伝説のレスラー 日本人編 vol.35/上田馬之助
伝説のレスラー 日本人編シーズン2
今回は「金狼」 上田馬之助の登場です。
本名 上田裕司
1940年 6月20日
愛知県今伊勢町出身。
身長 190cm 体重 118kg
得意技
コブラクロー
クロスチョップ
ダブルリストロック
脇固め
1960年 日本プロレスに入門。
ほぼ同時期の入門に馬場正平と猪木寛至がいた。
この2人と同期であったことが上田選手にとって不運であったと言えるのではないでしょうか…。
61年デビュー。
63年
若手だけのトーナメント「関西の牙」で優勝。
64年 三菱杯若手トーナメントで優勝。
66年 アメリカへ遠征。
「ミスター・イトー」のリングネームでシャチ横内とのコンビで全米各地を転戦。
悪党人気を集めた。
2度目の渡米ではダニー・ホッジを破りNWA世界ジュニアヘビー級王座を獲得。
70年に帰国し日本に定着。
73年 大木金太郎とのコンビでインターナショナルタッグ王座に君臨。
末期の日本プロレスの中心選手として活躍した。
日本プロレス崩壊後は全日本プロレスに参戦するのだがマッチメイクで冷遇されたため すぐに離脱しアメリカへ渡りフロリダをはじめとする南部地区で活動。
76年にアメリカから馬場、猪木、木村と当時の日本の3団体のエースに挑戦状を叩きつけ、これに木村だけが応じたため国際プロレスに登場。
木村からIWA世界ヘビー級王座を強奪するのである。
この頃から前髪を金髪に染め上げ、法被を着て竹刀を振り回すスタイルで「まだら狼」と呼ばれ 日本を代表する大型ヒールとして活躍していた。
木村とのリターンマッチでは金網デスマッチで対戦。
大混乱の流血戦の末 没収試合となり王座はコミッショナー預かりとなってしまった。
3日後の王座決定戦には右肩負傷により欠場。
77年 新日本プロレスに参戦。
タイガー・ジェット・シンとの凶悪コンビで坂口&小林組から北米タッグ王座を奪取。
78年に日本武道館で因縁の猪木と「釘板デスマッチ」で対戦。
リング下に4万本もの五寸釘を打ち込んだ板が敷かれ異様なムードの中 最後はセコンドのシンがタオルを投入し上田のTKO負けとなった。
同年 暮れにヒロ・マツダ、マサ斎藤、サンダー杉山等とフリーの日本人選手の集団「狼軍団」を結成。
新日勢と抗争を展開した。
81年 全日本プロレスを襲撃。
先に移籍していたシンと合流し馬場&鶴田組からインターナショナルタッグ王座を奪取。
しかしシンと仲間割れし全日を離脱。
突如スーツ姿で新日本の会場に現れ猪木に花束を渡す等して新日に再び参戦した。
一時期はマシン軍団と共闘していたが仲間割れし新日正規軍入り。
UWFとの5対5イリミネーションマッチでは前田のミドルキックや側頭部へのハイキックさえも平然と受けてみせ満員の会場からは大きなどよめきが起こるなどの大活躍ぶりであった。
88年 アラバマのインディー団体「WOW」に参戦。
ハクソー・ヒギンスを破りWOW世界ヘビー級王座を獲得。
92年から日本のインディー団体 IWAジャパン等に参戦。
96年 東北自動車道で交通事故に遭い脊椎骨折の大重傷を負ってしまい そのまま引退。
98年 入院先の熊本県で力道山OB会が主催して引退記念大会を開催。
車椅子で登場し満場のファンに別れを告げた。
その後は奥さんの故郷 大分県へ移り住み「リサイクルショップ上田屋」を経営。
地元でプロレス興行があると夫婦で会場を訪れ 選手を激励したり 障害児施設を訪問するなど 奥さんと二人三脚の生活を送っているそうです。
上田馬之助。
世界に誇れる日本の最高のヒールだったと思います。
コメント
2011/04/14 22:06
3. シンとの肩を組んだ
入場が好きでしたよ~
小学校の時、上田君の
あだ名は馬之助でした
返コメ
2011/04/14 20:25
2. >まさ(乗り逃げ野郎)さん
![[びっくり]](https://img.550909.com/emoji/ic_swirl.gif)
両者リングアウトだったっけ?
前田もビックリしただろうね
悪役に徹するって本当に大変だと思います。
上田選手は立派ですね
返コメ
2011/04/14 20:19
1. 5vs5イルミネーションで前田と刺し違えましたよね…
男を見せてもらいました。
日本人でこの人を越えるヒールは存在しません。
返コメ