伝説のレスラー 日本人編 vol.14/星野勘太郎
60代前半  埼玉県
2011/02/17 20:14
伝説のレスラー 日本人編 vol.14/星野勘太郎

伝説のレスラー 日本人編 シーズン2。

トップバッターを飾るのは昨年11月に肺炎のため亡くなられた「突貫小僧」星野勘太郎さんです。


本名 星野建夫

1943年 10月9日
兵庫県神戸市出身の在日コリアン人。
韓国名 呂 建夫


身長 170cm 体重 104kg


得意技

ヘッドロック・パンチ
フライング・ヘッドバット
ダイビング・ボディプレス
ドロップキック


高校時代はボクシングに熱中。
卒業と同時にボクシングジムに入ろうとしたがリーチの長さが足りず断念。


1961年に日本プロレスに入門。
同年 デビュー。

67年 アメリカで山本小鉄とタッグチーム「ヤマハブラザーズ」を結成。

小気味よく、力強いファイトで活躍した。


帰国後の70年には猪木とのコンビで第1回NWAタッグリーグに参加。
決勝戦でニック・ボックウインクル&ジョニー・クイン組を破り優勝。
星野はこの試合を生涯のベストバウトに挙げている。


日本プロレス崩壊後の74年より新日本プロレスに参戦し山本小鉄とのタッグを復活させ活躍。

79年には国際プロレスのグレート草津&アニマル浜口組からIWA世界タッグ王座を奪取した。

当時の新日本プロレスの看板タッグは北米タッグ王座の坂口&小林組で、新日本では中堅のヤマハブラザーズが国際の看板タッグ王座を奪取したことで国際の評価は大きく崩れたという。


80年に山本小鉄が引退。

引退試合をヤマハブラザーズとして行っている。

山本 引退後も新日本プロレスで1番の喧嘩屋としてUWF勢等の外敵退治に大活躍した。


95年の両国国技館での木戸 修戦を最後に引退。

引退後は地元 神戸でプロモーターを務める傍ら2002年から「魔界倶楽部」の総裁として現場復帰。

リング外でボクシング仕込みの自慢のパンチで乱闘を繰り広げていた。

決めゼリフの「ビッシビシ行くからな!」は大流行し、プロレス流行語大賞を受賞。


東京ドームで行われた新日本プロレスOBバトルロイヤルでは、他団体に転出した現役選手も出場していた中で最後の2人にヤマハブラザーズが残り「ヤマハは2人で1つ。2人で優勝!」という名台詞で締めくくった。

魔界倶楽部 活動停止後は一線から退いていたが新日本が過去のギミック・キャラクターを再利用している興行「Wrestle Land」を開始。
それに伴い魔界倶楽部も復活した。


2009年 2月4日 都内で倒れ病院に搬送。
脳梗塞と診断された。

病後は言語障害が残ってしまったため、リハビリに励んでいたが 2010年 11月25日 入院先の病院にて肺炎のため他界。

享年 67歳。


水色のトランクスに白いリングシューズで闘志を剥き出しにしてファイトする姿が今でも思い出せます。

今頃 天国で小鉄サンとヤマハブラザーズを復活させて 橋本達を相手にビッシビシやってるんでしょうね…。

勘太郎サンの ご冥福を心より お祈り致します。



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コメント

60代前半  埼玉県

2011/02/17 20:33

2. >健太さん

まいどっ[手(パー)]

勘太郎サンは試合後に前田の控室まで殴りこんだ事があるんだってさ~[ウッシッシ]

同じ 在日コリアンの前田の暴挙が許せなかったんだろうね[猫2]

健太[退]
40代半ば  大分県

2011/02/17 20:28

1. お疲れ様です[わーい(嬉しい顔)]

星野勘太郎はやっぱりU系との抗争の印象が強いです[ほっとした顔]

前田にもビッシビシいってたからね[ウッシッシ]

でも写真見るとヤマハブラザーズの頃は、鍛えあげたイイ身体してるな~[ぴかぴか(新しい)][ぴかぴか(新しい)][ぴかぴか(新しい)]

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