極限状態を生き抜く力
60代前半  石川県
2014/08/21 7:38
極限状態を生き抜く力
この度の広島市の豪雨土砂災害で犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈りいたします。

広島市では、19日夜から降り続いた豪雨の影響による土砂災害で、多くの犠牲者が出てしいました…






日本国内では、天候不順から経済不況まで、人々の生活基盤を破壊するどころか、貴い人命までが損なわれるような最悪レベルの事態が起き続けている。

そのような状況では、突如現代文明の生活が立ちゆかなくなり、私たちはサバイバルを強いられる。






ダーウィンは〝自然淘汰〟をこう語った。


「強い種や賢い種が生き延びるのではない、変化に対応できる種が生き延びる」






自然災害というものは予測できないものが多い。

いつ、どこで、何がどのような形で襲いかかるのか分からない自然災害に遭遇すると、この 「自然淘汰」 を感じてしまう。



なぜなら

実際の極限状態の中では、その状態を受け入れ、その激変した環境の中で適応できた人が生き残っているからだ。






もし人が、災害、事故、紛争、有事などの極限状態に巻き込まれたとしよう。

運良く最初の致命的な一撃を免れ、生き残った後に必要なものとは、まずその極限状態を受け入れることだという。


その上で 「心の持ち方を入れ替える」 ことがでる人が変化に対応し、極限状態を生き残れたということだ。




極限状態を生き残るためには、まず 「身体が強い」 「賢い」 の前に、極限を生き延びるための 「心の持ち方」 が重要になる。




極限状態を生き延びるには。


◎ 「生き残る決意をする」

◎ 「希望を失わない」

◎ 「自分を律する」


この3つが重要だという。





小野田寛郎氏を覚えているだろうか?


フィリピンのジャングルの中で長期に渡る不遇と臥薪嘗胆を耐え抜き、 「最後の日本兵」 と言われ、軍人の鏡とも言われた人物である。



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小野田寛郎氏は30年もの間、フィリピンのジャングルの中でサバイバル生活を続けた。

彼はまさに想像を絶する精神力の持ち主だった。


圧倒的物量で日本軍を叩きつぶすアメリカ軍の猛攻の中をフィリピンのルバング島で生き残り、ジャングルの中でサバイバルを貫徹した。


彼は日本軍が敗れたことは知っていたが、戦争に送り込まれる前に兵士のひとりとして、このように言われていたそうだ。

「この戦争は百年続き、日本が敗戦して占領されてもなおも戦争は遂行されるので、お前は絶対に玉砕してはならず、反撃の機会を待って生き延びなければならない」

だから、1945年に日本が敗戦しても、彼はジャングルの中でアメリカ軍の掃討やフィリピン軍の掃討をくぐり抜け、投降せず、日本を最後まで守り抜く一兵士として戦い抜いた。


戦後の30年 彼は日本兵として戦ったのだ。


─中略─


しかし、激戦地帯だったフィリピンに送り込まれ、ルバング島で部隊の4分の3が死に絶える中を生き延びた。

さらに投降せずにジャングルの奥に潜んで、次々と送り込まれる掃討兵を、ひとり、そしてひとりと確実に息の根を止め、日本の敗戦後も日本軍の反撃を待ち雨と泥の中を生き、ジャングルで生存闘争を30年続ける。

自らの母体だった日本軍の援助もなく、救援も来ない、明日を生き残れる保証もない。


何もない中で、生き続けるというのは、もちろん 「生き残る決意をする」 「希望を失わない」 「自分を律する」 という3つがなければならなかった。

これほどまでに自分を律することができた人はいない。


だから、小野田寛郎氏は普通ではなく、今でも彼を熱く思う人たちもいる。

この恐るべき精神力を持った人はすでに過去の人物だと多くの人は思い、記憶から消え去ろうとしている。


※※※※※※※※※※※※※※




日本人にとって、むしろこの人を思い出さなければならないのは、これからなのかもしれない。






災害というのは正確な予測などできないものだ。

いつ、どこで、何がどのような形で襲いかかって来るのかは分からない。



予測がついたとしても被害は避けられず、突発的な大災害ともなれば絶望的な被害が生じる。




これだけ大規模災害が起きている以上は、災害大国に住む日本人なら誰もが生涯の中で信じられない規模の災害に巻き込まれる確率がある。




一体、どうすればいいのだろうか?



極限状態で生き延びたとき。

絶望の中で自分を律し、変化に対応し、希望を失わず、長期に渡る不遇と臥薪嘗胆の中を耐えなければならない。




そんなとき


「生き残る決意をする」

「〝絶対に〟希望を失わない」

「自分を律する」


この3つを兼ね備えた小野田寛郎氏の生き方は、光り輝くだろう。






最後に

フィリピン警察軍は、約30年の間に93回の討伐を行った。

時には約100人を動員して包囲作戦に出たが、小野田少尉以下は激しい銃撃戦を展開し、包囲網を突破している。

しかし、女性と子供には危害を加えなかった。

戦闘力も敵意もない女子供は、戦いには無関係だったからだ。



後に投降した小野田少尉に、州知事夫人はこう語っている。


『島の男たちは30年間、大変怖い思いをした。

不幸な事件も起きました。

しかし、オノダは決して女性と子どもには危害を加えなかった。

彼女たちが子供たちと共に安心して暮らすことができたのは、大変幸せなことでした』
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コメント

60代前半  石川県

2014/08/22 15:59

4.  >>3 助っ人さん
こんにちは

ありがとうございます、こちらこそよろしくお願いします。

40代後半  徳島県

2014/08/21 22:20

3. こんばんは、スマイルありがとうございます。
本来、私の方から
ご挨拶しなければならないのに、挨拶が遅れてすみません。勝手にフォローして色々勉強させて頂いてます。
今後も宜しくお願いします。

60代前半  石川県

2014/08/21 12:05

2.  >>1 シロクマ・讃岐のチヌ法師さん

ヘイトスピーチに目を瞑りレスします

シナに限らず人類が全面核戦争で生き残ることは難しいでしょうね

70代以上  香川県

2014/08/21 11:51

1. 核戦争が、おこれば、生き残るのはチャイナとゴキブリ、、て言われますが、(>_<)

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