ADHDの話2
30代半ば  埼玉県
2021/09/20 6:25
ADHDの話2
前回の話
http://550909.com/m/diary/cms/message?id=12073555

僕の障害、ADHDは大人になってから発覚したものでした。

大学時代のアルバイトでファミリーレストランのキッチンで働いていたのですが、誰よりも仕事ができなくて足を引っ張っており、誰からも「頑張っているけどお荷物」の扱いを受けていました。優しくしてくれる人もいれば冷たく接してくる人もいました。
注文の伝票を処理しきれず、次から次へと新しく入る注文に対応できず、パニックに陥ってしまいます。
4年務めていましたが、できる事は少なかったと思います。
同僚とのコミュニケーションも、ADHD特有の「言ってはいけないことがわからない、余計なことを言ってしまう」せいで、嫌われる事も多かったと思います。
いつしか、お客さんが少なく自分の能力でも処理しきれる、しかし、誰もやりたがらない夜勤の仕事を押し付けられました。
その時の自分は昼夜逆転と仕事のストレスで半ば鬱のような状態になっており、頭に常にモヤがかかったような状態で生きていました。「死んだ顔している、目が虚ろ、顔色も悪い」と人から言われていました。
ある日突然目眩が止まらなくなり、呼吸もできなくなり、立っていられない状態になりました。その時は何もわからなかったのですが、今考えるとパニック障害だったのかもしれません。
何故自分がみんなと同じように仕事ができないのか、考えても考えてもわからずに泣きながら仕事をしていました。

そのせいで大学を2年ほど留年し、単位も危なかったため、卒業に集中する為にファミレスは辞めました。
辞めた後、鬱やパニック障害の症状は無くなりました。

無事卒業後、劇団に入るも挫折し、いろいろバイトや派遣でフラフラと職を転々とした後、アミューズメントパークのフードコートで働き始めました。ここは環境が良く、相性も非常に良かった為、長く働きました。子供を相手にする職業なので、自分の様な発達障害の要素のある人間にも理解があって優しかったです。

バイトから契約社員に昇格して頑張っていたのですが、給料は非常に低かったです。
周りの人の話を聞いていると、給与が自分の2倍くらいだったりするので「ここで働いてたらお金貯まらないし何もできない」と焦って正社員の就職を決意しました。


しかし、今まで飲食のバイトくらいしかやった事のない自分が、どこかでまともなところで雇ってもらえる訳がありません。
紆余曲折の転職活動の末、施工管理(工事現場の現場管理)の仕事を研修段階でリタイアし、知人の紹介で介護の仕事に就きました。
機材を積んだ車を運転して介護利用者の家に行く仕事です。
しかし、業務に必要な運転免許を持っていなかった為に、合宿免許で運転免許を取得してすぐに就職しました。


これがまずかった。
ADHDは基本マルチタスクができません。運転は様々な方向に注意を払う必要があり、長い集中を必要とされる技術です。
自動車学校構内の研修段階では非常に優秀な成績を納めていた為に気付かなかったのですが、現実の道路は他の車との複雑なコミュニケーションに満ち溢れており、私の特徴である「決められた型や正解のあるものは得意だが、型のないものや正解の無いもの、臨機応変さが必要になると絶望的に弱い」要素がモロに出てしまい、同乗者に「危険だ」と言われる程にヒヤリハットを引き起こしてしまいました。


業務に関しても、研修では非常に覚えもよく、スマートにこなせていたのですが、現地で利用者の家に行くと、当たり前なのですが一軒一軒構造が違い、勝手や注意点も違い、混乱してしまいました。

最終的に、運転で人を轢く前に辞めたほうが良いと判断し、僕は3ヶ月で介護の仕事を辞めました。
「人の命を預かっている自覚を持て」と言われましたが、そもそもそんな物あったら免許取り立てで運転の仕事なんてする訳がないですね。反省。


何だったらできるのか、自分は何をしたらいいのか。
考えた末に、少なくともバイトではやった事がある飲食を選び、定食屋さんの正社員になりました。
仮にもファミレスやフードコートで働いた事があるので、キッチンの仕事は覚えるのが早かったのですが、接客が非常に苦手でした。
料理には正確なレシピがありますが、接客には明確な正解はありません、その相手によって変わります。
いきなり予想外の質問をされると頭が真っ白になります。

