◎ おまえら、日本を頼んだぜ… 日本の危機に『中川昭一さんの言葉』を思う
60代前半  石川県
2016/04/18 12:04
◎ おまえら、日本を頼んだぜ… 日本の危機に『中川昭一さんの言葉』を思う
九州のみなさまにはこのたびの熊本地震による被害を心よりお見舞い申し上げます。


熊本地震により被災されたみなさまのご心労とご負担は如何ばかりでしょう…

心からお見舞いを申し上げますと共に、一日も早く地震の終息と、復旧が進むことを心から願いお祈りいたしております。



日本列島は、本当に毎年どこかが自然の猛威に曝されています。

一昨年の大雪・集中豪雨被害・台風上陸・御嶽山噴火。昨年の関東東北の豪雨水害・箱根/阿蘇の噴火。

そして今、熊本地震という自然の猛威を目の当たりにして慄然とするばかりです…



私は、自然の前に為す術もない人間の無力さに気づかされるともに、こんなにも日本を愛していた自分に驚いてもいます。

私が愛する日本を守るために、連日連夜獅子奮迅のご活躍をされる自衛隊・警察・消防を代表とする皆様に心から感謝いたします。

それらを統べる安倍晋三総理大臣に心からの感謝をいたします。




私には、日本を憂い、日本のために闘う安倍総理の姿に総理の盟友・中川昭一さんが重なります。

中共シナの猛威の矢面にその身を曝し、抗い続けた真の愛国者である中川昭一さん。


中川さんのことを改めていろいろ調べてみました。



◎麻生内閣では財務大臣としてIMFへ1千億ドルの融資を行い、世界を恐慌から救う貢献をしています。


◯日本人としての矜持を持った稀有な政治家でした。


◯日本を愛し、日本の国益のため筋を通し続けた政治家でした。


◯大臣職にある時も、靖国神社への参拝は毎年欠かしませんでした。


◯大臣職など要職に就くと保身に回り持論を曲げてしまう政治家も多い中、中川さんは一貫して「国士」でした。


◯経済産業大臣時代(2003年5月~2005年10月)シナとの東シナ海ガス田問題で一歩も引きませんでした。



特に

シナとの「東シナ海ガス田問題」が「政治家・中川昭一」を現していると思います。

中川さんは法的・理論的根拠を崩さず、シナに対して毅然とした外交姿勢を貫き、帝国石油に試掘権も与えます。

シナが要求した共同開発についても、日支中間線よりシナ側でも日本の試掘を認めることを前提にするよう再三要求しています。


この国益重視の姿勢が

盟友・安倍晋三総理に与えた影響。

甘利明氏のTPP交渉に与えた影響は非常に大きいと思います。



中川さんの公式HPには、亡くなる2週間前のこんな “言葉” が残されていました。

しかし

今はもう魚拓を探すなどしないと、直接見ることはできません…



【平成5年、我々は負けて野党になった。(私は当選したが)。やはり、不況、悪天候で不作、年末にはウルグアイラウンド(GATT、WTOの前身)で細川内閣は「無条件降伏」をした。あの時も党内で上を下への大議論をやった。しかし、激論の末、石原慎太郎さんの下で党再生の本格的議論が始まった。私も参加して、各分野ごとに、日本の為に党はどうなるべきか、どういう政策を打ち出すべきかを連日議論した。そして一年後、政権政党に戻った。その前提は唯一つ「保守」であった。

 そう、自民党の原点は「保守」なのだ。そして今こそ原点に戻るべきなのだ。

 「保守」とは守るべきものを守り、保守すべきために改革する。そして国民の活力に期待して成長のための戦略を描く。リベラリズム、ポピュリズム政権とどう区別し、対抗していくか。しかし、前進—地球の中で生き残り、真に国民を守るために何をなすべきか。と言った議論が全く欠けている。

 私を含め、「保守」議員の多くがいなくなったが、まだ残っている。彼らがいかに保守の旗印をもう一度立て直し、日本を守り、真の意味で国民を守るかを真摯に議論してほしい。心ある国民はそれを是非応援してほしい。

 自民党は末期的だが、今こそ日本の保守の軸を改めて確立するために全力を尽くすべきだ。さもなければ、日本は世界の中で埋没しながら自壊してゆく。

(中略)

私は今後新たに決意を持って進んでいきます。発信していきます。「日本が危ない」から。】


《中川昭一ライブラリ>中川昭一の声>選挙が終わって—『十勝・日本が危ない』 2009年9月14日》




1993年(平成5年)非自民政権が誕生し、自民党は政権を失いました。


非自民政権は10ヶ月で終わりますが、自民党は立ち直りを賭け、結党以来初めて理念・綱領を見直す作業を行います。

しかし

この時の「自由民主党新宣言」原案からは「憲法改正(自主憲法制定)」が削除されていました。



当時はまだ一年生議員だった中川さんの盟友・安倍晋三総理によれば、中川さんは当時の党の重鎮を向こうに回し、議論のやり直しを迫ったそうです。

そして新宣言に

「21世紀に向けた新しい時代にふさわしい憲法のあり方について、国民と共に論議を進めていきます」

という文言を取り入れさせています



2009年、自民党は再び政権を失ってしまいます。


再び「保守」の理念を忘れてしまうのではないか?

再び迷走してしまうのではないか?


中川さんの最後のHPの文章からは、亡くなる直前まで、さぞ深く心配されていたのではないかと感じ取れます…




…ご安心ください、中川さんのご遺志は安倍晋三総理大臣に受け継がれています。




【中川 昭一(なかがわ しょういち)】Wikipedia

生年月日 1953年7月19日
出生地  東京都渋谷区
没年月日 2009年10月3日(満56歳没)
死没地  東京都世田谷区
出身校  東京大学法学部
前職   日本興業銀行行員(現・みずほ銀行)
所属政党 自由民主党(志帥会)
称号   正三位 旭日大綬章
配偶者  中川郁子

衆議院永年在職議員
法学士(東京大学・1978年)

◯衆議院議員
選挙区 (旧北海道5区→)北海道11区
当選回数 8回
在任期間 1983年12月19日 - 2009年7月21日

◯第10代 財務・内閣府特命担当大臣(金融担当)
麻生内閣
2008年9月24日-2009年2月17日

◯第41代 農林水産大臣
第3次小泉改造内閣
2005年10月31日-2006年9月26日

◯第3~5代 経済産業大臣
第1次小泉第2次改造内閣
第2次小泉内閣
第2次小泉改造内閣
第3次小泉内閣
2003年9月22日-2005年10月31日

◯第27代 農林水産大臣
小渕内閣1998年7月30日-1999年10月5日

親族
祖父・中川文蔵(広尾町会議員)
父・中川一郎(衆議院議員・閣僚)
叔父・中川正男(広尾町会議員)
叔父・中川義雄(参議院議員)
コメント不可

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