せっくすとごはん
改まって言うことではないけど、せっくすをするというものはコミュニケーションのひとつの方法なのです。コミュニケーションであるということは何らかの自分と相手との情報をやり取りしているということで、それは言葉だけではなく触れ合うことで伝わるものが多く感じられる(しかも案外嘘が通用しないw)ため相手との距離は一気に近くなる。
実はそれと同じくらいにはごはんを共にすることで人との距離は縮まる。大袈裟に言うとせっくすもごはんも命を繋ぐ手段、それを共有するというのは特別なことだからじゃないかと個人的には思う。せっくすよりごはんの方がハードルが低く感じられるけど(基本せっくすは異性とだしごはんは同性とも異性とも行けるからね)、せっくすしたくもない相手としなきゃいけない状況が続くのと、一緒にごはん食べたいと思えない相手と食事しなきゃならない状態が続くのとは心へのダメージは結構同じくらいキツいものになると思う。
ごはんも一緒に食べられて且つせっくすもしたい相手といられるというのは、最強に途轍もなく素晴らしく幸せなものなんだよ~、きっと。これが満たされていたらかなり人生大変なことがあってもがんばれるんじゃないかなって気がする。
せっくすだけ、ごはんだけが丁度いい距離感の場合ももちろんあるんだけどね(笑)
ごはんは何を食べるかより、誰かと食べるならどんな関係であれ人として好きな相手と一緒にと改めて心に決める今日この頃。
コメント
2015/12/28 0:07
3.
納得ですねー(^_^)
個人的にはドライブ…ってほどで
なくてもいいから、
食事の場所とかまで
おしゃべりしながらの移動を
挟むのが好きです。
ほぼ密室でのおしゃべりは
むつみごとの予感がして
勝手にドキドキ!(笑)
返コメ
2015/12/28 0:02
2. >>1 りょうさん
コメントありがとうございます(*´ω`*)
奥さまは本能レベルで大切なことをとても分かっておられる方なんだと思います♪
返コメ
2015/12/27 23:58
1. 妻はセックスと食事を分けません。
「食事の時から、セックスは始まってるの」
「前戯と同じよ…」
そう、ハッキリ言いますねf^_^;)
返コメ