山月記の話
30代半ば  埼玉県
2021/09/22 2:26
山月記の話
中秋の名月ですね。
見事な満月です。
中秋の名月の日と満月が被るのは8年ぶりだそうですね。
僕は月見まんじゅう食べました。
マックの月見バーガーも食べたいですね。


月といえば、学生時代好きだった国語の話に「山月記」があります。


うろ覚えでも、なんとなく虎になっちゃった男の話、と言うのは覚えてませんか?
僕は動物が好きだし、動物になりたかったのでひたすら羨ましいなって思っちゃうんですけど。

国語の時間に居眠りしていた不真面目ちゃんな方の為にあらすじを置いておきましょう。

wikiより掲載↓
『唐の時代、隴西の李徴(りちょう)は若くして科挙試験に合格する秀才であったが、非常な自信家で、俗悪な大官の前で膝を屈する一介の官吏の身分に満足できず詩人として名声を得ようとした。しかし官職を退いたために経済的に困窮し挫折する。妻子を養う金のため再び東へ赴いた李徴は、地方の下級官吏の職に就くが、自尊心の高さゆえ屈辱的な思いをした末、河南地方へ出張した際に発狂し、そのまま山へ消えて行方知れずとなる。

翌年、李徴の旧友で監察御史となっていた袁傪(えんさん)は、旅の途上で人食い虎に襲われかける。虎は袁傪を見るとはっとして茂みに隠れ、人の声で「あぶないところだった」と何度も呟く。その声が友の李徴のものと気づいた袁傪が茂みの方に声をかけると、虎はすすり泣くばかりだったが、やがて低い声で自分は李徴だと答える。そして人食い虎の姿の李徴は、茂みに身を隠したまま、そうなってしまった経緯を語り始め、今では虎としての意識の方が次第に長くなっているという。李徴は袁傪に自分の詩を記録してくれるよう依頼し、袁傪は求めに応じ、一行の者らに書きとらせる。自分が虎になったのは自身の臆病な自尊心、尊大な羞恥心、またそれゆえに切磋琢磨をしなかった怠惰のせいであると李徴は慟哭し、袁傪も涙を流す。

夜が白み始めると、李徴は袁傪に別れを告げる。袁傪一行が離れた丘から振り返ると、草むらから一匹の虎が現れ、月に咆哮した後に姿を消す。』



要約すると
「俺、若くして国家試験に受かっちゃう様なエリート官僚のリチョウ! でもクソみたいな上司の言いなりになって働くなんてゴメンだね! 俺はこんな所で燻ってるような男じゃない! ロックスターになってビックになってやるんだ! と、勇み足で出てきたは良いけどやっぱり売れなくて金が無いから、妻子の為に仕方なく官僚に戻ってきたけど、周りの奴らは出世してるし俺よりアホなやつにこき使われるし、世の中クソだぜ! わーっ!(発狂)
あれ? なんか俺虎になってね?

翌年
虎だーっ! 食われるーっ!
あれっ、その声リチョウじゃん、オレオレ、エンサンだよ覚えてる? なんで虎になってんの?

実はカクカクシカジカで、ロックスターになり損ねて発狂しちゃったんだよね。

最近、人食い虎の意識のほうが強くなって人の意識が無くなっちゃいそうなんだよね、こんな苦しいならいっそ虎になったほうが幸せかもな。
マジ、反省してる。臆病な自尊心と尊大な羞恥心のせい。
では、一曲聞いてください。(おもむろにギターを取り出す)(歌い出す)
今の歌をどうか覚えておいてくれよな! そして広めてくれ! 思い残すことはない!
残してきた家族には俺は死んだと伝えてくれ!

最後に、俺の醜い姿をどうか見ていってくれよな。月に向かってガオーッ!」

こんなとこですかね。


今読み直すと「え? エリート官僚だったのに、しかも家族がいたのに、そんな簡単に詩人の道にシフトチェンジしたのやばくない?」とか「あれだけ涙ながらに半生を語ったのに『自分の書いた詩を語り継いでくれ、死んでも死にきれない』ってお願いするなんて実は反省してなくない?」とかツッコミどころが無くもない気がしますが……

思い切った転職ってしちゃいますよね。
僕も実を言うと李徴と似たようなことしてます。
僕は飲食業に長く身をおいていたのですが、20代後半から30代前半にかけて陥るいわゆる『クォーターライフクライシス』に罹りまして。
そのくらいの年代に人生の停滞感や危機感を感じて不安に苦しむ精神状態の事なのですが。

