伝説のレスラー 日本人編 vol.29/高田延彦
60代前半  埼玉県
2011/03/21 16:18
伝説のレスラー 日本人編 vol.29/高田延彦

伝説のレスラー 日本人編シーズン2

今回は

「出てこいやぁ~っ(゜O゜)ノ!」

で お馴染みの この男の登場です。


高田延彦


本名 高田伸彦


1962年 4月12日
神奈川県横浜市出身。


身長 183cm 体重 100kg


得意技

腕ひしぎ逆十字固め
ハイキック
水車落とし
バックドロップ
ミサイルキック


1980年 新日本プロレスに入門。
81年デビュー。

82年から猪木の付け人を務める。

83年 前田と共にフロリダへ遠征しカール・ゴッチのもとでトレーニングを積む。

同年 猪木のカナダ遠征に同行。
欠場したタイガーマスクの代わりに試合に出場し、ジャーマンスープレックスで勝利を収めポストタイガーマスクとして一躍注目を集めるようになった。

この頃の得意技はコーナーポスト最上段からのミサイルキック。

その後 TVマッチにも頻繁に出るようになり 今まで勝てなかった先輩達にも勝てるようになり始めた。

この頃のキャッチフレーズは「青春のエスペランサ」。

ジュニア戦線での闘いを意識してローリングソバットも多用するようになっていた。


しかし84年に藤原に誘われ新日本プロレスを脱退しUWFに移籍してしまうのである。

移籍後は同時期に移籍して来た山崎一夫と名勝負を繰り広げたものの 団体の地方での観客動員数がパッとせず経営不振となってしまいUWFは崩壊してしまった。


UWFのレスラーは古巣の新日本プロレスに逆戻りした。


新日参戦期間はエッチューこと越中詩郎をライバルとし「ジュニア版・名勝負数え唄」と呼ばれる名勝負・好勝負を繰り広げ IWGPジュニア王座を巡る抗争を展開。

この当時の異名は「わがままな膝小僧」。
前田とのコンビでIWGPタッグ王座も獲得している。


88年 前田、山崎等と第2次UWFを立ち上げ 第2次では前田に次ぐ2番手の地位を確保した。
一時期 前田を破りエースに君臨。

第2次UWFは一世を風靡したものの人間関係の不和から91年に 藤原の「藤原組」、前田の「リングス」、高田の「UWFインターナショナル」の3団体に分裂してしまった。


UWFインターナショナルで高田は「最強」を掲げ 団体の絶対的エースとしてゲーリー・オブライトやスーパー・ベイダー、サルマン・ハシミコフ等 強豪選手との対戦で人気を博し 92年度のプロレス大賞 MVPに選ばれた。

しかし高田以外に知名度のある選手がいなかったため徐々に経営が苦しくなっていってしまった。

そして数々のトラブルと選手離脱により いよいよ倒産が現実味を帯びてきた時に最後の手段として新日本プロレスとの対抗戦に踏み切ったのである。

「新日本プロレスVSUWFインターナショナル全面戦争」敢行。

生き残りを賭けたが大将戦で武藤に敗れ 最強を掲げてきた高田とUWFインターナショナルは決定的なダメージを受けてしまった。


96年 新日本プロレス 東京ドーム大会で因縁の武藤を破りIWGPヘビー級王座を獲得。
リベンジに成功したが 橋本に敗れ王座転落。

その後 WARに参戦し交流試合を行い 神宮球場での天龍との試合でプロレス大賞 年間最高試合 ベストバウト賞を受賞。

高田個人では存在感を発揮するも団体の運営は低迷。

選手も山崎一夫に続いて田村潔司、中野龍雄が退団。

団体存続が危ぶまれる中 インディー団体の「東京プロレス」に参戦。

従来の路線からはまったく外れた相手 アブドーラ・ザ・ブッチャーとまで闘い 団体存続を図ったのだが96年12月に遂にUWFインターナショナルは崩壊してしまった。


高田以外の選手は新たに旗揚げした団体「キングダム」に入団。


高田は自ら興行会社としてのプロレス団体は持たずに 所属選手だけを持つ格闘技道場として「高田道場」を設立。


高田道場の選手や海外のバーリ・トゥード系選手を招聘し総合格闘技興行「PRIDE」を開設。

選手としてヒクソン・グレイシーと2度対戦したが2連敗してしまった。

特に初戦においてエースクラスの日本人レスラーの総合格闘技での敗北はこれが最初でありプロレスファンの深い失望を招くとともに A級戦犯としてプロレスマスコミから壮絶なるバッシングを受けてしまい、さらにかつての師匠アントニオ猪木から「よりによって1番弱い奴が出て行ってしまった。」と酷評されてしまった。

