伝説のレスラー 日本人編 vol.28/佐山サトル
60代前半  埼玉県
2011/03/20 10:52
伝説のレスラー 日本人編 vol.28/佐山サトル
伝説のレスラー 日本人編シーズン2

今回は「天才」佐山サトルの登場です。


本名 佐山 聡


身長 173cm 体重 98kg


1957年11月27日
山口県下関市出身。


得意技

ジャーマン・スープレックス
タイガー・スープレックス
ローリング・ソバット
ケブラドーラ・コン・ヒーロ
ラウンディング・ボディプレス
スペースフライング・タイガードロップ
ドロップキック
チキンウイング・フェースロック
各種キック


高校を1年で中退し1975年に新日本プロレスに入門。

76年デビュー。

78年 メキシコに遠征。
「サトル・サヤマ」のリングネームで活動。

79年にはNWA世界ミドル級王座を獲得する。


80年 イギリスに渡り「サミー・リー」のリングネームで東洋武術を駆使したファイトスタイルのレスラーにギミックチェンジ。
これが見事にイギリス人達のハートを捕え大ブレイク!!
サミー・リーの出場する興行は連日の札止め状態になった。

ブレイクしている最中に新日本プロレスから帰国の連絡が入る。

マーク・ロコとのタイトルマッチが控えていた佐山は断るのだが、「1試合だけでいいから頼む。アントニオ猪木の顔に泥を塗るような事にしたくないんだ。」と お願いされ渋々帰国。

81年4月23日 東京蔵前国技館でチープな虎のマスクとコスチュームを渡され、失笑渦巻く中ダイナマイト・キッドを相手に凱旋帰国試合(?)を行った。

そう この試合こそが「黄金の虎伝説」の始まりだったのです!

まさに「鮮烈」という言葉がこれほどピッタリと当てはまったデビュー戦は今までにあったでしょうか?
新日本プロレス伝統のストロングスタイルをベースに多彩なキック攻撃、見事な弧を描くスープレックスにルチャで培った空中殺法を織り交ぜた革新的スタイルは後に実況の古舘伊知郎アナによって「四次元殺法」、「四次元プロレス」と形容され、全国に一大ブームを巻き起こしたのである。


82年に藤波辰巳のヘビー級転向に伴う王座返上により、WWFジュニアヘビー級王座決定戦に出場。
宿敵ダイナマイト・キッドを破り見事に王座を獲得した。

同年 レス・ソントンの保持するNWA世界ジュニアヘビー級王座に挑戦。

ジュニアとは思えない体格のソントンを破り王座獲得。

史上初のNWA&WWFの王座を同時に獲得した。

(藤波の獲得としたNWA王座はインターナショナルジュニアヘビー級王座)

小林邦昭やダイナマイト・キッド、ブラック・タイガーとライバルにも恵まれ順風満帆な活動かと思われたのだが、83年に新日本プロレスに契約解除を一方的に告げ、突如 引退宣言。

バラエティ番組で自らあっさりとマスクを脱ぎ捨てテレビで素顔を公表し「黄金の虎」と別れを告げたのである。

タイガーマスクとして活動した2年4ヶ月間のシングル通算戦績は155勝1敗9分けで1敗もキッドをフェンスアウトさせての反則負けであって、フォール負けは1度もなかった。


84年 UWFの興行「無限大記念日」で約1年ぶりにリングに復帰。
「ザ・タイガー」のリングネームで高田と組んで藤原・前田組と対戦した。

その後 UWFに正式に入団。

「スーパー・タイガー」のリングネームで活動を再開。
紫色×銀色のマスク&コスチュームに一新。
藤原、前田、木戸、高田、山崎等との日本人対決を軸に壮絶な試合を展開し日本中でUブームを巻き起こすのである。

「UWFはプロレスではなくシューティング」と言い切り、自分達をシューターと称しスーパー・タイガー名義のまま素顔でファイトするようなった。

しかし同年、前田を破り「実力No.1」の称号を得るも他の選手達との考え方の違いがありすぎてしまいUWFを離脱。

UWF(第一次)も崩壊してしまった。


その後 しばらくの間 プロレス界から遠ざかりシューティングを設立。
総合格闘技で活動した。


94年 10年ぶりに新日本プロレスに登場。
自身 4年ぶりの試合となるライガーとのエキシビションマッチに参戦。

翌年 タイガーマスクとして本格的にプロレス界に復帰。

UWFインターナショナル、みちのくプロレス、東京プロレス、WAR等に参戦。


97年には「タイガー・キング」のリングネームで新日本プロレスの東京ドーム大会に参戦し猪木と対戦した。


98年 猪木が創設した「UFO」に参加。
小川直也を鍛え上げた。

しかし99年に猪木と団体方針の食い違いがきっかけでUFOを離脱。

同年 「掣圏道」を設立。

再びプロレス界から離れ もう復帰は無いと思われたが、2003年 掣圏道の大会「掣圏」~SEIKEN~においてサスケを相手に「ザ・マスク・オブ・タイガー」のリングネームでまたも復帰をするのである。

同年 全日本プロレスに参戦。
グラン浜田と対戦した。

その後 リングネームをタイガーマスクに戻しdoragondoorやWJプロレスに参戦。

WJプロレスでは長州 力と初めて対戦した。


2005年 ストロングスタイルプロレス復興を掲げ「リアルジャパンプロレス」を旗揚げ。


2008年 リアルジャパンプロレスでタッグマッチながら天龍源一郎と初対決。

同年 2代目タイガーマスク 三沢光晴と これまたタッグマッチではあったが初対決。

IGFでは藤波辰巳と対戦した。

2011年 藤波、長州と共に「レジェンド・ザ・プロレスリング」を後楽園ホールにて開催。

昭和のプロレスファンを再びプロレス会場へと足を運ばせた。


今後はレジェンド・ザ・プロレスリングの興行から目が離せませんね。

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コメント

70代以上  北海道(道央)

2011/03/20 13:58

4. >☆コイサン☆さん

当時はさぁ~パワーボムなんてなかったね(笑)

ダブルアームスープレックスとか
サイドスープレックスを使っていました[あせあせ(飛び散る汗)][あせあせ(飛び散る汗)]

[手(パー)]ツープラトンブレンバスターね[うれしい顔]

----[退]
40代前半  北海道(道央)

2011/03/20 11:28

3. タイガーとしてのデビュー戦(?)で「マスク剥がしちゃえ[グッド(上向き矢印)]」という子供のヤジが飛んでたり、観客の期待はあまり高くなかったみたいですが、その後の活躍がタイガーの衝撃度を表してますよね[にこ(ネコ)]

アニメのタイガーマスクの再放送を観ていた小3の私に、「お前、本物のタイガーマスクがいるの知ってるか?」と言った父親の一言が私のプロレスとの出会いだったので、今回の記事はとても感慨深いです[にこ(ネコ)]

60代前半  埼玉県

2011/03/20 11:10

2. >KENZIさん

体育館のフカフカなマットの上でプロレスごっこしてて 友達にバックドロップをかけたら マットがフカフカすぎて首が…クビがぁぁぁぁ~[げっそり]

子供の頃は手加減しなかったからな~[冷や汗2]

若いってスバラシイ[ウッシッシ]ナンノコッチャ

70代以上  北海道(道央)

2011/03/20 11:03

1. 『暴走族を撃ち殺せ[exclamation]
過激な選挙演説してましたね[あせあせ(飛び散る汗)]

廊下でプロレスごっこしてましたね~[ほっとした顔]

あの頃のブーム火付け役でしたから…。

    サンキューです[exclamation]

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