朝鮮に生き続ける シナの羈縻【2015年ver 】
【シナの羈縻(きび)】
◇羈:午の手綱
◇縻:牛の鼻綱
羈縻とは牛の手綱と鼻綱のこと。
要するにシナは周辺諸国を家畜や禽獣のように見なし、シナから離反しないように繋ぎ止めておく間接支配の方法を示す言葉。
日本には聖徳太子の書「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」があった。
そして
南北朝期の懐良親王が明の太祖からの朝貢を促す書簡を無礼と見なし、明の使者を斬り捨てている。
このことに表れるように、日本は中華中心の華夷観を否定し、対等な外交を志向する向きが強かった。
それに対し
朝鮮は中華王朝に盲従し、積極的に中華文明、つまり儒教及びそれに伴う華夷観を受けいれ、中華にすり寄り同化することで自国の格上げを図る道を選択した。
朝鮮は、華夷秩序では夷狄禽獣の類だ。
だが朝鮮は、自らを「中華王朝と共に中華を形成する一部(小中華)」と見なそうとした。
朝鮮の姿勢は
政治的には事大、文化的には慕華(中華を慕う思い)となり、政治的・文化的に中華に従うものとして整合性は取れたものだ。
しかも、朝鮮は時に漢民族以外の王朝(金や元、清など)にも節操なく事大し、これを事夷と呼んだ。
一方で、自らを小中華と見なすことは、朝鮮自らを棚にあげ、周辺諸国を野蛮な夷狄禽獣として差別することだった。
この、自らを華、周辺諸国を夷、とする姿勢は、文化的優越主義以外に及び、政治、地理、世界観にも表れる。
現実は無視し「朝鮮は中華王朝と共に世界の中心をなし、周辺諸国を従属させている」と都合良く解釈しようとした。
例えば
李氏朝鮮初期の1402年に製作された「混一疆理歴代国都之図」では、シナが世界の中心に位置し、朝鮮半島は実情よりかなり拡大された形で描かれる。
それに対し、日本列島、琉球列島、東南アジア諸国はかなり小さく描かれ、方角も誤っている。
後に朝鮮が属国として臣従する清朝・女真族の居住地だったシナ東北地方は曖昧なままだ。
つまり
朝鮮人の脳内世界観は、明と李朝が中華であり、それ以外の地域は夷であるということだ。
こうした論理は、朝鮮国内にも向けられ、中華文明を身につけていない者は同じ朝鮮人同士でも差別された。
李朝後期の両班達は、自身を「礼義を識り、漢詩漢文を巧みに操り、儒教の経典に精通した中華文明の体現者」と捉え、一方で庶民を「夷狄禽獣の類い」と階層的差別意識を強く露にした。
また
朝鮮式小中華思想には、中華思想と同じく、包容(背乗り)の論理が含まれていた。
朝鮮には、独自の冊封体制、朝貢体制を整えて夷狄との交流を図り、あるいは帰化人を受け入れて同化させるといった面も見られた。
中華思想において、この差別と包容、二つの相反する側面は、国力が充実しているときには異民族に開放的になり、包容の側面が表れる。
政治的に、異民族から強い圧迫を受けているときには、差別化が強調される傾向を持っていた。
これは、朝鮮式小中華思想でも同様で
政治的逆境に置かれた時期には、なんちゃって文化的優越主義を基にした差別の側面が強く表れてきた。
中身が伴わない朝鮮の積極的かつ極端な中華文明受け入れの姿勢は、中華に同化することが究極の目的であり、独自の文化や文明の発展を著しく阻害してきた。
一例として、李朝前期の世宗が独自の表音文字、ハングルを制定しようとしたとき、官僚を含む知識人階級から「捨中華自同・夷狄」(中華を捨て夷狄に同化する)行為だと大反発を受ける。
このため、ハングルは日本併合時代に、日本人が整理し、日本人が賤民庶民に普及させるに至るまで、朝鮮人からは愚民文字・諺文と呼ばれ蔑まれてきた。
結局、ハングルは朝鮮人の手で正規の文字になることはなかった。
このような、中華に盲従し、尊び、同化を目指し、民族の独自性を排除する考えは儒者に共通するものだ。
特に
朝鮮式小中華思想を掲げ
中華に倣い
科挙を取り入れ
仏教を弾圧し
儒教を支配理念としてきた朝鮮において顕著に表れた。