韓国の持つ「8月15日」の意味
私の嫌韓の発端は 2002日韓w杯だが…
私が在日朝鮮人・在日韓国人の存在を初めて知り、興味を持ってから30年になる。
当時、興味深く読んだ小室直樹氏の書籍数冊を読み返してみた。
(;´_ゝ`) 手元にある書籍の4刷発行が30年前 ;
記憶より5年ほど古かったようだ・・・
◆小室直樹著『韓国の悲劇』(光文社カッパブックス、昭和60年)より一文を引用紹介。
>>「韓国においては8月15日は、解放記念日として祝われる。
ここから、すべての誤りがはじまる。
その第一の理由は、この日に、韓国・朝鮮は解放されたのではないからである。
そして第二に、韓国における根本的不幸はこの日からはじまったからである。昭和20年8月15日、日本はポツダム宣言を受託した。しかし、このことによって朝鮮が解放されたわけではなかった。
(中略)
『解放』なんて言ったところで、決して、自力で『日帝』を追ったのではない。
本当のところ、ほとんど何もできなかったのだ。
日本が降伏した後も同じであった。日本は、8月15日、ポツダム宣言を受託したが、日本の朝鮮支配は、まだ終わっていなかった。
『解放の記念日』といわれた8月15日以降も、日章旗は、日本の朝鮮支配のシンボルたる総督府にも、李王朝のシンボルたる景福宮にも、役所にも工場にもひるがえっていたのである。
自由朝鮮の国旗たる大極旗は、すぐに下されてしまった。これに対し、革命の指導者も、独立の志士も、何ひとつできなかった。民衆も、昨日のごとく今日もありなんとばかり、座したままであった。このことは、銘記されなければならない。
たとえばもし、フィラデルフィアで、自由の鐘が鳴り響いているとき、星条旗を引き下ろしてユニオン・ジャックを掲げたらいったいどうなるか、想像してみればよい。
アメリカが、交渉相手として選んだのは朝鮮総督府であり、アメリカ軍が気にしたのは、上月良夫(うえつきよしお)中将の朝鮮軍管区軍(もちろん、これは日本軍)であった。
8月15日のポツダム宣言受託から、9月9日の、朝鮮総督府、朝鮮軍管区軍の沖縄二十四軍団の降伏がなされるまで、韓国における統治は、なお総督府の手にあり、朝鮮軍管区軍によって治安は保たれていた。
群民蜂起もなく、いわんや革命もなかった。『反日帝』の指導者はみんな、まごまごするだけで、何をどうしてよいかわからなかった。
このことがもつ、歴史的重大性は、強調されすぎることはない」
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まず、朝鮮半島の状況について整理してほしい。
当時の朝鮮半島は「戦場」ではなかったということ。
当たり前の話だが、戦場ではない朝鮮半島で非日常的なことは起こり得ないはずだったし、起きた場合でも警察官が駆けつけることが出来た。
つまり、今現在となんら変わりのない状況にあったということだ。
しかも
朝鮮の行政官や警察官には朝鮮人が多く、行政トップの知事にも朝鮮人が多数任命されていたのが実態だった。
朝鮮人はそんな恵まれた環境にありながら、なぜか独立を戦うどころか、引き揚げる日本人に対して乱暴狼藉や盗難を繰り返すばかりだった……
その後の朝鮮
日本から独立したのではなく、米ソ冷戦の中で二分され、自力で何の努力をすることもなく米国から独立した。
した、というよりw
米ソに独立させて頂いたw
その独立とは、南北に二分された朝鮮半島の南半分の、米国による米国のための戦略的独立である。
そして、米ソに独立させられた北半分と南半分は、昭和25年(1950)から朝鮮戦争を戦う。
南進統一を目指す金日成がスターリンの支援を受け南朝鮮に侵攻、ソウルを僅か3日で落し半島南端まで攻め入った。
どさくさ紛れに、中共シナもソウルの南まで侵攻しているがw
同じ民族が二つに分かれて激突した朝鮮戦争は、南北に甚大な被害をもたらした。
その被害の大きさは、朝鮮人が日本国民として米英等と戦った大東亜戦争での被害をはるかに上回る。
朝鮮半島が今も二分され、民族が分断されているのは、日本がもらたしたものではなく、米ソ冷戦期に朝鮮民族が相別れて戦った米ソ代理戦争の結果だ。
8月15日が『光復節』だと?
恥知らずにも程がある。
もし
南朝鮮に真の愛国者がいるのならば
朝鮮戦争での同じ民族同士の殺し合いはもちろん、韓国政府による自国民大量虐殺の抗争の歴史について正しく知るべきだろう。