▲御嶽山噴火が改めて気づかせてくれたこと
先週土曜日、 秋晴れの9月27日お昼近くに御嶽山が突如として噴火しました。
しかも、 いくつもの悪いタイミングが重なり、 登山客の方々に多くの犠牲…
死傷者が出ています…
あまりの被害の大きさに絶句するばかりです。
心よりこの噴火により亡くなられた方のご冥福をお祈りします。
今、 耐え難きを耐え、 黙々と懸命に、 御嶽山山頂付近で救助活動を続ける自衛官、 警察官、 消防官の方々がいます。
お風呂にも入れず、 毎日活動される消防、 警察、 自衛隊のみなさん、 本当におつかれさまです。
>お風呂、 入れるといいですね。
>みんながあったまって 「ゆだん」 できますように。
>「なんでもない日」 って、 いつも言ってたけれど、 ほんとうに宝物のように思えています。
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これは、 直接御嶽山の噴火にされたコメントではありませんが、 3年前の4月に コピーライターの糸井重里さんがご自身のブログでされたものです。
きっと、 救助隊の方々はもちろん、 被災者の方々やご家族もゆっくりと満足にお風呂にも入れないことでしょう。
いつか、 みんながあったまれますように…
◆ほぼ日刊イトイ新聞(4月20日 「今日のダーリン」 )より抜粋
◎思えば、 自衛隊の存在について、 賛成反対、 いろんな立場があったと思うんです。
でも、 その立場を超えて、 被災地で懸命に働いている自衛隊の方々に、 感謝し応援している人がほとんどでしょう。
立場って、 おかしなものだなぁ。
目の前で助けてくれている人が、 ありがたいわけで、 いくら思想信条がいっしょだからって、 なにかの現場で対立してしまったら、 もう味方でも仲間でもないということになっちゃう。
3月10日まで、 自衛隊に対してよからぬ印象を持っていた人が、 あの日から、 「ありがとう」 と言う人になる。
戦争の映画などで、 敵に助けられる兵士が出てきたり、 敵国の人に親切にされるストーリーもあります。
ぼくは『大地の子』というドラマが大好きなんですが、 これも、 立場を超えた物語です。
立場って、 ほんとに、 なんなんでしょうねぇ。
◎自衛隊の人たちも、 避難している人たちも、 原発での作業をしている人たちも、 「入浴」 できないでいるらしいです。
これは、 大きな問題なのだと専門家も言います。
ぼくも、 素人ながら、 そう思います。
お風呂に入るというのは、 徹底的に 「ゆだん」 できている状態です。
これ以上ないくらい無防備なのが睡眠と入浴です。
この 「ゆだん」 を、 生きることのコストとして、 たっぷりとっているのが、 ふだんの、 なんでもない人間の暮らしなんですよね。
入浴ができてない、 睡眠が足りてない場所が、 日本からなくなるのは、 いつごろになるのかなぁ。
お風呂、 入れるといいですね。
みんながあったまって 「ゆだん」 できますように。
「なんでもない日」 って、 いつも言ってたけれど、 ほんとうに宝物のように思えています。
そして、 自衛隊といえば、 これも忘れられません。
◆元内閣総理大臣吉田茂による 「昭和32年2月 防衛大学第1回卒業式訓示」 とされる言葉。
『君達は自衛隊在職中、 決して国民から感謝されたり、 歓迎されることなく自衛隊を終わるかもしれない。
きっと非難とか誹謗ばかりの一生かもしれない。
御苦労だと思う。
しかし、 自衛隊が国民から歓迎されちやほやされる事態とは、 外国から攻撃されて国家存亡の時とか、 災害派遣の時とか、 国民が困窮し国家が混乱に直面している時だけなのだ。
言葉を換えれば、 君達が日陰者である時のほうが、 国民や日本は幸せなのだ。
どうか、 耐えてもらいたい』
今年2月、 大雪災害において雪で閉ざされ孤立した集落の人たちが、 昼夜を分かたず救助活動にあたる自衛隊員の姿に、 どれほど勇気づけられたことか。
昨年、 豪雨被害を受けた伊豆大島でも、 行方不明者の捜索を懸命に続ける自衛隊員の姿は、 島民の方々や国民に大きな勇気を与えてくれました。
そして今の御嶽山における自衛隊員の姿…
今ほど自衛隊が日本国民から信頼され、 頼りにされている時代はかつてなかったでしょう。
今この瞬間も、 緊張感で張りつめた災害現場で士気高く任務にあたる自衛隊員の姿は日本人の誇りです。
もちろん
自衛隊に対し誹謗中傷の限りを尽くすばかりの、 故・土井某や福島某や江川某や有田某であろうと、 当然救助します。
それが自衛隊です。
ただただ頭が下がるばかりです。