天皇と大相撲の関わり
60代前半  石川県
2014/11/04 17:33
天皇と大相撲の関わり
大相撲は単なるスポーツではなく、日本の伝統文化、伝統芸能であり、神事であることは、ご存知だと思います。



歴史上、大相撲がいかに天皇・皇室と関わりの深いものであったのか。

舞の海氏の解説を箇条書きにした年表があります。



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◎642年(皇極天皇元年)

百済から来た使者を饗応するため、飛鳥の宮廷の庭で相撲を見せたという史実が文献で確認されている。

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◎734年(聖武天皇の代)

初めて天覧相撲が行われたとされる。

聖武天皇は諸国の郡司に対し、強い力士を選んで貢進するように勅命も出しており、国家儀礼として宮中で行われる相撲「相撲節会(すもうせちえ、あるいは、すまいのせちえ)が正式に形作られていった。

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◎平安時代初頭

天覧相撲が毎年恒例となる。

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◎833年(仁明天皇の代)

「相撲節会は単に娯楽遊戯のためではなく、武力を鍛錬するのが中心の目的である」と勅命を出し、諸国のすぐれた相撲人を探し求めるようになる。

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このようにして相撲は天皇から認められ、宮中儀式となり、国家的文化として隆盛を極める。


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◎平安時代

相撲は民間各地でも豊作祈願の農耕の儀式として行われていたが、宮中で相撲節会として扱われなければ、やがて廃れて続いていなかったかもしれない。

実際に、その後、相撲は危機に瀕することもあった。

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◎12世紀

武家社会が到来し、相撲は宮中から武士の手に渡り、戦のために鍛錬するという武芸の一種のような性格が強くなっていく。

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◎室町時代

いろいろな文化、芸能が起こり、芸能文化としての相撲は段々衰退していき野蛮なものだと思われるようになっていく。

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◎戦国時代

織田信長が相撲好きで、上覧試合も行われるようになり、見直されていく。

豊臣秀吉もそれに倣う。

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◎江戸時代

寺社仏閣を建てる、橋を建てるという名目で、営利目的の相撲の興行が起きるようになる。これを勧進相撲という。

平和で、力のある外様大名が中央政治に関与する機会がほとんどなかったため、各藩の大名が強い力士を探して、それぞれ抱え、藩の名誉を競うようになった。

※津軽家(青森県)や島津家(鹿児島県)など、熱心な大名家の領地だった土地には、今でも輩出する力士の数が多い。

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◎明治時代

天皇が京都から江戸に移る時、京都の力士たちは菊の御紋の陣羽織を着て先頭に立つことを名誉とした。

文明開化で西欧文明を取り入れるようになると、相撲はまた室町時代のように野蛮とみられるようになり、裸になることすら憚られるようになったが、その時、相撲を救ったのは明治天皇であった。

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◎明治17年

芝延遼館で天覧相撲が行われ、一気に相撲が見直された。

もし、ここで天覧相撲が行われていなかったら、時代とともに相撲はなくなっていたかもしれない。

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○大正以降~

昭和天皇は大変な相撲好きでいらしたことが知られている。

昭和天皇のご存在が、大相撲を現在の形にしたといっても過言ではない。

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【天皇賜杯】
力士にとって最高の名誉。

大正14年、昭和天皇が摂政宮でいらした時に、赤坂の東宮御所で天覧相撲が行われたが、この時の御下賜金で摂政盃(優勝賜杯)が作成され、これが現在の天皇賜杯につながっている。

【大日本相撲協会】
天皇賜杯をいただくのに、大相撲を行う団体はきちんとしておかなければならないということもあり、財団法人となる動きは加速し、大日本相撲協会が認可された。

これが現在の公益財団法人「日本相撲協会」へとつながる。

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こうした経緯から、舞の海氏は、大相撲がここまで続いたのは日本に天皇がいらしたから、日本に皇室があったからこそだと考える。

昭和天皇や今上陛下が何度も国技館に足を運んでくださり、大相撲を見守ってくださってきたことを、舞の海氏は感謝している。

ただ、ここ何年間の不祥事により天覧相撲が3年以上途絶えていることは、やむをえないことかもしれないが本当に残念です…とも述べる。

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【正論】教育提言『私が伝えたい天皇・皇室のこと』から


◆第3回『何が相撲の伝統を守ったか』 舞の海秀平


ー抜粋ー


 相撲に限らず、皇室のご存在を精神的支柱とし、その中で発展してきた伝統文化は多いはずです。

 同じようにさまざまな伝統文化が、皇室のご存在によって生まれ、維持され、発展してきたはずです。

 そういう意味では、天皇・皇室は、伝統文化を守る大きなシステムであるともいえるのではないか。


 私たち相撲関係者は、皇室への敬意を決して失いません。

 相撲界の先輩から聞いた話ですが、昭和天皇が崩御された時、大相撲の親方、力士は、ご遺体が運ばれるのを、土砂降りの冷たい雨の中をずっと立って待っていたといいます。

 いつ到着されるか分からなかったこともあり、はじめは、みな傘を差してお待ちしていたのですが、当時の相撲協会の二子山理事長が「傘をとれ」というと、力士がみなズブぬれになりながら、頭を垂れて、ご遺体を見送ったそうです。

 私は、この話を聞いた時、本当に胸が熱くなりました。

 私は、相撲界に携わる一人として、皇室の弥栄を心よりお祈りして参りたいと考えております。


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■ 「外国人力士排外発言」 とは正反対だった舞の海氏の講演での発言


舞の海氏は、正論7月号でも相撲界における外国人増加について意見を述べていますが、講演などでも同様のことを話しています。


「今大相撲を支えているのはモンゴル人なのです。

 モンゴル人がいるからこそ、私たちは横綱の土俵入りが見られるわけです」


というように、外国人排外どころかモンゴル人力士に敬意を表しています。


そして

「(モンゴル人に比べ)このごろの日本人力士には『3~5年やってだめなら、田舎に帰って何か仕事を探せばいいかな』と考えている力士がたくさんいるのです」 と指摘し、最近の日本人力士、ひいては日本の若者全体のひ弱さや内向きな姿勢を批判しています。



これが朝曰系の週刊誌による歪曲・捏造記事の真相!

火のないところに煙をたてる、いつものやり方=放火です。
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