伝説のレスラー 日本人編 vol.32/藤原嘉明
伝説のレスラー 日本人編シーズン2
今回は「関節技の鬼」問答無用の仕事師
藤原嘉明の登場です。
本名 藤原嘉明
1949年4月27日
岩手県和賀郡江釣子村出身。
身長 182cm 体重 102kg
得意技
脇固め(フジワラ・アームバー)
アキレス腱固め
クルック・ヘッドシザース
チキンウイング・フェイスロック
腹固め
ヘッドバット
高校を卒業後 サラリーマンや中華料理の見習い、板前等を経て1972年に新日本プロレスに入門。
同年 藤波辰巳を相手にデビュー。
新人時代からカール・ゴッチに弟子入りし関節技をはじめとするレスリングの技術を学び、猪木のスパーリングパートナーとして海外遠征にも同行した。
特に異種格闘技戦の時のスパーリングパートナーには欠かせない存在であった。
75年 第2回カール・ゴッチ杯で優勝。
長年 地味な脇役として活動していたが84年に入場時の長州 力を花道で襲撃し"テロリスト"として一躍脚光を浴びるようになる。
その日以来 維新軍団との抗争では無くてはならない存在になったのは皆さんご承知の通り。
同年6月に新日本プロレスを離脱し第1次UWFに参加。
関節技を主体としたファイトスタイルで魅力を開花させた。
85年末にUWFが崩壊。
崩壊後は新日本プロレスにUターン参戦。
87年には山崎一夫とのコンビで同朋の前田&高田組からIWGPタッグ王座を奪っている。
89年に新生UWFに参戦。
しかし またしてもUWFは崩壊してしまうのである。
崩壊後は船木や鈴木みのる等と「藤原組」を旗揚げ。
92年には東京ドーム大会を開催したが、93年に船木、鈴木等を筆頭に選手が大量に離脱。
存続を危ぶまれたが、かろうじて危機を脱出した。
同年 新日本プロレス 福岡ドーム大会に参戦。
1度は蘇生したかに思われた藤原組だが、95年に2度目の選手大量離脱により解散。
以降はフリーの仕事人として他団体に積極的に参戦した。
96年 リングス
98年 バトラーツ
01年 ZERO-ONE
06年 ビッグマウスラウド
等に参戦していたが07年に胃ガンが発覚。
手術は成功したがセミリタイア状態に追い込まれ、自身のキャリアの中で最大のピンチに見舞われてしまう。
しかし藤原は不死鳥の如く蘇るのである。
2008年 「昭和プロレス」のリングにエキシビションながら その勇姿をファンの前に現したのである。
同年 再び昭和プロレスにおいて今度は佐山タイガーを相手に本格的に復帰。
試合前の記者会見で「太った虎はただの豚」と挑発。
しかし いざ試合となると関節技がなかなか決まらずに大苦戦。
佐山のキックを浴び続け、何度も倒れては起き上がり ライガーの投げ入れたタオルを投げ返し奮闘したが最後はレフリーストップ。
試合後の挨拶では感極まって号泣。
復活を心から待っていたのは藤原自身であったのでしょうね。
その後はロックアップやトラディション、IGF等に参戦。
2010年には全日本プロレスのマットにも登場と、まだまだ現役で頑張っています。
これからも若い世代のレスラー達に、、大技なんか使わなくてもプロレスはできるんだよと身体を張って説教してほしいものです。
コメント
2011/04/05 23:02
1. 久しぶりです
藤原イコール仕事人
職人です
確か絵もうまかったし
趣味が盆栽だった
記憶が…
間違ってたらごめんなさい
返コメ