明けましておめでとうございます
60代前半  石川県
2016/01/02 7:17
明けましておめでとうございます
今年は皇紀2676年。

西暦2016年
平成28年

そして丙申(ひのえ さる)の年です。


昨日、元旦は天皇陛下が御自ら四方拝でその年の厄を払って下さる晴れやかな日でした。



そして、本日1月2日は新年一般参賀です。

皇居において天皇皇后両陛下が国民からの祝賀をお受けになられます。

国民を常に慈しみ、激励になられる天皇皇后陛下のお姿には、ただただ畏むばかりです。


私はテレビで新年一般参賀を見ますが

天皇陛下と共に新年を迎えられる幸せを喜ぶと共に、今年一年の皆さまのご健康とご多幸をお祈り申し上げます。



今年もどうぞよろしくお願いします。




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※明治天皇の玄孫にあたる竹田恒泰氏のHP「皇室のきょうかしょ」より


「皇室のきょうかしょ vol.88」 正月の宮中祭祀

 正月、一年の一番初めに行われる宮中祭祀(きゅうちゅう・さいし)は、「四方拝(しほうはい)」と呼ばれます。これは数ある宮中祭祀の中でも、最も重要な祭祀の一つで、天皇陛下が御自ら行われることになっています。そのため、御代拝(ごだいはい)(代理人が祭祀を代行すること)が認められません。

 御代拝が認められないということは、御不例(ごふれい)(天皇の体調が優れないこと)などの場合、四方拝は中止となるわけです。

 また、天皇が元服(げんぷく)を迎える前は、御座だけ作られて四方拝は行われず、また日蝕(にっしょく)や、諒闇(りょうあん)(天皇が喪に服している期間)は行われないことが慣例となっています。
 
 四方拝は、元旦の早朝に天皇がその年の属星(ぞくしょう)、天と地、四方の神々、山陵(さんりょう)(天皇陵)を拝み、年の災いを祓い、豊作を願う儀式で、飛鳥時代に始まり、平安時代に正月の祭祀として定着してから、現在まで続けられています。
 
 明治維新までは、皇居が京都にありましたので、禁裏御所(きんり・ごしょ)(京都御所のこと)の清涼殿(せいりょうでん)の東庭で行われました。

 東庭には、次のように御座(ござ)が作られます。

 畳で三つの座が設けられます。一つは属星を拝し、一つは天地四方の神々を拝し、一つは天皇陵を拝するための座です。

 三つの座の北側には燈台と机が置かれ、机にはお香と花が供されます。そして、それら取り囲むように屏風(びょうぶ)が張り巡らされます。

 元旦に寅の一刻(午前四時頃)、「黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)」をまとった天皇が出御(しゅつぎょ)(天皇がおでましになること)され、厳かに儀式が始められます。

 黄櫨染御袍とは天皇のみが着ることを許される特別の装束で、平安時代から用いられています。日の光が当たると、太陽のように輝くといわれています。

 四方拝は、天皇お一人がされる特別の祭祀で、その詳細は一般人はおよそ知る必要もないものですが、『内裏儀式(だいり・ぎしき)』や『江家次第(ごうけ・しだい』など、平安時代の儀式書には、四方拝の様子が記されています。少し儀式の概要を紹介することにしましょう。

 天皇は大晦日の夜、御湯(みゆ)で玉体(ぎょくたい)(天皇の身体)を清められ、黄櫨染御袍で出御されます。

 御座に着座された天皇は、御笏(みしゃく)(「笏」とは、よく神主が手に持つ白木の板)をおとりになり、北に向かい、新しい年の属星の名字を七回唱えられます(天皇の生まれ年の属星という説もある)。

 北斗七星の七つの星にはそれぞれ、年の干支(えと)が割り当てられています。その表は次に示すとおりです。例えば、平成二十年なら子年(ねずみどし)ですから、属星は「貪狼星(そんろうせい)」(※平成二十八年は申年で廉貞星)ということになります。

①貪狼星(どんろうせい)(子年)
②巨門星(こもんせい)(丑年、亥年)
③禄存星(ろくそんせい)(寅年、戌年)
④文曲星(ぶんきょく)(卯年、酉年)
⑤廉貞星(れんていせい)(辰年、申年)
⑥武曲星(ぶきょくせい)(巳年、未年)
⑦破軍星(はぐんせい)(午年)

 次に再拝(さいはい)(深く拝む動作を二回繰り返すこと)に続けて、呪文が唱えられます。『江家次第』によると、その呪文は次のようなものです。

賊冦之中過度我身、
毒魔之中過度我身、
毒氣之中過度我身、
毀厄之中過度我身、
五急六害之中過度我身、
五兵六舌之中過度我身、
厭魅之中過度我身、
萬病除癒、所欲随心、急急如律令。

