッタマ、ベトナムのファン・ボイ・チャウやコォン・デ侯、中近東からはハムンド・バラカトゥッラーやムハンマド・クルバンアリーなどが独立を夢見て来日した。
明治・大正・昭和の先人たちは、これら亡命者を受け入れ庇護し支援した。しかし、独立運動は強力な西欧諸国の軍事力の前にことごとく弾圧され、これら植民地が西欧の支配から脱することはできなかった。
これを打破したのが太平洋戦争であった。東南アジアの民衆は昨日まで君臨していた白色人種の主人が、日本軍のたったの一撃でろくも崩れ去ったのを目前に見てしまった。
この戦争初期の日本軍の快勝は、日露戦争の時と異なり知識人だけでなく、一般民衆にも独立への自信を与えた。
また日本の唱えた「アジア人のアジア」のスローガンが独立への夢を膨らませたが、日本は3年8ヶ月後に敗退してしまった。
しかし、かっての植民地に西欧帝国主義諸国が再び復帰することはできなかった。
日本軍が育成した義勇軍が、日本軍が教育した南方特別留学生や興亜訓練所などの青年が、各地で覚醒された民衆が一斉に民族独立の戦い立ち上がったのである。
日本の敗北2ヶ月後に国際連合が誕生したが、加入した61国中に有色人種の国は13カ国しかなかった。
しかし、16年後には西欧の植民地はほとんどが独立し、権力は白人から有色人種に移行し、新しい民族国家がアジアや中近東に誕生し、1966年までに31の国が加わり、国連は117カ国に膨れあがった。
国連における有色人種の国家の増加が有色人種の発言権を高め、1966年には「人種差別撤廃に関する国際条約」が採決され、1973年には総ての人間の人権と基本的自由を人種や肌の色などで差別することを撲滅する「人種差別と闘う行動の十年」の始まりとされた。
国連では事務総長などの主要職員も有色人種から選抜されるようになり、また、有色人種をあれほど差別していた米国でも、国務長官や閣僚に有色人種が任命され、ブッシュ政権では日系人からも、ミネタ商務長官やシンセキ陸軍参謀長が任命されるまでに変わった。
このように見てみると、西欧の史書はフランス革命が民族国家を成立させたとしているが、民族国家独立への夢をアジアやアラブ、アフリカの国々に与えたのが日露戦争であり、その夢を実現させために立ち上がらせる衝撃を与え、民族国家を建国させたのが、マッカーサーによって使用を禁止された「先の大戦」と呼ばれる「大東亜戦争」ではなかったのか。