それでも自分なりの「この場合はこう対応する」マニュアルを頭の中に作り、経験を積むことでクリアしていきました。
同僚とのコミュニケーションも、「人と距離を置く、業務内容以外の余計なことを喋らない」事で余計な事を言わないようにしていました。

ですが、上司が非常に悪質な性格で、人を叱ったり注意するのが大好きで、仕事以外のことでも相手を否定したりバカにしたりする事をよくやる人間でした。

過去の仕事のことも「楽な仕事やってたんだろう」と言われてバカにされたし、「お前なんか要らない」と言われることまでありました。説教が始まると20分は止まらず、その時頑張っていた調理師免許の勉強も「無駄だ」と切り捨てられました。

ちょっとした失敗も大きく取り沙汰されるので、精神的に追い詰められてしまいました。
ADHDは非常にうっかり屋さんなので、ちょっとした頼みを忘れたり、やるべき事が積み重なると一部抜けてしまったりがよく起きるのです。

友達からも元々「発達障害っぽいよね」とはよく言われていたので、「もしかして?」と常々疑い続けていたのですが、正社員として働くようになって初めて、真面目に向き合う時が来たと考えるようになりました。
仕事で上司に追い詰められ、鬱病のような症状も再び出始めていた為に危険を感じ、鬱病を見てもらうついでに、自分で発達障害なのか、ただの出来損ないの間抜けなのかをハッキリさせる為に、精神科への受診をここで決めました。



ADHDの診断を受けた時、今までの生き辛さに答えが出たようでホッとしました。

薬を処方してもらい、頭の中で鳴り響き続けていた雑音が消えた時、初めて「心が静かだ」と感じました。

完全に症状が改善された訳ではありません。
でも、遥かに気持ちは晴れ晴れとしています。

意地悪な上司は、僕がパワハラを上に訴えた結果見事左遷されたので、環境も正常化して鬱っぽい症状もなくなりました。ギリギリで踏み止まれたので良かったです。

まぁその環境もコロナで駄目になっちゃうんですけどね。
うまくいかないものですね。


僕の職業遍歴はそこからもまた紆余曲折して、今の食品関係工場に至るのですが、今のところが一番能力に合ってる気がします。ここに来る為に遠回りしてきたのかもしれませんね。


僕が発達障害を持ちながらも他の精神疾患を患わなかった理由は偏に「メンタルの弱さと逃げ足の速さ」だと思います。
我慢して耐えない、すぐ逃げる。泣き言は言い散らかすしやばくなったら環境を見限る。鬱は片脚突っ込んだ時点で悪化する前に逃げるか原因を潰す。

おかげて転職の回数は酷いことになったし、まともな職にはつけてないし、上司とはバトルしたりしていますが、なんとか生きてこられています。

まだこれからも苦労することがあると思います。さっきもお友達にうっかり余計な事を言ってしまって嫌われてしまったばかりなので。実はショックで今寝込んでます。

それでも、障害は障害なので。
生まれつき脚がない人に脚が生えてこない様に、生まれつき異常を抱えた脳は正常になったりしません。
この扱いづらい体と生きていくんです。
死ぬまでずっと一緒です。
コミュニケーションもまともに取れない、いつも理解を得られるわけでもない、心のどこか孤独を抱えて生きていくんです。
一度は「一生、一人で生きていくしかない」と悲壮な覚悟を決めた事もありました。
それでも諦めずに、側にいてくれる人を大切に考えていれば、案外友達は少なくても一人ひとりと親密な関係になれたりするものです。
仲良くなれるのは、同じ発達障害を抱えてたり、鬱病だったり、メンヘラだったりする人ばかりですけどね。

億万長者になったり、タワマンに住んだり、ハーレム作ったりはできないかもしれませんが、これからも障害者なりの幸せを探して生きていきたいと思います。
今際の際に「しあわせー!」とまで言えなくても、「まあ、それなりー」と言えれば及第点かな、と思ってます。
別に人生はハイスコアアタックしてる訳じゃないので。誰かと勝負もしてないので。死んだらリザルト画面が出てきたりなんてしませんし。
人生後悔は尽きませんが、後悔も抱えながら一生懸命生きていきます。今が一番しあわせー。
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