 天皇以外、この呪文を唱える必要はないため、ここでは敢えて読み方を記さないことにします。四方拝は宮中の秘儀中の秘儀ですから、呪文の内容が古文書に記され、それが公開されていること自体が驚くべきことなのです。

 さて、文中に何度も登場する「過度(かど)」とは、「安全に守ってもらう」という意味で、たとえば最初の「賊冦之中過度我身」は、「賊冦(ぞくこう)のなか、わが身を過度せよ」という意味になります。

 「急急如律令(きゅうきゅうにょりつりょう)」というのは、よく漫画や映画などで、陰陽師・安倍晴明(あべの・せいめい)が唱える呪文なので、耳にしたことがある人もいることでしょう。

 これは陰陽道の呪文で、強いて訳すと「至急に掟(おきて)の如く振る舞え」というような意味になりますが、すでにその意味は失われ、ひとつの呪文となっていると考えられます。

 続けて、天皇は北に向かって天を拝され、次に北西(一説によると西)に向かって地を再拝され、東、南、西、北の順に、それぞれの方角を再拝されます。

 そして最後に歴代天皇が葬られている山陵(天皇陵)を、再拝を二回重ねる、両段再拝(りょうだんさいはい)(「四度拝」ともいう)という作法によって、それぞれ拝され、儀式が終わります。

 四方拝の起源は明確には分かっていませんが、文献に見える初例は、『日本書紀』に記された、皇極天皇(こうぎょく・てんのう)が雨乞いのために四方拝を行ったというものです。皇極天皇は七世紀、飛鳥時代の天皇で、今から千四百年前のことです。

 その後、平安時代初期から四方拝の記述がよく見られるようになり、宇多天皇(うだ・てんのう)の寛平二年(八九〇)からは、正月元旦の恒例とされました。

 四方拝は応仁の乱で一時的に中断されますが、直ぐに再興され、現在まで続けられています。
 北斗七星の属星の名を唱えることなどから、中国・朝鮮の陰陽思想の強い影響を受けていることが分かります。

 大陸からもたらされた陰陽思想(いんよう・しそう)は、日本で独自に発展し、「陰陽道(おんみょうどう)」となりますが、四方拝も、大陸の影響を受けながら、日本で独自に発展した儀式だと考えられます。

 明治以降は、皇居が東京に移ったため、皇居の宮中三殿(きゅうちゅう・さんでん)の西川にある神嘉殿(しんかでん)の南庭に、四方拝のための御座が設けられるようになりました。

 そして、儀式の次第は、伊勢の神宮の内宮(ないくう)と外宮(げくう)、つまり天照大御神(あまてらすおおみかみ)と豊受大御神(とようけのおおみかみ)を拝され、続けて四方の神々を拝されるように改められました。

 四方拝は、明治四十一年(一九〇八)に制定された皇室祭祀令(こうしつ・さいしれい)で規定され、戦前までは国家行事として行われていました。

 終戦後は、皇室祭祀令が廃止されましたが、現在は天皇の私的な祭祀として、明治時代の作法に準拠して行われています。

 現在、四方拝で天皇が拝される諸神は次の通りです。

神宮(じんぐう)(伊勢神宮)
天神地祇(てんじんちぎ)
神武天皇陵(じんむ・てんのうりょう)
先帝三代の陵(みささぎ)(明治天皇、大正天皇、昭和天皇)
武蔵国一宮(むさしのくに・いちのみや)・氷川神社(ひかわ・じんじゃ)
山城国一宮(やましろのくに・いちのみや)・賀茂神社(かも・じんじゃ)
石清水八幡宮(いわしみず・はちまんぐう)
熱田神宮(あつた・じんぐう)
鹿島神宮(かしま・じんぐう)
香取神宮(かとり・じんぐう)

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天皇陛下が元旦に四方拝で唱えられる呪文とは…

「もし今年、日本に災いが降ってくるのであれば、まず私の体を通してからにしてください」

という意だそうです。

人間の魂とはここまで崇高で美しくなれるものなのでしょうか。



天皇陛下にとって国民のすべてが「大御宝」です。

その国民のためにも祈り続けておられる天皇のお気持ち「大御心」を大変にありがたいと感じています。



あくまで私個人の主観ですが

皇室や宮内庁に使われる経費=税金は抑えられ、年間で国民一人当たり約200円、月々17円弱…

現存する「最古にして最後の皇帝」は、絶対にお金で買えない神聖な存在だということを教育して欲しい。

日本人として世界に誇れる皇室に誇りを持ちましょう!
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