その後もPRIDEでホイス・グレイシーやミルコ・クロコップ、マイク・ベルナルド等と闘うのだが全敗。


2002年にかつての弟子 田村潔司を相手に引退試合を行い引退した。


引退後はPRIDE統括本部長に就任。

数々のビッグイベントを成功させた。

2004年には「ハッスル」のリングに高田総統として出現。
高田モンスター軍を率いて 小川直也率いるハッスル軍と抗争を開始。

2006年 『ハッスルエイド2006』で「ザ・エスペランサー」として復帰。

得意のハイキックでTAJIRIをマットに沈めた。

2008年 『ハッスルマニア』で「エスペランサー・ザ・グレート」として出場。

ムタ&曙組と対戦。

試合途中でムタに「魔界」に引きずりこまれ この世から姿を消した。

2009年 両国国技館大会を最後に高田総統としての活動も終了した。


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コメント

60代後半  埼玉県

2011/03/24 19:10

13. UWFで、活躍してた頃が
一番好きでしたね。

がむしゃらで、粗削りだったけど果敢に攻めるスタイルは最高でした。

強くなったイメージは後々ですが、試合運びの旨さに走った気がして…[!?][冷や汗]

60代前半  埼玉県

2011/03/22 7:31

12. >K④@貧乳好き[黒ハート]さん

昔からの僕の日記の読者の人は知ってることなのですが…僕はU系には思い入れがないのです。

週間プロレスとかを立ち読みしてはいましたけどね[ウッシッシ]

高田の試合で1番印象に残っているのは…ヒクソン戦かな~。

他の試合は殆ど記憶にナシっ[exclamation]

60代前半  埼玉県

2011/03/22 7:26

11. >健太さん


高田は甘いってコトなんかね[考えてる顔]

30代後半  長野県

2011/03/21 22:20

10. そー言われると
越中との名勝負なんかも
印象うすくなっちゃって[冷や汗]
船木戦疑惑の10カウント
ありましたね~
オレん中では
紫タイツが代表作…
北尾ベイダーオブライト
Uインター好きでしたわ[わーい(嬉しい顔)]

最後に…
U系なのに?
誰もが真似して
痛さも知ってる
足4の字でギブアップも
格好良すぎ[ウィンク]

ゴメンナサイ
これは武藤の回でしたね[ふらふら]

健太[退]
40代半ば  大分県

2011/03/21 22:00

9. >☆コイサン☆さん

宮戸いわく、高田はかなりの気分屋だったらしいね。

コイサンの言うとおり、顔付きや覇気がガラッと変わるって。

まあ、そういう意味では、超一流のレスラーではなかったのかも[がまん顔]

60代前半  埼玉県

2011/03/21 21:50

8. >健太さん

U時代の事は健チャンのほうが詳しいから話すことはナイけど…ターニングポイントはヒクソン戦だってことは分かるよ[考えてる顔]

あの試合以降高田の顔つきがガラッと変わったからね[がく~(落胆した顔)]

60代前半  埼玉県

2011/03/21 21:46

7. >たかさん

はっきり言って高田は総合格闘技に出ないほうがよかったような気がします[考えてる顔]

北尾をハイキック1発でKOした時の高田の顔は素晴らしくよかったのに…[がく~(落胆した顔)]

60代前半  埼玉県

2011/03/21 21:44

6. [美容院]・・・・・キリトリ線・・・・・さん

高田はあの試合から弱っちくなった[猫2]
弱っちいというか…覇気がなくなったというか…。

自信に満ちていた時の高田の顔は生意気なくらいよかった[考えてる顔]

※田村の入場曲は「FLAME OF MIND」って曲名です〓

健太[退]
40代半ば  大分県

2011/03/21 20:35

5. 高田は2回こけたのが響いた[あせあせ(飛び散る汗)]

新生Uの時、落ち目の前田に代わるエースと期待されながら、船木戦での疑惑の10カウント。

この試合がある意味U崩壊へのカウントダウンだったとも言える。

もうひとつはヒクソン戦。負ける試合はさせない策士・宮戸と袂を別れていたのが痛かった。

この二つの敗戦の成れの果てが『出てこいや~!』だ[ふらふら]

とても字数が足りん[泣き顔][あせあせ(飛び散る汗)]

Taka[台風][退]
40代半ば  沖縄県

2011/03/21 19:46

4. こんばんは(^-^)
初めて観た時から「輝きのあるレスラー」だなぁ~って思ってました。輝きのあるレスラーはケリーフォンと高田くらいで[ぴかぴか(新しい)]しかし、エースという認識はなかったです。前田に次ぐ二番手のイメージがありましたね[ウッシッシ]
ヒクソンをはじめ格闘技系選手との闘いではリング上で弱腰の姿勢に感じたので敗北以上にショックでしたね[もうやだ~(悲しい顔)]
しかし、思い入れが多く大好きな
レスラーでしたね[手(グー)]
高田総統も観てました[わーい(嬉しい顔)]

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