当時の自分は、飲食業を『底辺職』だと考えてました。
飲食業なんて、学歴関係なく誰でもできちゃうし、ビジネスマナーもスキルも身につかないし、転職の際も弾かれやすい。できる事なんて肉を焼いてひっくり返すだけ。つまらない仕事!
同僚の知的障害の疑いがあるレベルで仕事出来ない人が自分と同じ給料で働いてたり、上司の人間性が最悪だったり、残業も多くて労働環境も悪かったり、労働量の割に薄給だったり、周りが自分よりバカに見えたり、とにかく『飲食業』と言う仕事に不満しかありませんでした。

こんな所で燻ってるような男じゃない!と勢い余って、給料をインセンティブで稼げる仕事にしようと営業関係の仕事に転職したは良いんですが、適応出来ずに3ヶ月で辞めました。

ADHDに対人業務させちゃ駄目ですよね。まともに人間とコミュニケーションが取れないくせに何故営業なんて出来ると思ったんでしょうね……謎ですね。まぁ、そのくらい迷走するレベルで人生に嫌気がさしてました。

李徴も同じ気持ちだったのかもしれませんね。恵まれた環境にいたにも関わらず、それを享受する事を良しとせず、冒険してしまった。
その行為自体は悪くないのかもしれません。上手くいくかもしれないので。勇気がいると思います。そして、上手く行かなかった。

僕も落書き程度に絵を書いてた時期があるので分かります。芸術の世界は才能と努力でどうにかなるなんて甘い世界じゃないです。
絵を書ける以外にも出来なきゃいけない事が沢山あるんです。自分の売り込みだったり、相手の求めてる作品を作ることだったり。
絵を書けることは最低限必要なスキルで、大事なことは他に山程あるのだと。
李徴は、詩で食っていくことはできませんでした。

李徴は家族の為に元の仕事に戻りますが、同僚と自分を比べてしまう。あの時詩人を志していなければ今頃出世してただろうか、こんな奴らに頭を下げなくて良かっただろうか。
俺は何やってたんだろう。
詩人の世界に未練もあったでしょう。
自らの理想と現実の剥離に耐えきれなくて発狂して虎になってしまいました。

『プライドが高すぎて、他者に傷つけられることをおそれた「臆病な自尊心」があった。そして、恥をかかないように横柄にふるまった「尊大な羞恥心」があった。俺の場合、この「尊大な羞恥心」がおさえきれず、自らを虎にしたのだ』

色々拗らせてますね。特に自意識を。
意識高い系じゃなくて、自意識高い系ですね。
自意識高い高ーい。
僕もあまり李徴を笑えないんですけどね。

自分の詩を語り継いでくれと頼んだのも、捨てきれない自意識でしょうか。
絵を書いてた身としてはちょっと気持ちは分かります。昔一番頑張って書いた絵は今でも宝物なので。残したいですよね。でもやっぱりお前反省してないだろ!


最後に李徴は『俺はもう虎になるから、襲われない様にここを通らないでくれ。二度と会いたくなくなるように、醜い俺の姿を見せるから』と言って、月を背にして咆哮します。

この時の月はどんな月だったでしょうか。
満月でしょうか。半月でしょうか。

僕は三日月だと思います。

1000年程昔、藤原道長が、自らの一族の栄華を讃えて『この世をば我が世とぞ思う望月の欠けたることも無しと思えば』(この世界は私の思うがままだ。まるで欠けることのない満月の様に満ち足りている)なんて短歌を詠んだりしてますが。

月が李徴の心を表していたのなら、それは欠けているはずなんです。鋭く針のように欠けた三日月だったはずなんです。

職を失い、夢を失い、家族も失い、人間性まで失った李徴が満ち足りた満月を背に吠える訳がないんです。
僕も色んなものが欠けて失われています。
満月の様に満ち足りた存在は似合わないんです。


鋭く欠けた三日月が、心に深く突き刺さる。


僕らの心には、いつだって三日月が突き刺さってるんです。

日記につらつらと長々しく駄文を書き連ねているのも、月に向かって吠えるようなものなのかもしれませんねぇ。
僕もそのうち虎になってしまうかもしれません。
人間の皆々様に置かれましては、決して自意識に飲まれてしまわれぬようご注意ください。
特に無謀な転職はお控えくださいますよう……


僕も虎だよ、自意識の怪物だよ、と言う方はこんにちは、ようこそこちら側へ。
コメントの一つでもつけておいてください。

では人間の皆様、良い夜を。月が綺麗ですね
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